歴史の世界

儒家(5)孔子(「天」と「仁」)

前回に引き続き、儒教における重要な要素を書いていく。

今回は「天」と「仁」。

「天」は孔子儒教を作った時の重要な要素の一つ。

「仁」は儒教の最高の徳目と言われている。

「天」

中国では古代に葬送儀礼を行なった集団を「儒」と称しました。そのように、儒といえば、もともとは民間の祖先祭祀の儀礼を専門的に執り行なう人たちを指していました。このことと深く関わるのですが、儒教には天を「天なる父」と崇拝する思想が顕著に見られます。

天の崇拝は中東から中央アジア北アジア遊牧民の間に広く見られます。孔子の時代の中国では、すでに定着農耕が広く行われていましたので、農耕民の間では、天は母なる大地に豊かな稔りをもたらす父の威力と感じられていました。

古代、天は天帝ともいわれる人格神として信仰され、王朝の君主は天帝の意志によって立てられたり、廃されたりするものと考えられていました。こうした天帝信仰を背景として、知識人の間では、天を世界のあらゆる物事を律する法則とみなす思想が生まれていきました。そして、やがては宗教的な信仰とは別に、孔子のように世俗的・非宗教的な道徳思想や哲学が中国に盛んとなっていったのです。

孔子は、古くからの父系血族の祖先崇拝を軸とする家族の道徳を、さまざまに価値づけて体系的に整理し、これを社会へ、国家へと拡張して一個の普遍的な道徳思想を完成させました。孔子が拠ってたったのが、「道徳は天の法則としてある」という普遍主義でした。

家族結合の強さが天下の秩序を強固なものにするということから、孔子は「君主や諸侯が家族的な連帯意識でまとまり、道徳にのっとった徳治政治を行なうべきだ」と説いて回ったのだと理解できます。当時は、実力主義で抗争が激化していた時代でした。そのように、力による政治を否定し、道徳に基づいた家族主義的な国家と政治のあり方を説いた孔子に、儒教の根本を見ることができるでしょう。

出典:呉善花(お・そんふぁ)/日本人として学んでおきたい世界の宗教/PHP/2013/p211-212

「天」の思想は、殷代末に西北の牧畜民であった周族が中原に流入したもの。「帝」は殷代中期の武丁が「採用」した一神教的な神。この2つが西周代に合体(習合)して「天帝」となった。

また「天」の思想は、「天命思想」につながる*1。「天命」は周の文王が受命したということで有名だ。天命を受けた者が世界を統治するという思想。「世界」とは文字通り地上の全てである。そして「天命」を受けた者が「天子」で地上の最高統治者だ。

西周代の天子はもちろん周王だったが、周王朝の力が弱まった春秋時代では幾つかの諸侯が天命を受けたと言い出した*2

「天」「天帝信仰」「天命思想」は中国の歴代王朝に受け継がれる。これらの思想・信仰は上述のように儒教固有のものではないが、孔子は自ら説いた「孝」(道徳・倫理)とこれらを見事に調和させた。現代にまで儒教が残っているのは、「天」と「孝」の調和の成果だ、と思う。

「仁」

儒教において最高の徳目は「仁」と言われる。

私個人としては「孝」のほうが重要で、「仁」の意味がよくわからないのだが、一般的に最高の徳目ということになっているらしい。

「仁」は『論語』の中で最も多く語られている徳なのだが*3孔子は相手の質問によってさまざまに答えている*4

しかし、「仁」の本質を語っているものは多くないのではないか(私は調べていないのでわからないが)。

「孝弟なる者は、其れ仁の本為るか」(『論語』学而篇)

これが本質。

「孝弟」の「弟」は「悌」で「兄や目上の者に素直につかえること」*5。つまり、「仁」の根本は、家族愛あるいは、宗族(中国における氏族。父系。)の中の孝悌である。

ただし、孝悌は「仁」の本(もと)と言っているのだから、「仁」が愛情をそそぐ対象は宗族よりも外にまで広がる。だから「仁」を「万人を愛す」と解釈される。

ただし、「仁」はすべての人を平等に愛する「博愛」とは違う。墨子の「兼愛」は「博愛」と同じだが、孟子は〈父を無みし君を無みする禽獣の愛なり〉(親・君主と他人の区別をつけない愛など禽獣の愛と変わらない)と厳しく批判している。

孔子の「仁」は「礼」つまり秩序の中にあり、近しい人にはより濃い愛情を、縁遠い人にはそれなりの愛情を示すのが「仁」である。

「仁」は親戚以外の人たちも慈しむ(思いやる)こと

「仁」は親戚以外の人たちも慈しむ(思いやる)こと。ただし、平等愛ではなく、人間関係の濃度に応じて、愛情の濃度に差異がある。

上のような説明だと当たり前のことのようにしか思えないかもしれないが、「仁」の本質はこれだ。

あとは、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇)*6とか、「巧言令色(言葉を巧みに飾り、顔色をとり作ったりするような)な人に仁はない」(学而篇)*7などと語られているが、本質ではない(と思う)。

国史全体を通して中国社会は弱肉強食の世界で、赤の他人を不用意に信じると必ず裏切られるという。「仁者」は赤の他人をも愛することができる人を指すが、他人を愛し裏切られない者がいたら、それは尊敬されるだろう。



*1:天命は旧約聖書に出てくる預言者への信託と同じだろう

*2:春秋前半期の〈秦公及(および)王姫鐘〉に「わが祖先は天命を受け、国土を授けられた。輝かしく明らかなる〔秦の〕文公・静公・憲公は、上天に謹み、天意にかない、蛮方をよく治めた」という意味の銘文が記されている。

*3:湯浅邦弘/諸子百家中公新書/2009/p89

*4:仁 - Wikipedia

*5:悌(テイ)とは - デジタル大辞泉/小学館/コトバンク

*6:五常 - Wikipedia

*7:仁 - Wikipedia