歴史の世界

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

楚漢戦争⑳ 彭城の戦い

いよいよ彭城の戦い。漢王劉邦が西楚覇王項羽に宣戦布告して、楚漢戦争の本番が始まる。 ただし、楚漢戦争の始まりの時期は諸説あるようだが、このブログでは、劉邦が項羽に対して宣戦布告したこの時点を楚漢戦争の起点とする。そして彭城の戦いの起点も こ…

楚漢戦争⑲ 劉邦の躍進

前回までは項羽政権の全体を見てきたが、今回は劉邦の分封後の展開を見ていく。 劉邦の分封 巴蜀 漢中 韓信登場 劉邦の関中侵攻 漢の社稷を建てる 魏の攻略 陳平の劉邦陣営の加入 彭城の戦いへ 劉邦の分封 巴蜀 懐王は鉅鹿の戦いの前に諸将の面前で「先に関…

楚漢戦争⑱ 項羽政権の瓦解 後編

旧秦地域 韓・魏 楚地域 年表 彭城の戦いの直前までの情勢 旧秦地域 まず、劉邦は巴蜀と漢中を、秦の降将3将にそれぞれ関中を3分割して分封された。しかし、8月になると、劉邦は関中を征服し、旧秦地域全土をほとんど手中に収める。 項羽は激怒するのだが…

楚漢戦争⑰ 項羽政権の瓦解 前編

前回からの続き。 漢元年(前206年)1月に項羽による論功行賞(十八王分封)が行われ、いちおう項羽政権が始まる。しかし早くも5月に斉において反乱が起き、ここから項羽政権は崩壊の一途を辿(たど)ることになる。 漢2年(前205年)4月に反項羽軍によ…

楚漢戦争⑯ 十八王の分封と項羽政権

前回からの続き。 項羽の咸陽入場 十八王の分封 弱かった項羽政権 項羽の咸陽入場 鴻門の会により劉邦が全面降伏あるいは全面服従をした後、項羽と諸将は咸陽に入った。 『史記』において、劉邦が寛容な態度を示したのと対象的に項羽は残虐行為を繰り返した…

楚漢戦争⑮ 鴻門の会と懐王の約

前回の続き。 項羽の怒りを買い絶体絶命の劉邦は、項羽の陣営に訪問して弁明を行った。その場が有名な鴻門の会だ。 この話を理解する前に前提となる話である懐王の約もこの記事で扱う。 懐王の約 鴻門の会 懐王の約 鴻門の会の話に入る前に「懐王の約」の話…

楚漢戦争⑭ 関中における劉邦と項羽の確執

前回からの続き。 『史記』の中の関中における劉邦と項羽の行動は対照的だ。劉邦の寛容に対して項羽は非情の人に描かれている。この内容は今日の研究者によって少なからず疑われている。 前漢時代の人である司馬遷がこのように書くのは当然と思うのだが、そ…