歴史の世界

中国論① 福澤諭吉の『脱亜論』

(この記事は中国論というより、なぜ福澤が『脱亜論』を書くに至ったのか、が主題。)

福沢諭吉の有名な『脱亜論』について書こう。

日清戦争の10年ほど前、福澤は朝鮮の独立と近代化に傾注していた。しかし彼が支援していた朝鮮独立党(開化派)のクーデターが失敗に終わり、朝鮮政府が彼らとその親族の悲惨な処罰をした。

福澤はその報を聞き、『脱亜論』を書いた。朝鮮と支那に対する絶縁状だ。

朝鮮と支那は日本人とは全く別物で、近代化するのは極めて難しい。彼らと互いに援助することは毛ほども役に立たず、むしろ彼らと交わることで欧米人から同種だと間違われるかもしれない。ゆえに、彼らとは縁を切ろう、というものだ。

さて、この文章に至るまでの背景を書いて、その後『脱亜論』の一部を見ていこう。

同床異夢

幕末の志士の中では、欧米列強と対抗するために日本は支那と朝鮮と同盟をすべきだ、という論があった。例えば勝海舟がそうだ*1。いっぽう、吉田松陰のように朝鮮を属国化しようという論もあった*2

明治の世になると、まず前者の論が出てくる。

1874年(明治7年)の台湾出兵の際の天津条約交渉に参加した大久保利通は、李鴻章から「日本、支那、朝鮮等東洋の団結」を目的として相互に語学校を開設することを約束していた。

出典:興亜会 - Wikipedia

この流れの中でアジア主義の総合機関「興亜会」が設立される。リンク先によれば、アジア主義の「原点であり、源流である」。

だがこの流れの初めから日本と清国は同床異夢だったかもしれない。日本は朝鮮が清の属国状態から独立して日本のように富国強兵化することを望んだ。いっぽう、清は台湾出兵の後、日本を仮想敵国とした北洋艦隊を創設した。朝鮮の宗主権を手放す気など無かっただろう。

朝鮮半島での近代化への活動が活発化すると日清の対立は顕在化して引くに引けない状況になっていく。

福澤と金玉均の出会い

以下の本を頼って見ていこう。

決定版・脱亜論 今こそ明治維新のリアリズムに学べ

決定版・脱亜論 今こそ明治維新のリアリズムに学べ

1881年明治14年)、この当時李氏朝鮮は近代化からほど遠い体制だったが、国王高宗は日本の近代化の成功に興味を持ち、「紳士遊覧団」を結成して官僚たちを日本へ派遣し近代化を学ぶように命じた。この団体の中の一人、魚允中が従者2人福澤に乞うて預けた。二人は福澤邸に寄宿しながら慶應義塾にも通うことになった。この2人の留学生が機縁となり、その後 朝鮮人が福澤邸を訪れることが多くなる。(p55-56)

福澤が彼らから聞く朝鮮の現状は、門地門閥によって身分が固められ、社会的上昇など思いも及ばなかった「30年前の日本」である。家督を継いだ福澤が困窮に耐えられず家財を売却し、母と姪を故郷に残し慚愧の思い出中津藩を後にし大阪に出てきたのは、「門閥制度は親の敵(かたき)で御座る」と記して旧制度にたぎる怒りを抑えきれなかったからだと、『福翁自伝』にはある。

福澤は自分の過去を朝鮮人留学生の中に見出し、少なくとも自分を頼ってくる朝鮮人には救いの手を差し伸べるのは自分の責だ、と感じるようになった。政権獲得に参加しなかったものは政権に入る資格なしとして、幕臣福澤は明治維新を傍観者としてやり過ごしたものの、みずからの思想の実現の場をどこかに求めていた。その場を福澤は朝鮮に「発見」し、朝鮮の開化派もまた福澤に支援を接岸したのである。

出典:渡辺利夫/決定版・脱亜論 今こそ明治維新のリアリズムに学べ/扶桑社/2017

この流れに金玉均がいた。彼は「紳士遊覧団」の帰国者から話を聞いて興味を持ち、その後 国王の命により訪日を果たした。訪日の期間中は福澤の別邸に寄宿しながら日本の実情を観察した。また福澤の紹介で井上馨渋澤栄一後藤象二郎大隈重信伊藤博文などと面会した。

壬午事変勃発

金玉均は一旦見聞を終えて帰国しようとしたが、その途上で壬午事変の報を受ける。

壬午事変は攘夷思想を持つ高宗の実父大院君が起こしたクーデターだが、この動きにすばやく動き鎮圧したのが袁世凱率いる清軍3000兵だった。反乱軍鎮圧に成功した清は、漢城府に清国兵を配置し、大院君を拉致して中国の天津に連行、その外交的優位のもとで朝鮮に圧力をかけ、閔氏政権を復活させた*3

清国は、親日派勢力を排除して朝鮮半島への干渉を強め、朝鮮に対する宗主国の権勢を取り戻して近代的な属国支配を強めた[19]。従来、朝鮮の内政には関与しなったが、清国側とすれば台湾・琉球・朝鮮に対する日本の攻勢に対抗したものであり、日朝修好条規を空洞化させて朝鮮を勢力圏に取り込む姿勢を明らかにしたのである[13]。李鴻章は北洋大臣として朝鮮国王と同格の存在となり、朝鮮の内政・外交は李鴻章とその現地での代理人たる袁世凱の掌握するところとなった。

出典:壬午軍乱 - Wikipedia

これに対して日本の世論と福澤はどのように反応したのか。

清朝三国提携を模索する意見の多かった言論界でも変化がみられた。1882年12月7日『時事新報』社説「東洋の政略果して如何せん」において福沢諭吉は「我東洋の政略は支那人の為に害しられたり」と述べ、清国は日本が主導すべき朝鮮の「文明化」を妨害する正面敵として論及されるようになった。このような状況を打開すべく、福沢は金玉均ら独立党の勢力挽回に期待をかけたのである。

出典:壬午軍乱 - Wikipedia

以下は上の社説の後に続く文章。

然ば則ち之に処するの法如何して可ならん。我輩の所見に於ては唯一つ法かすみやかここあるのみ。即ち退(しりぞい)て守(まもり)て我旧物を全うするか、進(すすん)で取て素志を達するか。今日の進退速(すみやか)に爰(ここ)に決心すること最も緊要なりと信ず。

出典:渡辺氏/p61

渡辺氏曰く、後の文章は金玉均らに福澤が繰り返し諭した言葉だった。

この後、李氏朝鮮金玉均や朴泳孝ら日本と近代化を目指す開化派(独立党)と親清勢力(事大党)と中立派に分裂したが、政権は清軍をバックにした事大党の下にあった。開化派は劣勢だった。

金玉均のクーデター・甲申政変

1883年8月、清仏戦争が勃発し、京城の総勢4500名いた兵力の内2000名が清国内に移った。これをチャンスと見た開化派はクーデターを企画し1884年12月に実行する。クーデターは一応せいこうしたものの、3日しか持たなかった。袁世凱率いる清軍1500名に京城を囲まれて為す術がなかった。これに対して日本兵は130名で、情勢を変えることはなかった。(甲申政変)

金玉均は辛くも逃げて日本に亡命したが、朝鮮政府は開化派の残党と三親等の一族処刑して遺体を晒し者にした*4

この報を聞いた福澤は1885年(明治18年)2月23日と2月26日に、「朝鮮独立党の処刑(前・後)」という論説書いた。以下はその一部。

人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。我輩はこの国を目して野蛮と評せんよりも、むしろ妖魔悪鬼の地獄国といわんと欲する者なり。しかしてこの地獄国の当局者は誰ぞと尋ねるに、事大党政府の官吏にしてその後見の実力を有する者はすなわち支那人なり。我輩は千里遠隔の隣国におり、もとよりその国事に縁なき者なれども、この事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。

  • 新字体、平仮名、現代仮名遣いに改め、適宜句読点、改行を施した。
  • 一部の漢字を現代風に直した。(吾々→我々、勉メ→努め)
  • 一部の固有名詞を現代風に直した。(歴山王→アレキサンダー王)

出典:朝鮮独立党の処刑 - Wikisource

金玉均は十年日本での亡命生活の後、上海で暗殺された(1894年)。「遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれて凌遅刑に処されたうえで四肢を八つ裂きにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒された」*5

脱亜論

「朝鮮独立党の処刑(前・後)」の約3週間後、1885年(明治18年)3月16日の『時事新報』に脱亜論を書く。

以下に脱亜論の現代語訳を途中から引用する。なお、読みやすさのために、私が勝手に段落分けした部分がある。

わが日本の国土はアジアの東端に位置するのであるが、国民の精神は既にアジアの旧習を脱し、西洋の文明に移っている。しかしここに不幸なのは、隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。この二国の人民も古来、アジア流の政治・宗教・風俗に養われてきたことは、わが日本国民と異ならないのである。

だが人種の由来が特別なのか、または同様の政治・宗教・風俗のなかにいながら、遺伝した教育に違うものがあるためか、日・支・韓の三国を並べれば、日本に比べれば支那・韓国はよほど似ているのである。この二国の者たちは、自分の身の上についても、また自分の国に関しても、改革や進歩の道を知らない。交通便利な世の中にあっては、文明の物ごとを見聞きしないわけではないが、耳や目の見聞は心を動かすことにならず、その古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじである。

現在の、文明日に日に新たな活劇の場に、教育を論じれば儒教主義といい、学校で教えるべきは仁義礼智といい、一から十まで外見の虚飾ばかりにこだわり、実際においては真理や原則をわきまえることがない。そればかりか、道徳さえ地を掃いたように消えはてて残酷破廉恥を極め、なお傲然として自省の念など持たない者のようだ。筆者からこの二国をみれば、今の文明東進の情勢の中にあっては、とても独立を維持する道はない。幸い国の中に志士が現れ、国の開明進歩の手始めに、われらの明治維新のような政府の大改革を企て、政治を改めるとともに人心を一新するような活動があれば、それはまた別である。もしそうならない場合は、今より数年たたぬうちに亡国となり、その国土は世界の文明諸国に分割されることは、一点の疑いもない。なぜならば、麻疹と同じ文明開化の流行に遭いながら、支那・韓国の両国は伝染の自然法則に背き、無理にこれを避けようとして室内に閉じこもり、空気の流通を遮断して、窒息しているからだ。

「輔車唇歯」とは隣国が相互に援助しあう喩えであるが、今の支那朝鮮はわが日本のために髪一本ほどの役にも立たない。

のみならず、西洋文明人の眼から見れば、三国が地理的に近接しているため、時には三国を同一視し、支那・韓国の評価で、わが日本を判断するということもありえるのだ。例えば、支那、朝鮮の政府が昔どおり専制で、法律は信頼できなければ、西洋の人は、日本もまた無法律の国かと疑うだろう。支那、朝鮮の人が迷信深く、科学の何かを知らなければ、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思うに違いない。支那人が卑屈で恥を知らなければ、日本人の義侠もその影に隠れ、朝鮮国に残酷な刑罰があれば、日本人もまた無情と推量されるのだ。事例をかぞえれば、枚挙にいとまがない。喩えるならば、軒を並べたある村や町内の者たちが、愚かで無法、しかも残忍で無情なときは、たまたまその町村内の、ある家の人が正当に振るまおうと注意しても、他人の悪行に隠れて埋没するようなものだ。

その影響が現実にあらわれ、間接にわが外交上の障害となっていることは実に少なくなく、わが日本国の一大不幸というべきである。

そうであるから、現在の戦略を考えるに、わが国は隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はないのである。むしろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退をともにし、その支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別の配慮をすることなく、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れない。筆者は心の中で、東アジアの悪友を謝絶するものである。

出典:脱亜論 - Wikisource (翻訳:三島堂)

この文章に対して上述の渡辺氏は次のように評している。

文章をそのままたどっていくと、相当に激しい言説がストレートに表現されているようにみえる。一つには、福澤自身が他の文章でもそうだが、自己の主張を誤りなく伝えいるために、婉曲な表現を好まず、逆に、とかく誇張してものごとを記述するという文章上の性癖があったということ、二つには、甲申事変に際して朝鮮政府が行った、福澤の想像をはるかに超える余りにも残虐な開化派の弾圧に憤怒の情を胸中に満たしていたこと、これが直接の原因であろう。[中略]

朝鮮は開化派のクーデター1つによって変わるほど簡単な隣国ではない。これを機に朝鮮開化派への心情的な思い込みはやめ、西洋人が外国をそうみなしているようなパワーポリティクスの論理にめざめて、朝鮮にも対処していこう。そういうある種の自省を、この文章の中に読んだほうが正しい。

渡辺氏/p87

福澤はこの事件が起こるまで、朝鮮人と日本人は そうは違わないと思っていたのかもしれない。

おまけ:『世界国尽』(せかいくにづくし)

福澤は1869年(明治2年)の初冬に『世界国尽』を出版した。世界地理の入門書である。地理以外に、その国の歴史を説明している箇所もある。 (世界国尽 - Wikipedia )。

この本の中に支那について書いてある。

支那の政治の仕組みは、西洋の言葉で「ですぽちつく1」というもので、ただ上に立つ人の思い通りに事が進む状態のため、国中の人は皆、いわゆる奉公人の根性になり、「帳面前さえ済めば一寸のがれ2」という考えで、本当に国のためを思う者がなく、遂に外国から軽くみられるようになってしまいました。すでに天保年間、英吉利(いぎりす)に打ち負かされた時も、賠償金を払った上に、香港の島を英吉利に渡し、広東、廈門(かもん)、福州、寧波、上海の5ヶ所の港を無理に開かせられ、その後もふみつけられているようです。

1. でぽちつく(depotic) 独裁的な。専制的な。
2. 帳面前さえ済めば一寸のがれ 「帳面前」は帳面に記した状態。表向きさえ良ければ、その場を取り繕って責任をのがれること。

出典:齋藤秀彦 編著/福沢諭吉の『世界国尽』で世界を学ぶ/ミネルヴァ書房/2017/p13-14



  • 福澤のいう「脱亜」は支那と朝鮮のことを指すのであり、他のアジアの国々は関係ない。
  • 福澤は「脱亜入欧」とは言ってはいない。

中国人について⑤ 人間関係 その4 人間関係と権力/デメリット

前回まで、日本人の学者の本に頼って中国人について書いてきたが、今回は現代の中国人が書いた本*1に頼って書いていく。

私が参考にした日本人学者は幇や宗族という用語を使って、歴史から中国人の行動様式を抽出して表した。

今回紹介する現代中国人は、現代の事情の中から中国人の人間関係の問題を書いている。

中国人と日本人―ホンネの対話

中国人と日本人―ホンネの対話

なぜ留学生は帰国したがらないのか?の質問の回答の一つとして人間関係を挙げている。留学している中国人たちは以下のように答えている。

人間関係が非常に複雑な中国に比べて、外国の人間関係は はるかに単純である。外国にいればこの単純な人間関係のなかで、とても気楽に生活できる。だから帰国したいとは思わない。

出典:林思雲、金谷譲/中国人と日本人―ホンネの対話/日中出版/2005/p74(林思雲の筆)

中国人の共同体の外は弱肉強食の世界であり、いったん外に出たら全ての人が敵だと思わなくては騙されるのが中国社会だ、ということは前回までに書いてきた。

しかし、内側の人間関係でもまた、気を張り詰めていないと自分の財産が「仲間」によって いいように使われてしまう。

中国における人間関係

上で紹介した本の人間関係の説明。私が前回までに参考にした日本人学者とだいたい内容が一致しているが、用語はちがう。

中国人は人間関係のことを、「円(ユェン)」と、非常に視覚的な呼び方をします。自分を円の中心として、周囲の人間関係は親近の度にしたがって幾重もの円を描き、次第に外へと広がっていきます。もっとも内側の円内に入るのは、両親や兄弟姉妹といった「親人(チンレン)」(肉親)です。その外の円には「親朋好友(チンパンハオヨウ)」(親友)で、さらにその外の円には隣人や職場の同僚といった「熟人(シューレン)」(知人)、そして一番外側が「外人(ワイレン)」(他人)です。

近代になって西洋の平等思想が中国へと入ってきましたが、平等の観念は、中国に入ると変質しました。西洋人の平等とは「友人にも敵にも同じように公平であること」、言い換えれば絶対的な平等です。しかし中国人の平等は相対的な平等です。

相対的な平等というのは、"内を先にし外を後にする"、つまりその人間との親疎の濃淡によって対処の仕方を変えることです。これは、相手との関係の程度にしたがって優先順序をつけるということでもあります。具体的に言いますと、肉親には九分、親友には七分、ふつうの友人には五分、ただの知人なら三分の心と力を充てるということです。これを "関係を「整頓」する" と言います。

出典:同上/p83-85

もちろん、赤の他人には無関心だ。

人間関係と権力

例を一つ。

著者の林思雲氏が通っていた大学で、彼の友人の親戚に食堂の勤務員がいた。この勤務員はご飯とおかずを盛る係で友人はいつも他の学生の倍くらいの量を盛られていた。

つまり、ご飯とおかずを盛ることはその勤務員の権力になっており、親戚である友人はこの権益にあずかることができる。羨ましいと思うどころか歪んでいるとしか思えないが、これがまかり通るのが中国社会だ。

さて、食堂の中の権力だけならまだいいのだが、これが政治や裁判の場までまかり通る。

日本人は問題があれば、まず政府に頼り、法律によって解決しようとするはずです。しかし中国人は、問題が起これば、なによりも先に親しい友人のところへ行こうとします。友人の助けによって問題の解決を図るのです。

政府官員による権力の私物化をいまだに克服できないのが中国の現状ですが、その原因を考えると、文化に深く根を張る、 "関係を整頓する" という考え方につきあたります。

しかし権力を私物化して個人的な利益の追求に用いるのが、中国人がとりわけ物質的利益に貪欲なせいだとするなら、それは当たっているとは言えません。中国では多くの場合、権力を私物化したり私利を図ったりする現象は、賄賂を受け取るといった、物質利益をむさぼる形で発生するわけではありません。もっと単純に、友だちのために、情実から、権力を私(わたくし)の目的に用いるのです。

出典:同上>p88-89

仲間の誰かが なにがしかの権力を手にした場合、その権益はその権力者の円(人間関係)の順序によって仲間に供与される、と思われている。だから裁判になれば法の公正よりも人間関係が先にくる。これが中国が「人治であって法治ではない」と言われる理由になる。この慣習に背いて法の公正に従って判決を下した裁判官は仲間全体から不興を買って、さまざまな困難にみまわれることになる。(p89-90)

友人を持つデメリット

事例をもう一つ。

最近、趙君は車を買いました。彼の車を買った喜びは、すぐに車を借りにひっきりなしにやって来る友人たちがもたらす頭痛によって取って代わられました。ある日、友人の某が彼の車を数日のあいだ借りて、他省に住む親戚の家へ遊びに出かけたのですが、戻ってきた車は傷だらけで、メーターは数千キロもの走行距離を示していたそうです。趙君の苦悩は筆舌に尽くしがたいものがありました。しかも数日後、車が故障して、その修理に数千元もかかりました。そこで趙君は、もうだれにも車は貸さないと決心したのです。そのおかげで、趙君の友だちは激減しましたが、彼の頭痛も激減したとのことです。

出典:同上/p92-93

ジャイアンのようなガキ大将ならこの社会は心地よいかもしれないが、のび太のような人だったら苦悩は筆舌に尽くしがたいだろう。

簡単に言えば「タカられる」。権力にしても、車にしても。そして お裾分けしないと仲間から裏切り者扱いされる。最悪の場合、友人が敵になる。上の本では友人が仇敵になるのは特別なことでもないらしい。

タカられる他に「友人ならカネを貸してくれて当然だ」という空気もある。これを断るために予め貸せない理由を考えておかなければならない。さらに貸せなかったことに対して何度も謝らならなければならない。(p93)

このほんでは、こういった煩わしい人間関係を海外に移住または留学して断ち切った例を紹介しているが、宗族の場合は断ち切るのが難しいのではないか。またはアウトローの幇(秘密結社)も。

*1:正確には中国人と日本人の共著

中国人について④ 人間関係 その3 二重規範と共同体

中国人社会を説明するために「二重規範」という用語を使ったほうがいいと思い、書いてみた。

二重規範と共同体

二重規範ダブルスタンダードと解されることがあるが、違う。

ダブルスタンダードは二枚舌というネガティブな意味で使われるが、二重規範は中立な用語だ。

かつての古代のベドウィンの民。沙漠の流浪民なのだが、チャンスがあれば、隊商でも村落でも、ほしいままに略奪し、皆殺し・・・ ・・・。

こんなこと、古代ベドウィンの倫理・道徳では、少しも不倫でも非道でもない。全くもって、倫理的・道徳的な行いそのもの。

では、古代ベドウィンの倫理・道徳において不倫・非道とはどういうことなのか。

まず、卑怯未練であって、あるいは未熟であって、まともな戦闘ができないこと。戦う民たる古代ベドウィンにとってこれほど不倫・非道はない。

ここまでなら、日本人にもよくわかるあはず。日本武士にとって、「卑怯者」と呼ばれることは最大の屈辱であり、不倫・非道のうちの最大のものであるのだから。

が、古代ベドウィンの倫理・道徳は、そこには止まらない。

略奪、強姦、虐殺ができるのにそれをやらないこと。

これもまた、古代ベドウィンからすると、たいへんな不倫・非道徳。

なんて言ったら途端に反論が出てきそう。太古のベドウィンなんて、そんなとんでもない民族(people)を引き合いに出してきたって、それはあんまり意味がない、と。

とんでもない。

古代ベドウィンだけではない。太古だけではない。前近代社会においては、どこでもいつでも、こんなぐあいであった。あに古代ベドウィンのみならんや。

前近代社会においては、日本の倭寇だって誰だって、基本的にはこんなぐあいであった。

これは、一体全体、どういうことか。

倫理・道徳は自分たちの集団の中にだけ存在するのであって、集団の外には存在しない。いや、正確に言うと、倫理・道徳は、集団の内と外では、全くちがったものとなる。すなわち、二重規範(double norm)となるのだ。[中略]

二重規範が共同体(ゲマインデ)(Gemeinde, commune)の特徴であると、マックス・ウェーバーは言った。中国の帮(ほう)は、共同体を作っているのである。

出典:小室直樹著/小室直樹の中国原論/徳間書店/1996/p23-24

上にあるように、二重規範の内側が共同体。共同体と言えば普通は「コミュニティ=社会集団または地域社会」の意味だが、社会学だと前者の意味になる。

幇(帮)も共同体だが、宗族も共同体。

世界トップクラスの安全性を保っている現代日本社会に住んでいると共同体の有り難みが薄れるが、中央政府すら信じることのできない中国では共同体の内と外の違いは白と黒のようにはっきりとしている。

さて、今度は中国の人間関係の話。

日本の社会と比較した「グワンシ[人間関係の意味--引用者注]」のもうひとつの特徴は、個人と個人の関係が共同体のルールを超えることだ。

日本でも、会社のコネで手に入れたチケットを友人に回す、などという行為は一般に行なわれている。しかし機密情報の漏洩など、重大なルール違反にまで手を染めるひとはほとんどいない。だが中国では、「グワンシ」のあるひとから依頼されれば会社のルールはあっさり無視されてしまう。これが日本企業が、「中国人は勝手に情報を持ち出す」と不満を募らせる理由だ。

なぜこのようなことが起きるかというと、日本と中国では「安心」の構造が異なるからだ。

日本の場合、安心は組織(共同体)によって提供されるから、村八分にされると生きていけない。日本人の社会資本は会社に依存しており、不祥事などで会社をクビになれば誰も相手にしてくれなくなる。だからこそ、会社(組織)のルールを私的な関係よりも優先しなくてはならない。

それに対して中国では、安心は自己人の「グワンシ」によってもたらされる。このような社会では、たとえ会社をクビになったとしても「グワンシ」から新しい仕事が紹介されるから困ることはない。だが自己人(朋友)の依頼を断れば、「グワンシ」は切れてすべての社会資本を失い、生きていくことができなくなってしまうのだ。

出典:中国人はなぜ裏切るのか―― 裏切られることを前提とする社会 | デイリー新潮 2018(橘玲氏の筆)

  • 引用の中の「(共同体)」は社会学の用語ではなく、一般的な社会集団の意味。

上の引用は幇についての説明だが、宗族でも同じだ。同じ共同体の構成員にルールや法律以上のものを求めてくる。

中国の共同体と「事情変更の原則」

資本主義において契約は絶対である。契約が結ばれてしまえばそれまで。契約は必ず、文面通りに実行されなければならない。事情変更の原則は許されないというのが資本主義の大原則である。

事情が変わったから(いったん結んだ)契約を変更してくださいという「事情変更の抗弁」を許していたのでは、経済主体(消費者と企業)は目的合理的(消費、生産)計画を立てることや、商品、資本のスムーズな流通ができなくなるからである。そのために市場機構が自由に機能しなくなること、いや市場がそもそも成立しないことをおそれて、資本主義は事情変更の原則を拒否したのであった。(p86)


日本人が「中国人は信用できない」と言うときの大きなテーマの一つが、この「事情変更の原則」である。中国人はすぐ、約束したときと事情がこう変わりました、ああ変わりましたと、それを理由に約束を反故にしてしまって平気である。反故にまでしなくても、勝手に変更しておいて涼しい顔をしている。(p27)

出典:小室氏

中国人は何故このようなことを平気でするのか?その理由は共同体と二重規範にある。

共同体の内側の規範は絶対だが、外側はそうではない。内側では契約など無くとも口約束でもそれを破った構成員には人生を台無しにしかねない大きなペナルティが下されるが、それにくらべれば、事情変更による契約の不履行で起こるペナルティなど屁でもない。

さらに言えば、契約の不履行が珍しくない中国社会の中では もはや社会的ペナルティが発生しないかもしれない。そんな中で、日本人が「事情変更の原則が認められない」という資本主義の根本原則を求めてもどうにもならない。むしろ、いいカモにされるだけだ。

だいたい、「事情変更の原則」は地方行政ですらやっている。以前紹介したTwitterに埋め込まれている動画がその証拠だ。

https://twitter.com/sumerokiiyasaka/status/1019161698521894913

「事情変更の原則」は本当に事情が変わった時に為されることもあるかもしれないが、日本人が直面した場合はただ単に騙されたのだろう、と思わずにはいられない。

中国人は共同体の外のルールや法律を全く守らないと言っているわけではない。自分に有益なものについては守り、また、法律に守られる権利も主張する。しかしそうでない場合や共同体の内側の利益と相反する場合、外側のルールは軽視される(といっても外側のルール違反のペナルティが内側のペナルティより重ければ話は変わってくる)。



本文は以上。

故・小室直樹博士は、日本は資本主義社会ではない、または未熟だとずっと書いていた。
また、上で紹介した『中国原論』では、日本は会社を共同体化したと書いているが(p172-174)、その現象は20年以上続いたデフレのおかげで消滅した。
私は21世紀の現代日本は資本主義社会だと思っている。


かなり断言して書いてしまったが、以前にも言ったように、私は、中国人と知り合いになったことは一度もない。


中国人について③ 人間関係 その2 幇(パン)と情誼(チンイー)

前回、宗族について話したが、今回は「幇(パン、ほう)」について。中国語では「帮会(パンフェ)」。

幇を一言で表せば「義兄弟」。ただし、この関係は宗族よりも、本当の兄弟よりも繋がりが強いと定義する人もいる。小室直樹著『小室直樹の中国原論』*1で紹介されている幇の代表例は「桃園の義盟」。つまり、劉備関羽張飛の義兄弟の契りだ。

ちなみに、google翻訳を使って「帮会」を和訳したら「ギャング」と出た。英訳はもちろん「Gang」。 幇は歴代王朝末期に現れる秘密結社として使われる用語だが(清末の青幇 ちんぱん が有名)、現代ではギャングとかマフィアを意味するようだ。日本でいう「~組」のように使われているらしい。

この記事では、ギャングやマフィアの話はせずに、共同体としての幇について書く。

「幇」とは何か?

中国は「関係(グワンシ)の社会」だといわれる。グワンシは幇(ほう)を結んだ相手との密接な人間関係のことで、これが中国人の生き方を強く規定している。

「グワンシ」は人間関係を「自己人(ズージーレン)」と「外人(ワイレン)」に二分することだった。「自己人」はインサイダー、「外人」はアウトサイダー一般にあたる。

自己人とは、自分と同じように100パーセント信用できる相手のことだ。人間関係でもっとも大切なのは血縁だが、情誼(じょうぎ)(チンイー)を結んだ朋友(ほうゆう)も自己人の内に入る。

それに対して外人は、文字どおり「自己人の外のひと」だ。「グワンシ」を持たない外人は、信用できることもあれば裏切られることもある。   中国人は外人を信用せず、すべてを内輪(インサイダー)でやろうとしている、というわけではない。それとは逆に、彼らは日々の仕事や生活のなかで外人ともおおらかにつきあう。ただ、どれほど親しく見えても、最後は裏切る(裏切られる)ことが人間関係の前提にあるのだ。

出典:中国人はなぜ裏切るのか―― 裏切られることを前提とする社会 | デイリー新潮 2018(橘玲氏の筆)

「朋友」が義兄弟、「情誼(じょうぎ)(チンイー)を結ぶ」とは義兄弟の契りを結ぶということだ。

もう一つ、岡田英弘氏の本から引用しよう。ただし、岡田氏は幇を「秘密結社」と書いている。

秘密結社の一員になるためには、義兄弟の契りを結ぶ必要がある。知識人階級の人々は科挙によって擬似的な親子関係である師弟関係を作ったが、それ以外の一般の人々は、秘密結社という、擬似的な兄弟関係を結ぶことによって、生きてきたのである。

たしかにどの秘密結社も、会員がなにかトラブルに巻き込まれたときには、仲間が協力して助け合う事になっている。結社には、それぞれメンバーであることを示す独特のサインがあり、その暗号を知っていれば、他の都市に行ってもその支部に草鞋を脱いで世話になることができる。病気になれば薬を作ってくれるし、仕事も世話してもらえる―こう書くと、いいことだらけのように見えるが、もちろんそんなはずはない。

いったん結社に入会すると、もうその人間はそこから抜けることはできないのである。

すべての結社は構成員の忠誠心によってその存立が支えられている。では、その構成メンバーの忠誠心はなにによって守られているのかと言うと、それは、アメとムチなのである。

つまり、メンバーであるかぎり、生涯、現実的な利益が保証される。しかし脱会することによるデメリットもまた甚だしい。このアメとムチが強力であればあるほど、その組織の基盤は強固なものとなる。アメリカのマフィアしかり、KKK しかり、日本のヤクザ組織しかりであり、一般の企業集団でも、この原則は変わらない。

出典:岡田英弘/この厄介な国、中国/WAC BUNKO/2001(『妻も敵なり』(クレスト社/1997)の文庫版)/p206

幇の歴史

「幇=秘密結社」とすれば、歴史は劉備たちの時代まで遡ることができるが、それとは違うギルドとしての幇の歴史を紹介しよう。

帮 ぱん
中国、明(みん)・清(しん)時代、漕運(そううん)に従う運糧官軍は、各地に設置された衛所に配せられ、一隻10人乗りの漕運船10~20隻で一帮をつくり、一衛所に数帮があった。帮はいわば船団で、輸送の際の行動、命令の伝達、給与の受領、経費の支出、相互扶助、監視などの単位である。彼らは生計の足しに、禁を犯して商品を密輸していた。清代では、乗組員10人のうち9人が民間から雇う水手なので、帮を細分して甲をつくって監視した。しかし密輸は盛行し、帰りの空船では私塩(やみしお)を運んだ。この密輸には風客といわれるボスが水陸に采配(さいはい)を振り、当局の取締りには鉄砲で武装抵抗し、清末には無頼の徒も漕運船に流入し、反社会的、反清的行動に出た。しかも漕運制度が崩壊し始めると、貧窮化した彼らは、太平天国などの反乱軍や、秘密結社などに身を投じた。哥老会(かろうかい)の一派、青帮(ちんぱん)にはとくに多く流れたといわれる。[星 斌夫]
『星斌夫著『大運河――中国の漕運』(1971・近藤出版社)』

出典:帮(ぱん)とは - 日本大百科全書(ニッポニカ)<小学館<コトバンク

石工のギルドが起源のフリーメイソンのようだ。フリーメイソンも秘密結社と言われている。と、結局、秘密結社の話になってしまった。

義兄弟(朋友)と他人のあいだ

上に、「情誼(じょうぎ)(チンイー)を結ぶ」とは義兄弟の契りを結ぶということ、と書いたが、この情誼というのは交友関係の深度の意味もある。

情誼が100パーセントの相手なら100パーセント信用できる相手といこと、つまり義兄弟。義兄弟の契りは絶対。

しかし情誼が40パーセントとか60パーセントなら相対的な関係になる。

それでは情誼の説明を小室氏の本『中国原論』に頼って、経済(商売)の場面を利用して紹介しよう。

まずは資本主義社会における自由市場を思い起こそう。自由市場(完全競争市場)において、価格は需給によって決まる。しかし中国社会の市場は違う。「情誼が薄いものには高く売り、厚いものには安く売る」(p125)。

中国では、市場機構だけではなく、情誼もまた価格を決定する。この例からも明らかなように、情誼は、利害を基礎におく。利害(関係)の背後には情誼がある。

中国人の商売、商品(資本、労働力を含む)の売買は情誼によって規定される。また、情誼を深めるために行われる。このことを知らないと、中国では商売できない。スローガン的に言えば、商売の背後に人間関係あり。商売だけではない。賄賂もまた同じ。贈収賄の背後にも情誼がある。同じことを頼んでも情誼の深い人は、より少ない賄賂でやってくれる。情誼の浅い人は、大きな賄賂でないとやってくれない。情誼のない人は、どんなに大金を積んでもやってはくれない。つまり、賄賂のタダ取られである。

出典:中国原論/p132

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出典:中国原論/p125

上図で外側の実線は情誼と(情誼の無い)他人の境界。情誼の中の点線は情誼の「深さの程度」を表している。

次に、商売上での情誼の深め方を書き留めておこう。

市場法則(例。価格決定)が、情誼の特性によって左右される!

彼らは金だけを追求する商売を軽視する。商売を通じて、豊かな人間関係が成立したにと満足しないのである(孔健『中国人―中華商人の心を読む』総合法令、1994年)。

すなわち、中国人の商売とは、

商売は、金と物のやり取りをすることだけではない。人間と人間の付き合いなのだと彼らは硬く信じている(同右)。

それゆえに、中国では情誼の有無で二重価格が生じる。

全く同じ品物でも、中国では買い手によって、値段がちがう(同右)。

換言すれば、

商人は、情誼を深めたい相手には安く売る。また、安く売ることによって情誼をもつ相手のネットワークを広げてゆく(同右)。

そして結局、

中華商人は、買い手によって、価格が異なることを不道徳だとも不当だとも思っていない。
むしろ当然の商法だと考えている(同右)。

中国の二重価格は、人種差別によるものでもなく、寡占によるものでもない。情誼の有無による。[中略]

情誼の「有無」でなく、その「深さの程度」を変数にとれば、同様にして三重価格、四重価格・・・ ・・・も説明される。

出典:小室直樹/数学嫌いな人のための数学/東洋経済新報社/2001/p159-160

ただし、幇の外の人はカモにされる可能性はある。情誼の無い(0パーセントの)人ならなおさらだ。

最後に

いちおう書いておくが、中国人の人間関係は上の説明よりももっと複雑だ。

小室氏によれば、「帮理論は、勿論、一つの理念型(モデル)であり、中国を理解するに当たっての、最も根本的ではあるが最単純な理念型」と ことわっている。



上述のデイリー新潮の記事に書いてあるが、人間関係の内と外を分けるということが「幇(パン)」の本質なのだが、このことについては次回の「二重規範」で書こう。


*1:徳間書店/1996/p19

中国人について② 人間関係 その1 宗族

中国の人間関係の一部「宗族」のことについて書いていたらやたらと長くなってしまったので、一つの記事にする。

宗族とは何か

宗族とは《父系血縁集団+部外婚制》である。氏族(共通の祖先を持つ血縁集団*1 )の一種。

父系(血縁)集団では父から男子へ受け継がれる集団のこと。女系は排除される。男系の子孫だけが死んだ人の魂を祀ることができる*2

部外婚制は、宗族の外から嫁を娶ること。この嫁は結婚しても姓は変わらない。岡田英弘氏の言葉を借りれば、「いつまでたってもよそ者扱いされている」、「極論を言えば、中国において女性とは、跡継ぎを作るための道具に他ならない。」*3

部外婚制は、近親婚の生物学的弊害のこともあるが、嫁を娶ったり出したりすることで他集団と同盟(主に商売上のネットワーク)を結ぶことができるという効用がある。

氏族集団の場合、構成員の相互の系譜関係が明確でないが*4、宗族の場合、父方の系譜をたどれば誰がどこの宗族かが分かるようになっている。ただし、数代前までの祖先を覚えていなければならないが。

同姓不娶(同姓不婚)という言葉があるように、同姓と結婚することはタブーだった。ただし同姓でも宗族が違えば結婚できるのだが、好まれないらしい。

宗族には、「輩行字(はいこうじ)」という慣習もあった。

輩行字(はいこうじ)とは、中華圏の名のつけ方の慣行で、同じ宗族の世代ごとに、名(諱)に特定の漢字を使うことをいう。漢字そのものを共通にするのではなく、同一の偏旁を用いることもある。

儒教社会では世代の尊卑が重要であり、年下であっても自分より上の世代の人間には敬意を表す必要があるし、呼び方も変わる。自分の属する世代(輩分・輩行)を示す輩行字は世代をはっきり示す意味がある。

一般に、輩行字に何を使うかは親が決めるのではなく宗族の会合によって決定・維持され、族譜に記される。記憶を容易にするために詩の形式になっていることが多い。

出典:輩行字 - Wikipedia

ただしこの慣行は「大陸では現在ほとんど廃れている」とのこと*5

次に、宗族を保つために必要なもの。

宗族に必要なものは一般に「族譜」、「族産」(祖先祭祀、子女の教育や相互扶助に用いる共有財産)、「祀堂」の3点セット。

出典:中国の宗族 - ダオ・チーランのブログ・パシフィック

族譜 - Wikipedia」によれば、これは系譜の他に、「重要な人物の事績、重要な事件、あるいは家訓などを記載した文書」とある。また、「女系の先祖・子孫は掲載されない。」

「祀堂」(祠堂)は祖先祭祀を行う場所。

血縁集団の利点

日本には「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があるが、中国の場合は近くの他人は あくまでも他人で、親戚(宗族)の方が遥かに重要だ。

たとえば、異国の地で2人の見知らぬ中国人がばったりと合う。少し話をするうちに両者が同じ宗族だと分かると、その時から彼らは苦楽を共にする仲間になる。*6

世界各地に散らばるチャイナ・タウンは中国本土が不安定化した場合の移住先としての保険となるだろう。もちろんチャイナ・タウンに宗族の構成員がいればの話だが。

こう考えると、子息の留学先も亡命先の候補になり得る。現代の中国共産党幹部の子息の多くは海外留学をしているが、幹部たちは財産流出や海外亡命のために子息を海外海外留学させているのではないかと中国内外で囁かれている。

ただし、多くの留学生が超有名大学でちゃんと学業を修めて帰国している。どの程度の割合なのかはわからない。

小室直樹の中国原論

小室直樹の中国原論

宗族の歴史

中国人はどうして、上のように、地縁より血縁を頼るのか?歴史的な(?)答えは以下の通り。

宋代以降の宗族形成・拡大の主な要因は、
(イ)合格者とその一族はものすごい特権が得られるが世襲はできない科挙に、合格者を出し続けるため(遠い親戚までの大勢の中から優秀な子供を集め、資金も一族が共同負担して英才教育すれば、合格の確立は上がる)
(ロ)実際の生活・経営の単位である小家族が、激しい社会流動のなかで生き残るための相互扶助(特に明清代に切実になる。現代も?) に求められる。ただし地域差なども大きい。華北より華中南で宗族が発達するのだが、その原因は十分わかっていない。

出典:中国の宗族 - ダオ・チーランのブログ・パシフィック

上のリンク先は宗族の歴史にも簡単に言及している。

宗族の歴史は、
(1)周代の宗法(戦国期までに崩れる)
(2)宋代の士大夫の宗族形成
(3)(明初にいったん弾圧されるが)明代中期以降とくに清代の宗族の大衆化
の3段階で理解できる(革命で弾圧されたが、改革開放政策下で復活)。
発表を聞いていて思ったのだが、従来の周代だけ教えるやり方は、紀元前から19世紀までずっと同じ状況が続いたと誤解させる点で、インドのカースト制(ヴァルナ制)の教え方と同じだ。これではいけない。

出典:中国の宗族 - ダオ・チーランのブログ・パシフィック

宗族と地域社会

以上、宗族は地縁集団ではなく血縁集団であることを述べてきたが、戦乱のような社会流動が無い平時は基本的に地域集団として機能している。

宗族が強い機能をもつのは、地域集団化していることも一つの条件になる。一村落の大半が同一宗族で占める、いわゆる単姓村や、複姓村であっても一定の区画に集まり住んでいる場合、日常の相互協力や外敵からの防御に有利である。また一集落にとどまらず、隣接数集落にわたって万を超す人口が集まっている例も華南や台湾中部においてみられる。

このような経済力を反映し分化をとげた宗族の構成は、未開社会に多くみられる均質な個人を単位とする単系出自集団の場合とは対照的であり、中国のような文明社会で父系組織が根強く機能しえた原因の一つであった。また、中国の伝統的政治機構も、たとえば藩政期の日本のように個々の農民を直接掌握せず、在郷地主であり知識人でもある郷紳層を介しての間接的なもので、村落レベルでの紛争も反乱に結び付かない限り、これら有力者を中心とした自治に任されていたことも、宗族の結合を強めた。宗族内から高級官吏資格試験である科挙の合格者を出すことは、単なる名誉にとどまらず、地方政治における利害関係と結び付いていた。またときに武闘を交えた各宗族間の勢力争いに生き残るためには、内部に矛盾や対立を抱えていても、外に対しては団結する必要があった。多額の費用と労力を要する族譜の作成や、豪華な装飾を施した祖廟(そびょう)ないし祠堂(しどう)、莫大(ばくだい)な面積を占める族田の存在は、こうした脈絡において意味をもつのである。

以上のような宗族は、宋(そう)代以降おもに華南において発達した。その原因としては、〔1〕名族が南に移り新開地で展開形成した、〔2〕入植開拓の際に必要であったこと、〔3〕治安の悪さから一族団結が必要であったこと、〔4〕水稲耕作による高生産力を維持するため、などと結び付けた説明が試みられている。[末成道男]

『モーリス・フリードマン著、末成道男他訳『東南中国の宗族組織』(1991・弘文堂)』

出典:宗族(そうぞく)とは - 日本大百科全書(ニッポニカ)<小学館<コトバンク

参考になる動画

以下の動画の前半部分では、宗族を含む中国社会について東洋史家の宮脇淳子氏が説明している。

【7月24日配信】皇帝たちの中国 第2章 第3回「稲作伝来は朝鮮半島からではない?!高句麗は強かった」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube 2018



*1:氏族(しぞく)とは - コトバンクを参照

*2:岡田英弘/この厄介な国、中国/WAC BUNKO/2001(『妻も敵なり』(クレスト社/1997)の文庫版)/p84

*3:岡田氏/p84

*4:氏族(しぞく)とは - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典<コトバンク

*5:族譜 - Wikipedia

*6:小室直樹小室直樹の中国原論/徳間書店/1996/p148

中国人について① 中国人社会は日本人社会とは全く別物

私自身は中国人との付き合いが全く無いので、書籍その他に頼って書いてみよう。

いくつかの記事に分けて書いていく。

今回は、「中国人社会は日本人社会とは全く別物」「中国人社会は弱肉強食」「中国人はなぜウソをつくのか」という話をする。

しかし「中国人はなぜウソをつくのか」の問いの答えは簡単だ。「中国人社会は弱肉強食」だからだ。

中国人と日本人の行動原理は全く違う

一衣帯水という言葉がある。一本の帯のように見える水という意味で、川や海の幅が狭いことを指す言葉である。日本と中国の関係を言うときに、よく使われてきた。それほど、日本と中国の関係は地理的にも精神的にも深いと言われている。

ところが、それほど親密な隣人であるはずの中国人との付合いにおいて、戦前にしてもそうだが、ことに戦後半世紀以上にわたって、政府にしても、企業にしても、日本人はことごとく対応を誤ってきた。「中国人のやることは分からない」これがすこしでも中国人と付き合ったことのある日本人の率直な感想だろう。いや、親しくなればなるほど分からなくなる、と言ったほうがいいかもしれない。[中略]

中国を知ろうと思うなら、まず同文同種、一衣帯水という幻想から自由になる必要がある。[漢籍に]「書かれていること」だけを読めば、さながら彼らは日本人の同胞であり、友人のように見える。

だが、それは違う。中国人には、中国人独自の行動原理がある。そして、それらは日本人とは極端にかけ離れている。だが、それを理解しないかぎり中国人を理解することはできないのである。

出典:岡田英弘/この厄介な国、中国/WAC BUNKO/2001(『妻も敵なり』(クレスト社/1997)の文庫版)/p18-20

西暦2000年前後の中国は、まだ発展途上国であり人件費も安いので、日本の企業は中国へ渡り会社を作った。当時の日本が不景気だったことも企業を後押しした一因かもしれない。しかし多くの企業が「対応を誤っ」て失敗し、財産を無くして日本に帰ってきた。

この厄介な国、中国 (ワック文庫)

この厄介な国、中国 (ワック文庫)

岡田氏がこの本を書いたのも、そのような背景があったからなのだろう。しかし、この本が出版された後も日本企業が中国へ渡って現地でカモになっている状況は続いた。

このあたりの事情はネットで調べればすぐ分かる。「日本 企業 合弁 中国 騙され」でググった結果、最初に出てきたのが動画付きの一連のツイートだった。参考になると思う。

https://twitter.com/sumerokiiyasaka/status/1019161698521894913

他人はすべて敵/中国人理解のキーワード「バルネラビリティの原理」

アメリカに住む、中国系作家マキシーン・ホン・キングストンは、移民の子供として生まれた女性であるが、彼女が書いた自伝的作品集『ウーマン・ウォリアー』の中に、年老いた母親が自分の理想を語るくだりが出てくる。

それによると、彼女の母親にとっての理想の暮らしとは、大家族がひとつの家の中にひしめき合って住むことだという。どの部屋も子どもたちでいっぱいで、誰かにぶつからずには方向を変えることもできない―それが私にとっての幸福なのだ、と母親は語るのである。

大家族の中で暮らすのが理想―これは一見すると、ひじょうに美しく麗しく、懐かしい話に聞こえるかもしれない。しかし、日本人とまったく違うのは、中国人の場合、これは裏を返せば、同じコミュニティーに属さない人間はまったく信用しない、ということに繋がる点である。(p65-66)


「自分の住んでいる家を一歩出れば、まわりにいる人間はすべて敵であり、自分の寝首を掻こうとしている」という人間観が産み出すのは、言うまでもなく「弱肉強食の世界」である。他人から付け込まれる前に、他人の弱みに付け込めというのが、中国人の行動原理の第一条である。

私はこれを「バルネラビリティ(vulnerability)の原理」と呼んでいる。

バルネラビリティとは「傷つけられやすさ」という意味の英語である。他人に対して、付け込まれやすいところを見せてはいけない―それがバルネラビリティの原理である。

中国人社会において、最大のタブーは他人に弱みをみせることである。それは普通の意味での弱点、短所ばかりではない。例えば、他人に対して親切であるというのも弱みになる。人を疑わないような善良な人間ほど、付け込まれやすいものはない。また、悠長なのもヴァルネラビリティになる。おっとり構えているということは、それだけで奇襲攻撃に弱いということである。[中略]

中国人社会において最も望ましい、理想的な人間というのは、誰に対してもつねに緊張を崩さず、毅然とした態度を維持する人間なのである。(p74-75)

出典:岡田氏/前掲書

日本人どうしの場合、妥協のために相手が一歩引いたらこちらも一歩引こうという提案は成り立つが、中国人の場合は相手が一歩引いたらこちらは一歩出るのが普通のことになる。

中国人と相対する場合(中国人だけに限らないのだが)、日本人は日本人と相対するような行動をとっていけないと、常に意識していないと痛い目に遭う。

「妻も敵なり」

中国人は一歩表に出れば、敵だらけだと思っていると書いたが、実のところは、それ以上に厳しい世界に住んでいる。彼らは家庭に帰っても、気を緩めることができない。なにしろ、男にとって最大の敵は、自分の妻であるからだ。

妻ほど自分の私生活をしりつくしている人間はいない。つまり自分の弱点を最も握っている危険人物は、妻なのである。[中略]

極論を言えば、中国において女性とは、跡継ぎを作るための道具に他ならない。もちろん、この場合の跡継ぎとは、男の子のことである。女の子を産むようでは問題外である。

なぜそこまで男の子にこだわるのかというと、中国では男系の子孫だけが死んだ人の魂を祀ることができるからである。そうでない者、つまり娘がいくら供物をしても、それは死者の口に届かない。そのため、男系の子孫が途絶えた家では、死者は永遠に腹をすかせていなければならない―だから、男の子を有無かどうかが「家」の最大の関心事となるのである。[中略]

そんなわけだから、いきおい女性のほうも防衛上、強か(したたか)にならざるをえない。ありとあらゆる手段を講じ、亭主の弱みを掴んでいなければ自分の身が危うくなる。[中略]

そうなると、今度は夫のほうでも防衛策を講じることになる。妻に弱みを見せないのは当然のこと、妻の弱みを捕まえようと必死になる―かくして、中国の夫婦関係はどんどん殺伐たるものになっていくのである。

出典:岡田氏/p83-86

この本の元の名前は『妻も敵なり』。中国人は結局のところ、外へ出ても家に帰っても気を抜くことができないという…。日本人にもそういう問題を抱えている人がいるだろうが、日本人のそれとは次元が違うのだろう。

中国人が仙人になりたかった理由

家の内外で休まるところの無いような状態で生きていれば、一人になりたいと思うだろう。中国人の場合、これが仙人思想につながっていく。

中国文化の産物の中には、日本人が親近感を持っているものが数多くあるが、その中でも山水画は最右翼だと言っていいだろう。山水画に描かれた風景を見て、その美しさに心を動かされる日本人は多い。しかし、あの山水画は、実は単純な写実画ではない。

単に風景を描いたように見えるこの山水画には、よく見ると必ず小さく家が描かれている。峨々(がが)たる山がそびえ、誰も訪ねて来そうもないようなところに、ぽつんと建っている家にひとりでいるとなると、日本人にしてみれば、寂しくてしかたがないと思うことだろう。

ところが、中国人にとっては、そのような場所こそが理想郷なのである。

なぜならば、そこには他人がいないからである。まわりに他の中国人がいない絶対の孤独の中だけ、中国人は安心して人間らしい生活を送れる。つまり、これが彼らの深層心理を形成しているものの正体であり、この山水画とは中国人の理想郷である仙境を描いたものに他ならない。

だが、この仙境に住むためには、仙人にならなくてはならない。仙人とは、不老長寿を手に入れた人のことである。[中略]

中国人にとっての不老長寿というのは、死ぬ前にこと世界を離脱することなのである。生きたままこの世を離れる、つまり、言語矛盾のようだが、死んでも命があるようにということである。そして、この世界を離脱して住む場所こそが仙境ということなのである。

出典:岡田氏/p100-101

ところで、始皇帝は不老不死の仙薬をみつけるように、各地に命令を出していた証拠が近年見つかったと言う。

「不老不死の薬探せ!」 始皇帝の命令、木簡から確認:AFPBB News 2017年12月26日

始皇帝が不老不死になって仙人になって、独りで仙境に住みたいと思っていたのだろうか?兵馬俑を作らせた始皇帝がそんなことを考えているとは思えないのだが。

まとめにかえて、別の本と動画を紹介

ここで別の本を紹介しよう。

中国人と日本人―ホンネの対話

中国人と日本人―ホンネの対話

中国人の留学生が帰国しないのは何故か?という問いに対する答えの一つ。

今日の中国社会には基本的に ”誠実さ” や ”約束を守る” ということが欠落していて、種種雑多な詐欺や虚偽が溢れている。外国のほうが ”誠実さ” や ”約束を守る” という点については はるかに確実で、毎日の生活において安心感が得られる。だから帰りたくない。

出典: 林 思雲(ペンネーム), 金谷 譲/中国人と日本人―ホンネの対話/日中出版 /2005/p75

中国人社会にどれだけ誠実さと信頼が無いのかを有害食品を例にして書いている。

中国政府の中央電視台(CCTV)が近年、「毎週質量報告」で暴露した有害食品には、たとえばこのようなものがあります。

  • 農薬に浸けた火腿(ハム)
  • 工業用オキシドール(毒性が高い)で漂白した肉松(肉のでんぶ)
  • 毛髪水(毛髪を塩酸で分解し、アミノ酸を分離したあとの廃液。有毒)が混入した醤油
  • 発ガン性の強い「吊白塊」(ホルムアルデヒドスルホキシル酸ナトリウム)で漂白した腐竹(湯葉)[中略]

いま述べた例からだけでもわかりますが、中国の生活には安全というものが基本的に存在しません。日本でもいかがわしい中身の商品や偽の食品が世を騒がせます。しかし中国ではそれがもう途方もない状態になっていて、日本とはとても比較にならないと言えます。食品製造者が基本的な道徳というものを欠いていて、有毒な食品を平気で製造するのです。これは、中国の社会においては ”誠実と信頼” というものが危機に瀕している事実を示しています。

出典: 中国人と日本人/p97-99

有名な2007年のダンボール肉まんはフェイクだったようだが、これよりも危険な食品が中国人社会に出回っていたそうだ。

近年、中国人たちが来日して「爆買い」をする理由の一つは、日本で売られたものが全て本物で、疑う必要がないかららしい。

  *   *   *

もうひとつ、今度は動画。

特別番組「中国の歴史は●●から始まった~石平先生と語る五千年の歴史」倉山満【チャンネルくらら・8月9日配信】 - YouTube

上の動画は石平氏の本『中国五千年の虚言史 なぜ中国人は嘘をつかずにいられないのか』の番宣。

この記事において、上の動画で重要なところは冒頭30秒あたりから石平氏本人が語る中国人とウソの話。

要約すると以下のようになる。

日本にはウソをつく人を指す『ウソつき』という名詞があるが、中国には無い。なぜなら中国人にしてみればウソをつくことはご飯を食べるくらいに日常茶飯事であり、みんながウソをつくからだ。日本人でもご飯を食べる人を指す『ご飯たべ』という名詞がないのと同じだ。
ではなぜウソをつくのか?
中国においてはウソをつくことは道徳とは関係ない。生きていくために必要なことだ。

また、19分10秒あたりから、中国に渡って騙された中小企業のオジさんの話をしている。本人が直接関わった話だ。

当時の石平氏に この中小企業の人が言うには、交渉相手の人を指して「あの人の目を見ろ。あの人がウソをつくように見えるのか。」それに対して石平氏は「あんな目は中国人だったら誰でもできるよ」と言った。

如何に日本人が中国人にコロッと騙されたかというエピソードの一つ。

日本人は中国人のウソに警戒すべきだが、警戒しても多くの人が騙されているというお話。

  *   *   *

以上2つ、岡田英弘氏の主張に合致する例として紹介してみた。



「エジプト文明」カテゴリーの主要な参考図書およびウェブサイト(中王国時代まで)

中王国時代までで一旦「エジプト文明」を離れる。

ここではこれまで利用した主要な参考図書およびウェブサイトを書き留めておこう。

ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)

古代文明と気候大変動―人類の運命を変えた二万年史 (河出文庫)

古代文明と気候大変動―人類の運命を変えた二万年史 (河出文庫)

↑これは文庫化したもの。

緑のサハラから文明誕生まで参考にした。

緑のサハラくらい昔だと考古学上の遺物が少ないので、気候変動というキーワードは1万年前~誕生までの歴史を推測するには必須。

当時の状況の描写(推測だが)をしてくれるのでイメージしやすい。

高宮いづみ/エジプト文明の誕生/同成社/2003

エジプト文明の誕生 (世界の考古学)

エジプト文明の誕生 (世界の考古学)

著者の紹介→髙宮 いづみ - 近畿大学

農耕・牧畜の始まりから文明誕生までの本。文明成立以前の文化の発展が分かる。

考古学の本だが読みやすかった。といっても素人には分からないところも少なくない。

高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006

古代エジプト文明社会の形成―諸文明の起源〈2〉 (学術選書)

古代エジプト文明社会の形成―諸文明の起源〈2〉 (学術選書)

先史から古王朝時代まで。先史は少なめ。

少なめの通史概説と王権や宗教などのテーマ別の解説。解説は先史・初期王朝時代・古王国時代と分かれていて読みやすい。索引がついている。

馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017

古代エジプトを学ぶ: 通史と10のテーマから

古代エジプトを学ぶ: 通史と10のテーマから

著者の紹介→馬場 匡浩 – 早稲田大学 高等研究所

通史とテーマ別の解説に分かれている本。

著者は先王朝時代あたりが専門ということで、通史の本なのに先史にかなり紙幅を割いた珍しい本。これはこれで有難かったが、古王国時代や中王国時代の通史がピラミッドとその他建築物で埋まっていて、通史部分の建築物以外の事項が疎かになっている。

テーマの方は、上記の高宮氏のような時代別に分かれていない。索引もついてない。

Amazon的な評価をつけるとすると、個人的には大変お世話になったので星3つ(できれば3.3くらい)にしたいのでけれども、これから古代エジプトの通史を読みたい学びたいという人たちのことを考えると、涙をのんで星2つにするだろう。

ただし第2中間期以降は読んでいない。

ピーター・クレイトン/古代エジプトファラオ歴代誌/創元社/1999(原著は1994年出版)

古代エジプト ファラオ歴代誌

古代エジプト ファラオ歴代誌

歴代王の治世を簡潔に並べたもの。王の事蹟を調べるにはもってこいの本。

中王国時代はこの本にお世話になった。

杉勇・尾形禎亮(ていすけ)(訳・解説)/エジプト神話集成/ちくま学芸文庫/2016

(『筑摩世界文学大系 1 古代オリエント集』(1978年)の「エジプト」の章を文庫化したもの)

エジプト神話集成 (ちくま学芸文庫)

エジプト神話集成 (ちくま学芸文庫)

「神話集成」とあるが、中王国時代の文学も多く取り扱っている。解説がとても詳しくて信頼できる。

当ブログでは、分画そのものよりも、解説に書いてあった時代背景の部分を引用した。

  *   *   *

以下はウェブサイト。下以外にwikipediaも使った。

ナブタ・プラヤ|太古の天文学|Nabta Playa|人類歴史年表

ナブタ・プラヤについて膨大な資料を提供しているサイト。

古代エジプト研究

主に「古代エジプトの歴史」の通史から引用した。

こちらの資料も膨大。

無限∞空間 別館 エジプト神話研究所

主に「古代王国 歴史之書-王権の記録-」から歴代王の事蹟を調べるのに利用させてもらった。

こちらのサイトの参考文献リストの多さを見ると自分が恥ずかしくなる。