歴史の世界

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

秦代⑬:始皇帝の死から秦帝国滅亡へ

前210年、始皇帝は第5回の巡行の途中で死去する。これをきっかけに強大な新帝国は わずか3年で崩壊する。 この記事では、政権の内部崩壊のことを書く。項羽や劉邦の反乱側については別の記事で書く。 二世皇帝・胡亥と権力者・趙高 年表 趙高の評価 二世皇…

秦代⑫:外征 後編(南方編)

前回に続いて、今回は南方の外征について書く。 『史記』始皇本紀には、始皇33年(前214年、オルドス攻略の翌年)に嶺南(旧楚の領域の南)を占領して3つの郡を置いたと書いているのみだ。 しかし、下記に記すように、嶺南攻略には運河の建設も含まれるので…

秦代⑪:外征 前編(北方編/オルドス/直道/万里の長城)

秦が中華統一を達成してから6年目の前215年に対外戦争が始まった。中華統一した時は36の郡であったが、対外戦争の結果10増の48郡になった。 今回は北方の外征について書く。 結果 目的 直道 万里の長城 外征のきっかけ 結果 先に結果を書いておく。 前215年…

秦代⑩:「朝廷」「朝礼」「朝貢」「冊封」

「朝廷」「朝礼」「朝貢」は秦代で始まったことではないが、これらは秦代から始まる中華帝国のシステムの一部、ということで ここで紹介する。 ネタ元は岡田英弘・宮脇淳子両氏 *1。 以下は主要なもの。youtube動画を視聴すれば理解できてしまうと思うが、そ…

秦代⑨:政策(9) 全国巡幸 後編(泰山封禅と始皇七刻石)

前回からの続き。 泰山封禅と始皇七刻石は、全国巡幸の一部として行われた。そういうわけで、この2つも秦の皇帝が天下の支配者であることを万民に知らしめるための行為だ。 泰山封禅 封禅とは? 『史記』封禅書の斉桓公と管仲の逸話 泰山 始皇七刻石 泰山封…

秦代⑧:政策(8) 全国巡幸 前編(巡幸の意義)

今回は始皇帝の全国巡幸について。 「巡幸」:言葉の意味 殷周の巡幸 始皇帝の全国巡幸 あらためて巡幸の重要性について 「巡幸」:言葉の意味 巡幸 (「幸」は天子が出る意) 天子の巡回。天皇が各地をまわること。 出典:精選版 日本国語大辞典/巡幸(ジュン…