歴史の世界

2019-01-01から1年間の記事一覧

戦国時代 (中国)④ 称王/遷都/社会の発達

これから戦国時代における称王/遷都/社会の発達について書く。 諸侯の称王 三晋の遷都 経済状況と富国強兵策 山林藪沢について 「小農民の析出が本格化」 鉄製農具や牛耕の普及 まとめ 諸侯の称王 称王とは王を称すること。これまで中原の諸侯は形式的に周…

戦国時代 (中国)③ 前期 最大の勢力は魏

さて、それでは戦国時代の中身の話に入っていこう。ちなみに前期(前5世紀中葉~前4世紀中葉)といっても私が勝手に時代区分したものなので、参考程度に。(記事「時代区分」 参照) 以下の歴史は、『中国史 上』(昭和堂/2016)の吉本道雅氏の執筆部分に…

戦国時代 (中国)② 晋の分裂、戦国時代のはじまり

戦国時代のはじまり、それは晋の分裂から始まった。 晋の分裂の重大性 分裂までのあらすじ 晋の分裂の重大性 春秋時代と戦国時代の画期は晋の分裂とされる。なぜ晋の分裂がそれほど重要なのかは、前回も触れたが、晋国が中原*1の覇権を握っていたからだ(春…

戦国時代 (中国)① 戦国時代の特徴/時代区分

これから戦国時代へ入る。 春秋時代と戦国時代の性質の違い その他の戦国時代の特徴 時代区分 前期(前5世紀中葉~前4世紀中葉):最大の勢力は魏 中期(前4世紀中葉~前3世紀前期):斉・秦の2強の時代 後期(前3世紀前期~前3世紀後期):秦の一強…

春秋時代⑭ 孔子の登場 その6 徳治主義/孔子のルネサンス

徳治主義とは法治主義と対比される言葉だが、ここでは徳治主義の方の説明だけをする。 それに加えて、「孔子のルネサンス」。この言葉は浅野裕一のアイデアで、孔子を宗教の創始者とみなしている。 徳治主義 〈政を為すに徳を以てせば,譬(たと)えば北辰の…

儒家(5)孔子(「天」と「仁」)

前回に引き続き、儒教における重要な要素を書いていく。 今回は「天」と「仁」。 「天」は孔子が儒教を作った時の重要な要素の一つ。 「仁」は儒教の最高の徳目と言われている。 「天」 「仁」 「孝弟なる者は、其れ仁の本為るか」(『論語』学而篇) 「仁」…

儒家(4)孔子(「礼」と「孝」)

儒教にとって、最重要の礼と孝を説明してみる。 「礼」とは何か 「礼」は孔子と儒家が創作した 「孝」:儒教における最重要な要素 礼と孝 礼と形式主義 「礼」とは何か 『礼記(らいき)』は中国古代王朝・周の礼の規定とその精神を雑記した書物で、49篇から…

儒家(3)孔子(「儒」の起源)

wikipediaから引用。 儒(じゅ)の起源については、胡適が「殷の遺民で礼を教える士」として以来、様々な説がなされてきたが、近年は冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきている。 東洋学者の白川静は、紀元前、アジア一帯…

儒家(2)孔子(孔子の人生について)

孔子の人生については『史記』の孔子世家に書かれている。「孔子#生涯 - Wikipedia」は基本的に孔子世家をベースに詳述している。 世家は諸侯クラスの家柄の人物伝が書かれているカテゴリーなので、孔子がこのカテゴリーに入れられていることは司馬遷がそれ…

儒家(1)孔子(時代背景)

晋の「覇者体制」が崩壊して無秩序の世の中になった時、諸侯たちは新しい秩序を求めるようになった。その要請に答えたのが孔子であり儒家・儒教であった。 これより数回に亘って孔子および儒教について書いていくが、この記事では孔子が登場した時代背景を書…

諸子百家とは?

これから諸子百家について書いていく。儒家や墨家などは別の記事で書くとして、ここでは諸子百家とはなんぞやということについて書いていく。 諸子百家とは? 歴史 無秩序の時代(春秋末期~戦国初期) 百家争鳴、隆盛期(戦国中期) 百家争鳴の終焉(戦国後…

春秋時代⑧ 中華思想の形成

晋の文公が覇者となり、中原の諸侯国を支配したこと、そして晋国の君主が覇者を世襲したことは以前の記事で書いた(春秋時代④ 晋の文公/晋による覇者体制 )。 この支配体制の期間で、諸侯たちの間で文化が共有された。その文化が現代まで続く中国文化の起…

春秋時代⑦ 支配階級の変遷

今回は春秋時代の支配階級の変遷について書いていく。 諸侯国内の階層 晋の覇者体制からの社会の変遷 諸侯国内の階層 諸侯のもとには卿・大夫・士・庶人・工商および隷属民の身分があった[中略] 。[春秋時代初期の東遷期には、]中原の有力諸侯国が周辺の小…

春秋時代⑥ 呉と越

前6世紀末になると春秋時代もいよいよ終わりに近づく。 この頃、晋の内部では権力争いが繰り広げられ、その間隙をついて楚は北侵を度々するのだが、その楚も呉からの度々の攻撃に手を焼くようになった。 楚が脅威では無くなり、晋が頼りにならなくなる状況…

春秋時代⑤ 楚と秦

前回は晋の文公、前々回は斉の桓公について書いた。この二人は春秋五覇に数えられている。 今回は、春秋五覇のうち、楚の荘王と秦の穆公(繆公)について書く。 ちなみに、春秋五覇に挙げられている宋の襄公については前々回に簡単に書いた。 春秋時代の諸国…

春秋時代④ 晋の文公/晋による覇者体制

前回、楚の成王が宋の襄公を破ったことまで書いた。 今回は晋の文公の話を書こう。 文公は、前回書いた楚の成王を打ち負かして覇者になった。 春秋時代の諸国 出典:春秋時代 - Wikipedia 晋の文公 晋による覇者体制 年表 晋の文公 晋の起源は、西周第2代成…

春秋時代③ 斉の桓公/宋の襄公/楚の成王

さて、歴史の流れを書いていこう。 今回から覇者の時代について書いていく。トップバッターは斉の桓公だ。 前回書いたように、本来の「覇者」の意味は「諸侯の長」であり、同盟国諸国のリーダーの意味だった。しかし後に「覇者」は単に軍事的に強い者を意味…

春秋時代② 覇者とはなにか/「五覇」とはなにか

前回、鄭荘公が小覇と呼ばれたことを書いたが、その次世代に当たる頃、斉の桓公が覇者と呼ばれるようになった。これが覇者の幕開けになる。 今回は歴史の流れに入る前に、覇者とは何かについて書いていこう。 覇者とはなにか 「五覇」とはなにか 覇者体制:…

春秋時代① 東遷/鄭の「小覇」

春秋時代と言えば、「春秋五覇」つまり「覇者の時代」だが、それに行き着くまでの前段階がある。滅亡から「覇者の時代」に行くつくまでに周王朝の「東遷」と鄭国の活躍(?)がある。 この記事では以上の2つを書き、次回から「覇者の時代」に移ろう。 東遷 東…

春秋戦国時代とは/時代区分/資料について

春秋戦国時代/東周 春秋戦国時代の中の時代区分 資料について 春秋時代の資料 戦国時代の資料 春秋戦国時代/東周 前回で少し書いたが、ここでは少し詳しく書いていこう。 中国史における春秋戦国時代は西周代と秦代の間の時代。西周滅亡と秦帝国誕生(中華…

「春秋戦国時代/東周」シリーズを書く

これから春秋戦国時代/東周シリーズを書く。「中国_春秋戦国時代/東周」カテゴリーに保存する。 春秋戦国時代/東周とは このカテゴリーで書くこと 春秋戦国時代/東周とは 「春秋戦国時代」とは中国史における「西周」の時代の後、「秦代」の前を指す。春…

【はてなブログ】markdownモードで、画像にリンクを貼る いちばん簡単な方法

「画像にリンクを貼る」とは「画像をクリックすればジャンプさせたいリンク先にジャンプするように設定する」ということ。いちおう書いておく。 「画像にリンクを貼る」のはmarkdownモードだったら、markdown記法で書くのが当然だろうと思うだろうが、我らド…

「中国文明」カテゴリーの主要な参考図書およびウェブサイト(西周王朝まで)

「中国文明」の下限が何時までなのか知らないが、ここでは(あくまで便宜的に)西周までとする。 次からのカテゴリーは「春秋戦国時代/東周」とする。 さて、本題に入ろう。 世界歴史体系 中国史1 先史~後漢/山川出版社/2003 中国の考古学/同成社/199…

中国文明:西周王朝⑨ 後半期Ⅱ その2 衰退から滅亡へ

宣王の時代 権臣とは 異民族について 幽王と西周滅亡 「理想化された古代王朝」 宣王の時代 金文によれば、宣王は南方の勢力に貢納を要求したという(これは先々代の夷王の頃から要求していた。前回の記事参照)。そしてこれは蛮夷の反乱を引き起こした。ま…

中国文明:西周王朝⑧ 後半期Ⅱ その1 厲王の時代/「共和」の時代

今回も佐藤信弥『周』(中公新書/2016)を中心にして書いていく。 今回は厲王と「共和」について。 厲王の時代 佐藤信弥氏の見立て 谷秀樹氏の見立て その他の研究者の見立て 「共和」の時代 厲王の時代 厲王は、『史記』などの伝世文献では、殷の紂王と並…

中国文明:西周王朝⑦ 後半期Ⅰ その2 貴族から奴隷まで/影の薄い王たち

前回に貴族制社会のことに触れたので、ここでは、西周後半期の身分/階級について書いていこう。 身分/階級:貴族から奴隷まで 影の薄い王たち 身分/階級:貴族から奴隷まで 当時の社会の構成については、王とその一族を除けば、(1)統治階級に属する貴族、…

中国文明:西周王朝⑥ 後半期Ⅰ その1 貴族制社会の出現/冊命儀礼

この記事から後半に入る。引き続き佐藤信弥『周』(中公新書/2016)に頼って書いていく。 統治体制の大転換/貴族制社会の出現 冊命儀礼 統治体制の大転換/貴族制社会の出現 前回書いたように、昭王の南征失敗を機に、昭王の次代の穆王は領土拡張政策は放…

中国文明:西周王朝⑤ 前半期Ⅱ その2 祭祀儀礼と戦争

「会同型儀礼」 「戦闘は続いていた」 昭王の南征 「会同型儀礼」 西周前半期の王が諸侯たちの上に支配/君臨するために、王はどのようなことを行ったのか。 ひとつは「朝見」だ。朝見とは、「臣下が朝廷に参内(さんだい)して天子に拝謁すること*1」。 西周…

中国文明:西周王朝④ 前半期Ⅱ その1 封建と官制

封建とは? 西周の封建の実相 封建の目的 官制 封建とは? 周王朝は、殷代には見られなかった画期的な制度も創始しており、それが「封建」である。周は殷を滅ぼした後、その支配地域の大部分を継承したが、各地に王の子弟や臣下を派遣し、諸侯(地方領主)と…

中国文明:西周王朝③ 前半期Ⅰ

さて、前回の時代区分に沿って歴史を見ていこう。 前々回に武王が殷王朝を滅ぼしたところまで書いた。 今回はその後から成王の代までを書く。 「三監の乱」 ~殷の遺民の反乱 東征 成周の建設 「三監の乱」 ~殷の遺民の反乱 武王は殷王朝打倒のあと、数年で…