歴史の世界

春秋時代⑦ 支配階級の変遷

今回は春秋時代の支配階級の変遷について書いていく。

諸侯国内の階層

諸侯のもとには卿・大夫・士・庶人・工商および隷属民の身分があった[中略] 。[春秋時代初期の東遷期には、]中原の有力諸侯国が周辺の小国を併合して領域を拡大した。この結果、邑田を獲得して有力化した家系が、卿や大夫上層を独占的に世襲して世族を形成する。

出典:中国史 上/昭和堂/2016/p41-42

金文*1には大夫・士の身分は確認されていないので、東遷期にこの身分が有ったかどうかは疑問が残る。このような身分は『春秋左氏伝』を参照したと思われ、『春秋左氏伝』は『周礼(しゅれい)』という西周代の制度について書かれたものに依っている。ただし『周礼』は戦国時代に書かれたもので、信頼性に疑問が持たれている*2。ただし、ここで否定してしまうと話が続かなくなるので、便宜上、上のような身分があるという前提で話を進める。

本来貴族は諸侯の家系と血縁関係があるものだったのだろうが、これが邑田(所領)を獲得して有力化した家系が取って代わって世族となった。ということはこの時点で一種の下剋上が起こったといってもいいのではないか。これにより諸侯の一族の権力は大幅に削られたことだろう。

晋の覇者体制からの社会の変遷

晋の覇者体制については、記事「春秋時代④ 晋の文公/晋による覇者体制」で書いた。この時期は春秋時代中期と言われる。

中原諸国では、すでに世族が卿位を独占していたが、晋が同盟内部の紛争を禁じ、邑田を獲得しえなくなった結果、後発家系の成長は抑制され加えて晋が同盟国の政権安定を望んだため、世族の地位は一層強化された。当時の中原の政治社会的秩序は、全中原的な覇者体制と各同盟国の世族支配体制により相互補完的に構築されていた。

出典:中国史 上/昭和堂/2016/p44(吉本道雅氏の筆)

覇者体制で強化された世族たちの地位は、覇者体制とともに弛緩・崩壊に向かう。

前546年の弭兵の会により晋楚の同盟が成立し、覇者体制の存在理由が亡くなってしまった。

晋の軍事的規制が弛緩すると、中原諸国では、世族支配体制のもとに蓄積された、世族間、世族とその他支配層(国君の分属である公子や大夫層)、世族宗主と一般成員の矛盾が一挙に噴出することになり、内乱が続発する。

出典:吉本氏/p44

春秋期の上のようなシステムは内乱の中で崩壊していった。新しいシステムは戦国時代とともに形成される。



*1:青銅器に銘記されている文章。貴重な同時代資料

*2:世界歴史大系 中国史1/山川出版社/p224(ひらせ たかお氏の筆)