歴史の世界

兵家(12)孫子(まとめ)

この記事で『孫子』は最後。まとめる。

著者は呉の将軍、孫武

古代より『孫子』の著者が誰であるか議論されてきたが、最近ではオリジナルは孫武が書き、後世の人々がこれに手を加えたというのが通説らしい。

現在私たちが読んでいる『孫武』は三国志曹操が編纂させた『魏武注孫子』(全13篇 )である。

記事
兵家(1)孫子(『孫子』は誰が書いたか)

孫子』が著された背景

孫武の時代は春秋時代末期。

春秋時代の前半の戦争はルールがあった。この時代は戦争にまで「仁」とか「義」が重んじられた。これを破ると諸侯たちから避難されたのだろう。

『真説 孫子』の著者デレク・ユアン氏は「支配者たちの目標を達成する手段としては、戦闘よりも抑止と外交のほうが好まれたのである」 *1 と書いている。戦争自体で実利を得るのではなく、強さを示して外交交渉を有利にするための手段として戦争を活用したということだろう。また諸侯たちに承認されなければ戦争で得た実利(領土など)は我が物にならなかったのかもしれない。

春秋時代も後半に入るとこのルールが崩れる(春秋時代全体の秩序が乱れていったため)。次第に戦争自体に実利の追求を求めるようになった。

このような時代の中で為政者は試行錯誤したに違いない。『孫子』はその試行錯誤の集大成のような存在だったのだろう。

孫子』は新しい時代(戦国時代)の戦争を決定づけたものの一つである。

記事
兵家(2)孫子(春秋時代前期の戦争)
兵家(3)孫子(春秋時代後期の戦争)
兵家(4)孫子(春秋時代末期から戦国時代の戦争へ)

孫子』の内容

孫子』の現代語訳など、詳細についてはネットでいくつか見られるのでここでは書かない。

孫子』の本質的なものは2点。

ひとつは、君主・将軍に戦争に対して慎重になって開戦の決断時に国益を考慮することを求める。

戦争をすれば多大なコストがかかることは避けられず、戦争することになればそのコスト以上の利益がなければならない。相当の利益を出すには、事前に情報を収集して綿密なシュミレーションを行い、それで勝つ算段がつけば決行する。決して感情的になって兵を動かしてはならない。

兵書と言うと戦法(如何に戦闘で勝つか)が書いてあるイメージがある。『孫子』にもそのようなものが多く書かれているが、『孫子』の特徴は政治レベル(戦略レベル)のことに言及して、戦術レベル(如何に戦闘で勝つか)で勝っても戦略レベルで利益を得なければ戦争の意味がない、いや、国益を考慮しない戦争は国を滅ぼすから厳に慎まなければならない。

上のような考え方は、『孫子』の端々にまで行き渡っている。

浅野裕一氏は『孫子』の特色として「自国内では戦うな、攻城戦をするな、必要のない戦闘をするな、敵を騙して楽勝せよ、情報戦に力を注げ、長期持久戦を避けよ」などを挙げて「すべてこの[戦争のコスト]マイナス面をへらそうとする意図から出ている」と書いている(浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p210)。

記事
兵家(11)孫子(君主は開戦について慎重にすべし、戦略的成功を常に心がけるべき)

もう一つ、兵は詭道なり」(始計篇)。戦争とは敵を騙す行為である*2

この言葉にも1つ目の考えが貫かれている。つまり自軍を強くしたり大軍で敵を圧倒するコストよりも、敵を罠にハメて圧勝するに力を注ぐべきだと説いている。

そして最善の策は「戦わずして勝つ」。

上述のユアン氏は「戦争の目的は、敵をある程度コントロールすることにある」(ユアン氏/p173)と書いている。スパイを活用して敵の中枢を握ることができれば「戦わずして勝つ」ことも可能になる。

記事
兵家(7)孫子(地域的背景:『孫子』は中国人社会の中で生まれた)

孫臏兵法

まず、『孫臏(そんびん)兵法』と『孫子』の関係から。

孫臏は戦国時代初期の斉の人で威王の治世の将軍田忌の軍師だった。桂陵の戦い・馬陵の戦いに参戦した一人で、強国・斉を支えた。

史記孫子呉起列伝の主人公の一人。この列伝によれば百数十年離れた孫武の子孫とのこと。

孫臏が『孫子』の著者であるという説もあったが、1972年に山東省にある前漢代の墓から現行の『孫子』13篇を含む孫武の著書とは別に孫臏の著書が発見された。ここに『孫子』の著者が孫武であることともに、孫臏の著書が現代において確認された。孫臏の著書は『孫臏兵法』と呼ばれる。

『孫臏兵法』

『孫臏兵法』は『孫子』『呉子』に比べて はるかにマイナーなので、少しだけ書くに止める。

孫臏は『孫子』に手を入れた一人だと考えられている人物で、『孫臏兵法』も『孫子』の思想がベースになっているという *3

ただし、孫臏の時代は孫武より百数十年も経っており、戦争のやり方も変わってきている。浅野氏は『孫臏兵法』と『孫子』の違いとして、騎兵・攻城戦・陣法を挙げている。騎兵は孫武の時代にはなかったものであり、孫武の嫌った攻城戦は人口増加→都市(邑)の増加のため攻城戦を避けてばかりではいられなくなった。また陣法は戦争が長期戦持久戦化・複雑化する中で陣法の重要性が飛躍的に増大した *4

また、戦争に最も重要なことは「必攻不守」であれ、つまり侵攻を主とする戦略をとることに重きを置いている(『孫臏兵法』威王問)。戦争に慎重を求めている『孫子』とは対象的だ。この『孫臏兵法』の主張の背景には当時の斉の政治的経済的発展がある。同時代の秦の宰相の商鞅は斉について「負海の国(斉を指す)、攻戦を貴ぶ」(『商君書』兵守篇)と評している *5

知っていると役立つ「東洋思想」の授業

知っていると役立つ「東洋思想」の授業



*1:デレク・ユアン/真説 孫子中央公論新社/2018(原著は2014出版)/p76

*2:浅野氏/

212

*3:熊谷光晃/知っていると役立つ「東洋思想」の授業/日本実業出版/2016/p169

*4:浅野氏/p232

*5:村山孚・訳 松枝茂夫+竹内好・監修/中国の思想[Ⅹ] 孫子呉子徳間書店/1996/p312-313

兵家(11)孫子(君主は開戦について慎重にすべし、戦略的成功を常に心がけるべき)

諸子百家 (図解雑学)

諸子百家 (図解雑学)

開戦には慎重を期すべし

浅野裕一氏が『孫子』の特色を簡単に書いていたが、始めに書いていたのが以下の文章。

孫子兵学の特色はさまざまあるが、第一は、戦争が経済に及ぼす悪影響を強調する点である。孫子は、戦争がいかに大量の物資を消耗し、国家経済を疲弊させるかを力説して止まない。孫子は、戦争なる手段が宿す否定的側面を直視するよう求めるのである。

出典:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p208

このあと幾つかの特色を書いた後、また「第一」のことを強調している。

以上の諸点が、孫子兵学の大まかな特色なのだが、これらの特色のすべてが、戦争がいかに代償の大きい手段であるか、そのマイナス面に対する深刻な認識に帰着する点に注目すべきであろう。この点を深く認識すれば、戦争に対する慎重な姿勢が求められるのは当然である。『孫子』が、開戦の決断は慎重にせよ、自国内では戦うな、攻城戦をするな、必要のない戦闘をするな、敵を騙して楽勝せよ、情報戦に力を注げ、長期持久戦を避けよ、などと主張するのも、すべてこのマイナス面を減らそうとする意図から出ている。

出典:浅野氏/p210

  • 浅野氏の挙げる「第一」以外の特色は、上の引用にある「開戦の決断は慎重にせよ、自国内では戦うな、攻城戦をするな、必要のない戦闘をするな、敵を騙して楽勝せよ、情報戦に力を注げ、長期持久戦を避けよ」。

226・227ページでは「君主と将軍の責務――死者は再び生き返らない」という節を設けて、君主に感情に任せた軽はずみな開戦をしないように求め、将軍にも同様に戦闘の開始に慎重になることを求めている。

このように、口を酸っぱくして言うように戦争の開始、戦闘の開始に慎重さを求めている。

君主は戦略的成功を常に心がけるべき

戦果と終戦
戦術的成功と戦略的成功は異なるものである。

戦術的成功
・ 敵地・敵城を攻略する
・ 領地を獲得する

戦略的成功
・ 政治上の目的を達成する
・ 経済的損失を上回る利益を得る

君主は戦略的成功を常に心がけるべき
戦術的成功(戦果)を、戦略的成功へいかに繋げるかを考え、終戦のタイミングを見誤らないようにする。

出典:浅野氏/p227(図解欄より)

感情的な行動やその場の勢いでの行動をせず、開戦前から決められた戦略的目的と作戦に忠実に行動することを求めている。



兵家(10)孫子(戦略書としての『孫子』 後篇/全3篇 --道(タオ)--)

今回は道(タオ)の話。

今回もデレク・ユアン『真説 孫子』(中央公論新社/2016(原著は2014年出版))で語られるものを素人の勝手解釈で書いていく。

ユアン氏の語る『孫子』は著者である孫子孫武)の考えを発展させたものであり、孫武が語っていないことも含んでいる。

真説 - 孫子 (単行本)

真説 - 孫子 (単行本)

孫子』は後代に戦略書として研究され続けている

前回の最後に書いたが、タオなどを含む中国戦略思想は『孫子』が出来た後に成立した。

そして、その後も研究されている。戦略は どの時代にも研究されているが、中国の戦略思想の源泉には『孫子』と『老子』(=『道徳経』)が含まれている。つまり、これらより後代の戦略家たちは『孫子』や『老子』を研究し、その中の思考・思想を発展させていった。

孫子』と道(タオ)の関係について、ユアン氏は『李衛公問対』から『孫子』の言及の部分を引用している。

本題に入る前に、引用を書く前に、『李衛公問対』について。

李衛公問対

「問対」というのは「問いに対(こた)える」という意味。「李衛公」は唐の皇帝李世民(太宗)に仕えた軍人・政治家の李靖のこと。『李衛公問対』は李世民が李靖に兵法に関するあらゆることを質問し、それを李靖が答える、時には李世民も意見を述べる、という形式で進行していく。

ただし、これらの問答は事実ではなく、上のような設定(フィクション)を使って別の人が書いたとされている。誰が書いたのかは確定していない。書かれた時期は唐末から宋初。

本書の中で李衛公は『孫子』を高く評価していて、著者の思想にも『孫子』の影響が強く現れているようだ(後述)。

以上の情報は守屋洋守屋淳『[新装版]【全訳「武経七書」】司馬法・尉繚(うつりょう)子・李衛公問対』(プレジデント社/2014<旧版は1999年発行>/p22-28)参照。

『真説 孫子』を訳した奥山真司氏は『司馬法』『李衛公問対』については上の本を(も?)利用している。

李衛公の『孫子』の解釈

この「李衛公」は『李衛公問対』の中の登場人物。フィクションです。上述の通り『李衛公問対』は架空の設定であり、実在の人物や団体などとは関係ありません。

太宗が尋ねた。
「兵法のなかで、どれが最もすぐれているか」

李靖が答えた。
「『孫子』にすぎるものはありません。私は、かつてそのなかに書かれていることに三等の序列をつけ、兵法を学び者に順をおって学ばせました。それは道、天地、将法の三等です。

一、道――これ以上素晴らしく、かつ微妙なものはありません。『易』に『聡明叡智、この世の乱れを鎮め、厳刑を用いずして万民を服させる』とありますが、これこそ道にほかなりません。

二、天地――天は陰陽、地は険易を指します。用兵にたけた将軍は、わが陰をもって敵の陽を奪い、険阻な地に拠って、平坦な地にいる敵を攻撃します。『孟子』にいう『天の時、地の利』がこれに当たります。

三、将法――人材の登用と武器の充実を言います。『三略』に『人材を得る国は強大になるとありますし、また、管仲は『武器は堅固で使いやすいものにする』と語っていますが、そういうことにほかなりません」

太宗は言った。
「その通りだ。私が思うに、戦わずして相手を屈服させるのが上策、百戦百勝は中策、堀を深くし城壁を高くして守りを固めるのは下策である。してみると『孫子』にはこれらのことがすべて網羅されている」

出典:守屋洋守屋淳/[新装版]【全訳「武経七書」】司馬法・尉繚(うつりょう)子・李衛公問対』/プレジデント社/2014<旧版は1999年発行>/p410-411

『真説 孫子』では、上の解釈を元に話を進めているので、これに従って書いていく。

戦略の階層としての「道・天地・将法」

上の「三等」すなわち「道・天地・将法」は、『孫子』の「五事」すなわち道・天・地・将・法に由来する。

「三等」では「五事」を同列の事柄とは見ずに、3つの戦略の階層に分けて考えている。

上の引用を読むと、「将法」については「人材」や「武器」が出てくることから分かるとおり、戦争においての末端の話になる。その上にあたる「天地」は「天の時、地の利」の言葉が表すように戦略(戦術?)を司る階層になる。そして「道」は「万民を服させる」、つまり戦争の話をする上で内政まで含まれてくる。

翻訳者の奥山氏がyoutubeで説明するところによれば *1 、「天地」が大戦略(Grand Strategy)レベルで、「道」はその上(Policy、Vision)と説明されている。

ちなみに、孫子が「五事」を提唱した頃はほぼ5つの「事」は同じレベルの扱いで、「道」については政治とほぼ同等視されていた。李衛公の解釈は『孫子』に由来するが『孫子』そのものを超越した(中国)戦略思想である。

達成度を表す「道・天地・将法」

『真説 孫子』には戦略の階層としての「道・天地・将法」のほかに、達成度を表す「道・天地・将法」のことも書いてある。同じことを言っているのかもしれないが、ここでは別個なものとして書いておく。

「将法」は末端の基本レベルの話。「常識を集めたもの」「基本であり、初心者向けのもの」(デレク氏/p48)。

「天地」とは ほぼ「陰陽」のことだと思えばいい、と思う。ここで問題となるのは「天地」レベルから「道」レベルに移行するためには、「天地(≒陰陽)」を1つのセット、1つの系として捉える。ユアン氏はこの1つの系を「一つ」もしくは「無形」という語で表している。(p50)

前回 に書いたように陰陽論では「攻守」「敵味方」を相対的に捉える(一方が弱まれば、他方が強まったと見なす)。これらを1つの系として捉え、さらに把握してコントロールすることができると、次の「道」の入り口にまで到達できる。(p51)

そして、「道」すなわち「タオ」。

「天地(≒陰陽)」レベルの最高到達点の「無形」もしくは「一つ」(つまり1つの系)は、「道」のレベルでは基本的な要件でしかない(p52)。

中国の思想における究極の状態を表す道(タオ)は、単に陰と陽の連続した相互作用――しかもこの中に状況の中の両極端が存在する――によって構成されているだけだ。したがって、二元的なものを一体化することは、道のレベルに進む際の基本的な要件となる。一度これがわかれば、われわれはこの概念的なツールを使ってシステム全体を理解することや、その相互作用や連結を知ることができるようになる。道は自然の観察から来たものであるため、タオイストたちは自然から出てくるものが最も客観的で公平であると想定している。したがって、道の究極の目的は「一である根源」の把握を通じた、絶対的な客観性の獲得なのだ。

出典:ユアン氏/p52

  • ユアン氏のいう「タオイスト」は『老子』(=『道徳経』)を編纂した老子の後継者たちのことで、かつ、中国戦略思想の完成者を表す。

というわけで、「道(タオ)」の究極の目的は、「絶対的な客観性の獲得」にある

しかし さらに続きがある。「究極の目的」の その先がある(それじゃ究極じゃないじゃないか、とは思うが先に進もう)。

たとえば呉子は以下のように語っている。

道とは、根本原理に立ちかえり、始まりの純粋さを守るためのものである。 *2

前漢時代に編纂されたタオイズムの書物の一つである『淮南子』の中には以下のような表現がある。

ここにいう道とは、円を旨として則(のっと)り、陰を背負って陽を抱き、柔を左にして剛を右におき、下に幽を履(ふ)んで上に明を戴き、変化して常無く、一である根源を体して、無方(あらゆる方向)に対応する。これこそ神明というものである。 *3

ここまで見てきて、「一つ」が二つあることに気づいた方もいるかも知れない。最初のものは、陰陽(もしくはあらゆる相対した現象)を見ることによって得られるものであり、これこそが「天」と「地」のレベルの最大の目標である。そして二つ目は道(タオ)に相当するものであり、これは道のレベルにしか存在しない。その複雑性と難しさから、二つ目の「一つ」は最初のものと比べても大きな飛躍となっている。その理由は、その目的がシステム全体、つまり宇宙を一つとして知覚するというところにあるからであり、この「一つ」こそが、「一である根源」、もしくは道と呼ばれるべきなのだ。

出典:ユアン氏/p52-53

おわかりいただけたであろうか?

私の勝手解釈では以下のようなものだ。

二つの「一つ」とは?

一つ目の「一つ」は、「天地(≒陰陽)」レベルにおける「天」と「地」(「陰」と「陽」)を「一つ」と考えることができるようになること。言い換えれば、天地や陰陽などの両極のものを一つの系として捉えて物事を考えられるようになること、そして究極的には一つの系をコントロールできるようになること。これは「天地(≒陰陽)」レベルにおける最高到達点であるが、「道(タオ)」レベルでは入り口でしか無い。

二つ目の「一つ」はシステム全体のこと。戦争や外交においては、「天地」「攻守」「敵味方」のような「一つの系」が幾つも存在する。「タオ」のレベルでは、これら幾つもの「一つの系」をすべて合わせた形でシステムすなわち「一つの系」と考えることができる。「天地」レベルの幾つもの「一つの系」を別個とは捉えずに全てが有機的に(つまりお互いに関連しあって)つながっていることを近くできる。たとえば、風が吹けば桶屋が儲かることを咄嗟に理解できる人は「タオ」の境地にまで到達した人と言える(蛇足のような気がしないでもないが要はそういうことだ)。

ちなみに、引用の中の「宇宙」は「システム全体」と意味は同じ。繰り返しただけ。深く考えない。

陰陽の続き。

[タオ]のレベルでは、

賢者/将軍たちは、自らの意識をすべてに通じさせることができるようになる。なぜなら彼らはなにかに焦点を絞るのを止めて、理想的な形や計画が導くようにしたわけであり、その意識を何か特定の強迫観念によって柔軟性を失ってしまい、何かにとらわれやすくなるような状況から開放されるからだ。こうすることによって彼は個人の視点に執着して排他的になるような、不完全性や硬直性から逃れることが可能になったのである。言い換えれば、このレベルに至ってこの人物たちは地球全体性やプロセスのすべてを自分の意識の中に取り込むことができるようになり、現実の流れと同じような可動性と流動性の中に意識を置くことができるようになる。こうなると、賢者/将軍はものごと全体の流れを見据え、将来の変化について自信を持って予想できるような立場を得られるようになる……。(Jullien『A Treatise on Efficacy』p723)

出典:ユアン氏/p53

ちょっとたとえ話をしよう。イメージとしてはタオは以下のようなものだ、と思う。

プロ野球の一流のバッターは「内角でも外角でも、的確に察知して」ヒットにすることができる。これが「天地」レベル

これがイチローなどの超一流のレベルになると、「内角でも外角でも、高めでも低めでも、直球でも変化球でも、自然に体が動いて」ヒットを打つことができる。これが「道(タオ)」レベル(田尾ではない。太鳳でもない)。

バッターボックスに立って自然に構えて、ただ来た球を打ち返すだけ。これが一つ前の引用にあるような「一である根源を体して、無方(あらゆる方向)に対応する」という境地。

超一流のレベルになると、ピッチャーは何を投げても打たれるという心理に追い込まれるそうだ。まさに「戦わずして勝利を得る」。まあ実際は戦っているのだけれども、勝負は始まる前に既に決まっているところがポイント。

再び戦略の階層としての「道・天地・将法」

道=政治レベルとするならば、政治家は、軍人レベルより高次に、客観的に物事を考えなければいけない。

政治家は軍人より多くの事象を考えなければならない。政治家は(あらゆるレベルのひともそうだが)、末端のことまで考える必要はないが、タオレベルであらゆることが有機的につながっていることを認識して、究極的にはシステム全体をコントロールすることを目指す。この「システム全体」の中には味方だけではなく敵も含む。

そしてシステム全体をコントロールすることができると、『孫子』の究極的な目標である「戦わずして勝つ」ことができる。

道・天地・将法での政治家・武将の格付け

李衛公問対』の一部を引用。

李靖は言った。
「本人の書き残したものを読み、どう戦ったかを調べてみれば、おのずから古人にも等級をつけることができます。まず、張遼范蠡孫武の三人ですが、功遂げたあと、すっぱりと現世への関心を断って身を隠してしまいました。こんな生き方は、道を会得してなかったら、できるものではありません。

次に、楽毅管仲諸葛亮の三人ですが、戦えば必ず勝ち、守れば必ず守りぬきました。これは、天の時、地の利を把握していたからこそできたことです。

さらに、王猛は前秦を安泰に保ち、謝安は東晋を守り通しました。これは、よく人材を登用し、軍備を整えて守りを固めたからできたのです。

ですから兵法を学ぶさいには、下策から始めて中策に進み、それから上策に及ぶという順序を踏むことです。さすればしだいに理解を深めることができましょう。さもないと、やたら空言を弄し、字句を暗誦するだけに止まって、実践には役に立たないものになってしまいます」

出典:守屋洋氏・守屋淳氏/p411-412

范蠡の有名な言葉として『狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る』(狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われてしまう) *4 がある(正確には『史記』越王勾践世家)。

対外戦争と国内の権力闘争を1つの系で捉えて、もはやコントロールできないと判断して身を引いたのかもしれない。

おまけ1:再び『李衛公問対』について

上述の文献『司馬法尉繚子李衛公問対』の冒頭の解題の中で、『李衛公問対』について以下のように締めくくっている。

以上、他の兵法書にはない特徴を幾つかあげてみた。では、太宗と李衛公はどんな戦い方を目指していたのか。これについては、次の三つのことを指摘しておきたい。

一、「善く兵を用(もち)うる者は、正ならざるなく、奇ならざるなく、敵をして測るなからしむ」
 ――つまりは奇正の変化に熟達することである。

一、「虚実の勢を識れば、即ち勝たざるなし」
 ――つまり彼我の虚実を掌握し、つねに主導権を握って戦うことである。

一、「攻守の二事は、その実一法なり」  ――つまり攻めと守りをバランスよく組み合わせて戦うことである。

出典:守屋洋守屋淳/[新装版]【全訳「武経七書」】司馬法・尉繚(うつりょう)子・李衛公問対』/プレジデント社/2014<旧版は1999年発行>/p28

上述したことだが、この書は太宗(李世民)や李衛公(李靖)が書いた本ではなく、フィクションを使って構成の著者があらゆる兵書や軍人の名を挙げながら自らの思想を披露したものだ。

著者の考えは『孫子』そのものだ。

おまけ2:武田信玄上杉謙信について

上の「天地(≒陰陽)」と「道(タオ)」の説明を読んで思いついたことがある。

以前、海上知明孫子の盲点 信玄はなぜ敗れたか? 』を紹介したが、この本の中では、信玄を孫子、謙信を呉子として話を進めていた。

しかし、私は信玄が「天地」レベルの人で、謙信が「タオ」レベルの人ではないか、と思いついた。

ただし、信玄は戦争・外交ともに『孫子』を体現した人出会ったのに対し、謙信は戦闘では「タオ」レベルであったが、外交では『孫子』の体現者ではなかった(好戦的な性格のため外交で相手を押さえつけるようなことはしなかった)。

ただし、私の日本史レベルは高校教科書に及ばないので、以上のようなイメージがあってるかどうか分からない。

おまけ3:『呉子』の道(タオ)の解釈

道とは、根本原理に立ちかえり、始まりの純粋さを守るためのものである。 *5

出典:ユアン氏/p52

これは水に例えられる。水が入っている容器を揺らせば水面は上下するが、揺らすことを止めれば水平面に戻る。これが道(タオ)だ。

呉子』が何がいいたいかと言えば、「社会が揺れ動いても、最終的には元の秩序、つまりその地域に根付いている慣習に戻るのだ」と言っている。この意味で言えば、「道」とは慣習のことになる。



歴史における諸子百家のカテゴリーの中で『孫子』を書こうとしたつもりが、現代に通用する戦略書としての『孫子』を書いてしまった。

こちらの方が面白そうだったので、つい出来ごころで書いてしまった。


*1:動画名は《『真説・孫子』訳者、奥山真司が著者デレク・ユアン氏に聞いた孫子の真髄。「矛盾は解決するものではなく使うものだ!」|奥山真司の地政学アメリカ通信」》

*2:呉子曰、夫道者所以反本復始。『呉子』図国篇――ブログ主注

*3:所謂道者,體圓而法方,背陰而抱陽,左柔而右剛,履幽而戴明。變化無常,得一之原,以應無方,是謂神明。 『淮南子』巻十五 兵略訓――引用者注

*4:范蠡 - Wikipedia

*5:呉子曰、夫道者所以反本復始。『呉子』図国篇

兵家(9)孫子(戦略書としての『孫子』 中篇/全3篇 --陰陽--)

今回は陰陽について書く。

真説 - 孫子 (単行本)

真説 - 孫子 (単行本)

陰陽の原義と意味の拡大

陰陽【いんよう】
古代中国に成立した基本的な発想法。陰は山の日かげ,陽は山の日なたを表し,気象現象としての暗と明,寒と熱の対立概念を生み,戦国末までに万物生成原理となり,易(えき)の解釈学の用語となって,自然現象から人事を説明する思想となった。のち五行説と結合して陰陽五行説となった。

出典:平凡社 百科事典マイペディア<陰陽(インヨウ)とは - コトバンク

陰と陽の漢字の原義は、山の日のあたる側(陽)と影になる側(陰)の意味。「山陰地方・山陽地方」は原義通りの意味で使っている。

これが、上にあるように気象現象としての概念となっていく。ユアン氏によれば、孫子孫武)やそれ以前の時代ではその意味でしかなかったが、戦国時代の孫臏までの150年の間に「陰陽は中国の文化や哲学において最も重要な概念の一つとなった」(p39)。

その「重要な概念」の説明に入る前に断っておくが、『孫子』は初めに孫武が書いて それに孫臏や幾つもの時代の人々が手を加えて現代に残る『孫子』になっている。

中国の戦略思想における「陰陽」

さて、陰陽の概念とは何か。

ユアン氏の言うところの陰陽は上の引用から飛躍している。まず、「対となる自然現象の表現」から「Aと非A」という概念として使われるようになる。具体的には「正と奇」「虚と実」。ただし、自然現象の表現として生まれた「陰陽」は「Aと非A」を排他的存在とは見ずに連続したものだと解釈する。これが西洋と中国の考えかたに大きな違いを生み出している、とユアン氏は主張する。

例えば、西洋や日本では「戦争と平和」は別個のもの(排他的なもの)と認識されるが(つまりAと非A)、中国ではそうではないらしい。毛沢東は「戦争は血の流れる政治であり、政治は血の流れない戦争である」と言ったという。これは戦争と平和が連続していると考えていることの現れで、その考え方の下地に陰陽の概念がある、という。

孫子は戦争 *1 の中にいくつもの「Aと非A」となるものを考えた。敵と味方、攻守、正奇、虚実など。

陰と陽の概念の移り変わりは、実に大きな意味を持っている。陰陽の継続性という概念が確立してから、われわれは「強弱、遅速、多少のように、相反、保管的な状況を、陰陽という用語で説明できるようになった」からだ。これはわれわれが経験して通過すべき段階であったと言える。なぜならわれわれが状況を評価して機先を制するには、それを区別しておく必要があるからだ。陰陽を使えば、ものごとを正反対の視点から見られるようになるだけでなく、むしろその状況の全体図をみることができるようになるのだが、ここで忘れてはならないのが、陰陽のダイナミックな性質である。つまりこの二つは相互に連結していると同時に、浸透しあっており、相互依存状態にある。また、陰陽を図式化した「太極図」を見ればわかるように、相互関係にある「対」のものは、単に攻撃と防御の関係にあるだけでなく、一方から一方へと常に変化しつつあるのだ。このような有機的なパラダイムは、われわれ人間の理解力や順応性を強化する上で欠かせないものだ。

出典:デレク・ユアン/真説 孫子中央公論新社/2016(原著は2014年出版)/p40

上の陰陽を私の勝手解釈で以下のように説明する。

陰陽の概念を使うことで「Aと非A」を連続性のあるものと見なすことができる。つまり「Aと非A」を1つのセット、1つの系と見なすことができる。これによって「状況の全体図をみることができるようになる」。

陰と陽は、「一方から一方へと常に変化」する。静的なものではなく、動的な(ダイナミックな)ものであると認識することが重要。Aと非A、あるいは両者が変化すれば状況の全体図も変化する。常に全体図は変化するので、その変化を把握し、さらにコントロールしようというのが『孫子』の目指すところだ(兵家(7)孫子(地域的背景)参照)

このような考え方をすると、戦争の見方・考え方が常に相対的なものとなり、むしろ絶対的な見方を排除する。例えば「こちらが鉄壁の防御の体制を敷けば、敵に敗けることはない」という考え方。敵の情勢を考慮に入れずに、自陣の強化だけをしているようでは失格となる。

そして、陰陽の概念を使えば、前々回 紹介したように、自分たちが向上することよりも相手を貶めることのようが簡単だという考えを思いつくのは至極当然なことだ。

陰陽から道(タオ)へ

実際のところ、「陰陽を戦略的方策として使った『創始者』は、孫子である」と主張しても言い過ぎではない。陰陽の戦略への応用や、その概念とそれに関連した言葉の使用は、孫子の頃にはまだ完全に体系的になっていたわけではなく、もし体系化されていたら孫子は(形而上学的・哲学的な意味での)陰陽や道(タオ)のような概念を使っていたはずだ。これが可能になったのは、『道徳経』の編纂者たちが孫子のアイディアを積極的に吸収して改良した後になってからなのだ。

出典:ユアン氏/p115

創始者孫子孫武)の広い意味での後継者たちが陰陽の概念の体系化を完成させて、これを持って中国戦略思想が完成される。『真説 孫子』の第三章のタイトルは「孫子から老子へ:中国戦略思想の完成」で、ユアン氏は『道徳経』(=『老子』)の編纂者たちが中国戦略思想を完成させたとしている。

さて、道(タオ)は、陰陽の上位概念として紹介されているのだが、これについては次回に書こう。



*1:春秋戦国時代はリアルな戦争がなかった時も、毛沢東が言うところの「血の流れない戦争」であった。外交的における圧力や工作活動が日常茶飯事の世界だった

兵家(8)孫子(戦略書としての『孫子』 前篇/全3篇)

今回は戦略書としての『孫子』について書く。

戦略書としての『孫子

孫子』は今でも戦略書として研究されているらしい。デレク・ユアン『真説 孫子*1 によれば、西洋の戦略家に多大な影響を与えている。第五章のタイトルは「西洋における孫子の後継者たち」。「後継者」と呼ばれる戦略家たちは『孫子』を深く理解し、ただ個々の要素をピックアップして取り入れるだけでなく、『孫子』の思想・思考そのものを取り入れて自身の発案に反映させている。

現代中国においてはどうか? 現代というのは厳しいが、毛沢東が中国古典を読み込んで戦略を立てたという話は有名らしい。そして唐または宋の時代になるが、『李衛公問対』という兵書では『孫子』について詳しく言及されている。

ちなみに、古代中国に端を発する「兵書」の中の「兵」という文字には、戦略という意味も持つそうだ。 *2

ユアン氏は戦略書『孫子』において、重要なのは陰陽と道(タオ)だという。

戦略と戦術の違い

戦略と戦術の定義は数多くあるようだが、ここでは奥山真司氏の定義に従う。ここでは簡単な説明だけする(詳細に説明できるほど私自身が理解していない)。

f:id:rekisi2100:20190613104433p:plain

出典:

奥山氏によれば、戦略の階層は、「国家が戦争するときに、どういう事が起こっているのかをとらえる時に重要な概念」(戦略の7階層 - YouTube )。

国家という組織には階層があることは誰もが知っているが、その階層を概念(機能?)で分けると上のようなものになる、と理解すればいいだろうか。特に戦争が起こった場合、上の7つの階層がどのように動くのか、あるいは動かすのかが重要になってくる。

さらにこの7階層を「戦略」と「戦術」とに大きく二つに分けることができる。

すなわち、上から世界観から大戦略までが政治家が司る「戦略」。軍事戦略から技術までが軍人が司る「戦術」。これが奥山氏のいうところの「戦略」と「戦術」。

ここではこれ以上深く考えずに、上のようなものだということにして話を進める。

孫子』の全13篇と戦略と戦術

現代の残る『孫子』は三国志で有名な曹操によって整理された『魏武注孫子』で、著者の孫武が記したもの全てではない。

『魏武注孫子』は、一説には「曹操が軍の将校を養成する為の教科書」と言われている (【目からウロコ】魏武註孫子は○○○として編纂された | はじめての三国志 参照)。

この説が正しければ、将校にとって不要な部分(主に戦略面)が削られた可能性もあることを留意するべきだと思う。

さて、引用開始。

以下の13篇からなる。

  • 計篇 - 序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について述べる。
  • 作戦篇 - 戦争準備計画について述べる。
  • 謀攻篇 - 実際の戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について述べる。
  • 形篇 - 攻撃と守備それぞれの態勢について述べる。
  • 勢篇 - 上述の態勢から生じる軍勢の勢いについて述べる。
  • 虚実篇 - 戦争においていかに主導性を発揮するかについて述べる。
  • 軍争篇 - 敵軍の機先を如何に制するかについて述べる。
  • 九変篇 - 戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて述べる。
  • 行軍篇 - 軍を進める上での注意事項について述べる。
  • 地形篇 - 地形によって戦術を変更することを説く。
  • 九地篇 - 9種類の地勢について説明し、それに応じた戦術を説く。
  • 火攻篇 - 火攻め戦術について述べる。
  • 用間篇 - 「間」とは間諜を指す。すなわちスパイ。敵情偵察の重要性を説く。

現存する『孫子』は以上からなるが、底本によって順番やタイトルが異なる。

上記の篇名とその順序は、1972年に中国山東省臨沂県銀雀山の前漢時代の墓から出土した竹簡に記されたもの(以下『竹簡孫子』)を元に、 竹簡で欠落しているものを『宋本十一家注孫子』によって補ったものである。

『竹簡孫子』のほうが原型に近いと考えられており、 『竹簡孫子』とそれ以外とでは、用間篇と火攻篇、虚実(実虚)篇と軍争篇が入れ替わっている。

出典:孫子 (書物)#構成 - Wikipedia

普通に考えれば、計篇(始計篇とも呼ばれる)が戦略、それ以降が戦術だろう。ただし湯浅邦弘氏によれば、末尾の火攻篇と用間篇は「いわば特別篇として末尾に配置されたものであろう」という *3。湯浅氏は火攻も用間(スパイ活動/インテリジェンス)も特殊技術であるから他の篇とは異質だとしている。

前編のまとめ

さて、以上のように、13篇を戦略と戦術に分けてみたが、ユアン氏は冒頭に紹介したように、『孫子』全てを戦略書として読み(つまり上のような分け方を採用していない)、重要なのは陰陽と道(タオ)であるという。

次回は陰陽を、その次にタオについて書いていく。



*1:中央公論新社/2016(原著は2014年出版)

*2:ユアン氏/p90

*3:湯浅邦弘/諸子百家中公新書/2009/p243-244

兵家(7)孫子(地域的背景:『孫子』は中国人社会の中で生まれた)

ここでは、『孫子』の地域的背景すなわち『孫子』と中国人社会の関係について書く。

中国人社会については、当ブログで「中国人論・中国論」というカテゴリーがあるので参考になるかもしれない。

相手(敵)を如何に貶めるか

軍人などを除けば、ほとんどの日本人は『孫子』を中国古典として親しんだり、ビジネス戦略書として学んだりしている。

戦略学者の奥山真司氏は『孫子』を戦略書として読み、その結果、日本人は「『孫子』の本質を大きく勘違いしている」と語る。

真説 - 孫子 (単行本)

真説 - 孫子 (単行本)

デレク・ユアン『真説・孫子』を翻訳した奥山真司氏が独自の理論を加えて『真説 孫子解読 2.0 』というCDを発売している。

www.realist.jp

その宣伝番組の一部がyoutubeに残っている。

www.youtube.com

動画のタイトルは

孫子」の本質を大きく勘違いしている日本人。|「文学」ではなく、戦略学として「孫子」を学ぶために・・・|花田紀凱 竹田恒泰 KAZUYA 奥山真司 4CH合同特番

そして、サムネイルには

孫子』の真髄
迷惑を相手に押し付ける

『真説・孫子』の著者の戦略学者デレク・ユアン氏は奥山氏の英国レディング大学の博士論文のコースメイトであるという縁で翻訳が決まったそうだ。

奥山氏がこの動画で強調していることは、

日本人の『孫子』を教養として「自分を如何に律するか」という読み方をするが(自分の行動基準を形成するための一助として『孫子』を読む)、『真説・孫子』を読むと、『孫子』が主張しているところは(中国の思想全体もそうなのだが)自分がどうこうするのではなく「相手(敵)を如何に貶めるか」である。(要約)

また、動画の中での話だが、日本では戦争と平和は全く別の状態と捉えるのだが、中国の世界観では戦争と平和が一体化している(毛沢東曰く(戦争は血の流れる政治であり、政治は血の流れない戦争である)。

こういった『孫子』の考え方は現代の中国人の考え方と一致するという。

孫子』第一 計篇(始計篇)に「兵は詭道なり」(戦争とは敵を騙す行為である)という有名な言葉があるが、中国人社会では「ウソをつくことは生き残るために必要な手段である。中国人にとってウソをつかないということは人生を捨てるということだ」(特別番組「中国五千年の歴史を石平先生と語る!」倉山満【チャンネルくらら・8月2日配信】 - YouTube )。

大げさに言えば、中国人は日常で「血の流れない戦争」をやっている。

ちなみに、「迷惑を相手に押し付ける」の解説は動画の中で詳細にしているのでそちらを参照。

彼を知り己れを知れば、百戦危うからず

「彼を知り己れを知れば」の重要性は、「自己認識」と「敵についての情報収集」だけにとどまるわけではない。ここでの「知る」とは、敵の意図、特徴、そして思考パターンだけでなく、敵軍の精神状態を解釈する重要性を強調しているのだ。他の孫子の格言と同様に、この格言も、孫子が戦争を「敵の思考を攻撃するほうが他の攻撃よりもはるかに好ましい」とする、いわば「マインド・ゲーム」として捉えていることが鮮やかに示している。

出典:デレク・ユアン/真説 孫子中央公論新社/2016(原著は2014年出版)/p155

ただ単に「彼我の状況の把握」ではなく、「敵の思考を攻撃すること」がこの格言に含まれていることを認識することが より重要だ、ということだ。

「敵の思考を攻撃すること」とは、敵方に工作を仕掛けて「負けた側が状況をほとんど把握できない」ところまで思考プロセスを破壊すること、具体的には「敵に古くて役に立たない情報を与え、当惑して混乱させ、何も機能できなくする」(p169) *1。究極的には「敵の司令となる」(p159)。

また、以上のような工作ができなくても、例えば、敵の工作に引っかかったと思わせて敵の想定通りの行動をするとか、味方の氣(spirit)を常に保って敵方の氣が乱れることを待つこと、または、味方の「システム」を敵方に把握させない、なども「敵のの思考を攻撃すること」になるのだそうだ。

ここまでくれば、「兵は詭道なり」(戦争とは騙すことである)が、「戦争の目的は、敵をある程度コントロールすることにある」(p173)という意味を含むことも理解できる。

まとめ(中国人社会に話を戻す)

マイケル・I・ハンデル『米陸軍戦略大学校テキスト 孫子クラウゼヴィッツ』で著者が「戦略というものは、時代と場所を越えても変わらない」という考えを披露しているということを以前紹介したが、ユアン氏もこれを紹介していた(p174)。まあ私のソースはユアン氏の本を翻訳した奥山真司氏のブログなのだが。

さて、ここで中国人社会に話を戻そう。

「戦略は西洋でも中国でも変わらない」。そして『孫子』の思想は中国人社会の中にある。

つまり、「中国人は日常的に戦略を考えている」ということになる。

中国人社会は日常が戦場であるということは石平氏が言っていることだが、東洋史家の宮脇淳子氏も同様なことを言っている。宮脇氏の師匠であり夫の故・岡田英弘氏の『この厄介な国、中国』 *2 の第二章のタイトルは「他人はすべて敵と考える民族 ― なぜ彼らは、自分以外の人間を信用しないのか?」。

我々日本人は、国民一人ひとりが戦略家である中国・中国人とつきあっていることを認識しなければいけないのだろう。おそろしい。



春秋時代の前半までは『司馬法』に書いてあるような「ルールに則った戦争」をしていたようだが、後半あたりから秩序が乱れ、さらに荒れ果てて当時の中国人はどうしていいか分からなくなっていた。

そこに孔子が現れて「夏殷周の礼を復活させれば秩序も復活する」と唱えたが、一方で、孫子は「兵は詭道なり」と唱えた。そして現代中国は...国民一人ひとりが戦略家である。


現代中国社会の日常レベルで『孫子』の「兵は詭道なり」がまかり通っていることは、石平氏らが語っている。

では『孫子』の著者の孫武の時代にも中国がこのような社会であったのだろうか?

この時代は秩序が大いに乱れていたことは事実だ。だから孔子は古代の礼をもって秩序を復活させようとした。

おそらく現代の中国人社会の源流は春秋時代の後半辺りにあるのではないだろうか?


*1:以上は、本当は戦略家ジョン・ボイドの「OODAループ」という概念の一部だが、ユアン氏はこれを「まさに……孫子の考えが鮮やかに現れている」としている。ユアン氏はボイド氏を西洋における孫子の後継者としている。

*2:2001/ワック(『妻も敵なり』(1997/クレスト社)の改訂版)

兵家(6)孫子(他者・他書との比較 -- 対マキャベリ『君主論』篇)

記事タイトルどおり、他者(他書)との比較について書く。

今回はマキャベリ君主論』。

ソース

孫子』を『君主論』と比較しようなどと思ったのは以下の本があったから。

この本は以下の宣伝番組(youtube)を見て知った。

【9月14日配信】特別番組「孫子の盲点 信玄はなぜ敗れたか」日本経済大学教授・孫子経営塾理事海上知明 倉山満【チャンネルくらら】 - YouTube

さて、この本は武田信玄の戦争の歴史を大まかに書いている本だが、副題にある「信玄はなぜ敗れたか?」の答えが『孫子』にあるというのが著者の見立てだ。それがタイトルの『孫子の盲点』となる。

「信玄→『孫子』」、「信長→『君主論』」

孫子』は各種戦略論の中で比較すれば最上というだけで、唯一の万能の戦略書ではない。戦略書は『孫子』以外にもあるし、また『孫子』には限界もある。本書では、この二点を明確にするために武田信玄の一生をとりあげている。武田信玄という『孫子』の理論を最もよく身につけた人物の行動は、ある種の実験となっている。字面からではわからない『孫子』の問題点が、現実の中での実践を通じて明らかになるからである。また、本書では信玄の行動と、マキャヴェリ的な信長との比較も試みている。

出典:海上知明孫子の盲点 信玄はなぜ敗れたか/ワニ文庫(KKベストセラーズ)/2015*1/p3-4

この本では、両書を(用兵の本ではなく)国家戦略の本として比較している。

孫子』を勉強して骨の髄まで染み込んでいる武田信玄と、『君主論』は読んでいないが『君主論』の体現者 *2織田信長を比較することによって、「孫子の盲点」を説明しようとしている。

(『君主論』の他に『呉子』(上杉謙信)とも比較している。実はこちらの方がメインで、『君主論』(信長)は「刺し身のツマ」 *3 とのこと。)

両書の比較

著者・海上氏が上述の宣伝番組で言うところによれば、『孫子』は「サバイバルの書」、『君主論』は「統一の書」、だという。

君主論』の時代背景はルネサンス期の15世紀末から16世紀前半、イタリアの分裂時代。マキャベリは『君主論』でイタリア統一を成し遂げる君主像を描いた。

「幸運の女神は後ろ髪がない。前髪をつかめ!」←チャンスが来たら多少無謀でもいいからやれ、という意味。常にノーセカンドチャンスと思って行動すべし。

対して『孫子』の時代背景は春秋末の中国の分裂時代だが、この頃は まだ統一の雰囲気は全く無く、各国としては滅亡の危機を生じさせない国家戦略とはどのようなものか模索していた。だからサバイバルの書『孫子』が誕生した。戦国時代に入っても当分この考えが続いたので『孫子』は読みつがれたのだろう。

さて、これだけで「孫子の盲点」つまり弱点が分かっただろう。答えはスピードであった。

信玄 vs 信長

「人間五十年」と敦盛をうたって自らに「急ぐこと」を言い聞かせた信長は、大敗北を何度も喫しながらも領土を一気に拡大させた。

対して、常勝・武田軍団と謳われた裏には負けないための戦略書『孫子』があった。信玄は負けずに領土を獲得することはできたが、信長のように信長のスピードには叶わなかった。

信玄は遅ればせながらも上洛するために兵を進めたがその途上で死んでしまった。

海上氏によれば、信玄が信長のスピードを目の当たりにしても『孫子』に固執したのは、「身についた『孫子』の動きを脱することはできなかったのだろう」(p266)としている。あるいは「もしかすると、信玄の脳裏に信虎の失敗が忘れられなかったのかもしれない」(p265)、あるいは「信玄も佐久進出から村上義清との「上田原合戦」までの期間は、『孫子』的ではない戦いを演じて失敗している。その後『孫子』に戻り、着実な進み方をしている」(p259)。

そして極めつけが以下の文章。

「みだりに兵を動かすことなかれ」と述べた遺言には、最後の最後まで『孫子』的(不戦思想)な信玄の精神、兵力の損失と国力の消耗をひたすら嫌った「貧しい甲斐」の「孫子の徒」の精神がにじみ出ていた。

出典:p250

「イフ」の話、信玄が あと一年長く生きていれば。

海上氏の見立てでは、信玄は確実に信長を倒しただろうけれど、信玄の上洛の狙いは「統一」ではなく「(中国の春秋時代のような)覇者」になることだった。また、統一を目指しても信玄のやり方では何十年とかかるので無理な話だということ。

君主論』と比較して浮かび上がる「孫子の盲点」

孫子の盲点あるいは弱点・限界、それはスピードだった。

孫子』は軍事行動は短期間におこないうべしということは述べたが、なにかを成功させるにはすばやく行動せよというスピード重視とは異なった考え方である。[中略]『孫子』型の軍事行動の素早さの影には、膨大な時間をかけた準備が潜んでいる。軍事行動を最小限にするために謀(はかりごと)を重視し、損失を最小限に留めるためには当然代償が必要になってくる。

こうした膨大な時間をかけて大きなことを達成するという思想は、『孫子』のみに限ったことではない。中国思想にはしばしば「時の概念の欠如」がみられる。[中略] 中国の古典などを読めば、ときには一世代がかりの謀略なども登場している。[以下略]

出典:p260

「時の概念の欠如」すなわちスピードの重要性の欠如。

現代中国が膨張政策を採って世界を脅かしているが、その歩みは「サラミスライス戦略」と言われるような遅さをみせている。この裏には やはり『孫子』があるのだろう。

そして習近平の『孫子』的でない急拡大政策は「眠れるアメリカ」を起こしてしまって現在に至っている。評論家の石平氏習近平をバカよばわりし、同じく評論家の竹田恒泰氏は習近平因幡の白うさぎに例えている(ネット検索参照)。



宣伝番組では「信玄vs謙信」を熱く語り合っていた。私は謙信の凄さを理解していないので ついていけなかった。

*1:この作品は、2006年11月にKKベストセラーズにより刊行された『信玄の戦争』を底本に大幅に加筆修正を行なった再編集版です。--本書より--

*2:著者曰く「信長はマキャヴェリがその存在を知りえたら絶賛した人物である」(p258)

*3:宣伝番組の聞き手の倉山満氏の言葉(10分57秒 )。著者も同意している。