2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧
前回書いたウンム・ン=ナール文明からバールバール文明に移る。 バールバール文明 さらなる植民、ファイラカ島へ 衰退 バールバール文明 ウンム・ン=ナール文明があったオマーン(マガン)には銅鉱山と湾岸交易の中枢(首都機能)があったが、やがて、前三…
前回は湾岸文明の先史までを書いたが、今回は文明の時代に入る。 ウンム・ン=ナール文明 誕生の背景 銅山開発、銅製品、「バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群」 バット、アル=フトゥム、アル=アインの考古遺跡群 ウンム・ン=ナール文明と…
この記事のペルシア湾岸文明とはアラビア半島側の文明のことを指す。反対側のイラン(またはエラム)の文明は前回までの記事で書いた。 湾岸文明の先史から時系列を追うように書いていこう。 農耕文明と非農耕文明 ペルシア湾岸 ウバイド文化とペルシア湾岸…
「原エラム文明」の交易ネットワークは「トランス・エラム文明」が引き継いだが、その頃、エラムはどうなっていたか? この記事ではその頃のエラムの話を書く。 「原エラム文明」の終わり(おさらい) 初期王朝時代ⅢB期のエラム アッカド王朝時代のエラム …
前回の記事の第三節「スーサと原エラム文明の考古学」で前27世紀頃に原(プロト)エラム文明が崩壊したことを紹介した。 今回はその後継というべきイランの地の交易ネットワーク「トランス・エラム文明」について書く。 トランス・エラム文明 アラッタについ…
シュメール地方の西方にはエラムがあった。エラムは東方からシュメールまでの物流ネットワークの要地であった。エラムはその近さからシュメール文明の影響を多大に受けながらも独自の文化文明を築いた。 今回はその初めの文明「原(プロト)エラム文明」につ…
ウル第三王朝は約100年続くが、そのうち48年間はシュルギの治世だった。 前回のシュルギの記事でも書いたが、ウル第三王朝の事柄はシュルギの治世中にできてしまったので、彼より後の王たちについては書くことがあまりない。この王朝はシュルギの後に三代続…
ウル第三王朝の特徴として挙げられるもののほとんどはシュルギの治世に創設・整備された制度である。諸制度の創設・整備と同時並行して、シュルギは外征を繰り返して最大版図を築きあげた。つまりウル第三王朝の代表的な版図もシュルギの時代のものだ。 諸制…