歴史の世界

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

先史:2万年前~(ケバラ文化/マドレーヌ文化)

2万年前は最終氷期の最中だが、ホモ・サピエンスはその寒さを克服しながら文化を創出した。 2万年前 オハロII遺跡 ケバラ文化(ケバラン kebaran)とその後 ケバラ文化 その後 マドレーヌ文化 2万年前 出典:ヴォルフガング・ベーリンガー/気候の文化史 …

先史:ネアンデルタール人の文化からホモ・サピエンスの文化へ

少し前にホモ・サピエンスの出アフリカの記事を書いた。「出アフリカ」の前後の西アジアとヨーロッパはネアンデルタール人が「支配」していた。彼らの文化はムスティエ文化(ムステリアン、Mousterian)と呼ばれ、中期旧石器時代に入る。 ホモ・サピエンスは…

先史:ホモ・サピエンスの大拡散:アメリカ大陸編

新大陸、南北アメリカ大陸への進出は最終氷期に地続きになった「ベーリング陸橋(地峡)」を渡って達成したというのが通説だったが、沿岸を通って移住したという説もある。併せて紹介する。 出典:ジャレド・ダイアモンド/銃・病原菌・鉄 1万3000年に…

先史:ホモ・サピエンスの大拡散:ヨーロッパ編

驚いたことに、ホモ・サピエンスのヨーロッパ進出はオーストラリア進出よりも後になる。ホモ・サピエンスは移住候補地に、近い寒冷な場所より遠くても温暖な場所を好んだようだ。 「45000年前」という数字 ヨーロッパに進出したホモ・サピエンスはクロマニョ…

先史:ホモ・サピエンスの大拡散:オーストラリア・日本編

Homo sapiens migration map, based upon DNA markers 出典:Prehistoric Asia<wikipedia 上の図はどの程度有効なのかよく分からないがとりあえず載せておく。 オーストラリア編 これまでオーストラリア大陸に人類が定住したのは47,000年から50,000年前とさ…

先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの

現在、人類と言えば我々ホモ・サピエンスの種しかいない。しかし数万年前までは人類は同時代に数種類 存在した。 ネアンデルタール人 ネアンデルタール人の絶滅 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの運命を分けたもの おまけ1:フローレス人 おまけ2:…

先史:ホモ・サピエンス:出アフリカ/文化の"爆発"

前回の「現代的行動」に関連して書いていこう。 ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか作者: NHKスペシャル取材班出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)発売日: 2012/01/20メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 62回この商品を含むブロ…

先史:ホモ・サピエンスの「心の進化」/現代的行動

「心の進化」で扱う問題はおそらく進化心理学の分野になるようだ。 ここではNHKスペシャル取材班『ヒューマン~なぜヒトは人間になれたのか~』の第1章「協力する人・アフリカからの旅立ち~分かち合う心の進化~」から抜き出してみる。 以下に示すよう…

先史:ホモ・サピエンスの誕生

エジプト国内の新石器文化は、最初にナイル川西方のオアシスおよび低地において開花し、後にナイル川流域地方に伝播していったことだけは動かしがたい事実である。現在までのところ、ナイル川流域の終末期旧石器文化の遺跡で、ナブタを除くと新石器分化段階…

旧石器時代/中石器時代/Epipaleolithic

先史時代は石器時代に入る。この記事では旧石器時代と中石器時代とEpipaleolithicについて書く。Epipaleolithicについては後で説明する。 近年において先史時代の研究や測定技術の発達のおかげで、各時代の年代(期間)が見直されている。以下の記事は古い参…

最終氷期/ヤンガードリアス期/完新世

現在から見て最後の氷河期が終わると人類は農業をするようになった、と言われる。 農業の始まりについては別の記事で書くとして、この記事では最後の氷河期(最終氷期)の終末の前後について書く。 この記事では数字に多少のズレがあるが、すべて「およその…

地質年代(地質時代)

カンブリア紀とかジュラ紀とか白亜紀などという言葉を耳にしたことがあるだろう。これは地球の歴史の時代区分。 「先史」を知るためには必要な知識。ただし地質時代の全部を知る必要はない。 「先史」については、記事「先史シリーズを書く」で書いた。 地質…

氷河期/氷期/間氷期/氷河時代

氷河期/氷期/間氷期などの用語は歴史上の気候変動を理解するために必要になるので、これらの言葉を理解するために記事にしておく。 「氷河期」という言葉と氷期/間氷期 氷河時代 もう一つ小さい区分「亜氷期/亜間氷期」 現在の区分 「氷河期」という言葉…

先史シリーズを書く

これから先史シリーズを書く。「先史」カテゴリーに保存する。 「先史」の意味 このブログでの「先史」カテゴリー 変わる「先史の歴史」 「先史」の意味 先史時代 先史時代は、「歴史時代(有史時代)」以前の歴史区分に当たり、文字を使用する前の人類の歴…

インダス文明 後編(インダス文明とイラン・ペルシア湾岸の関係)

前回の記事「インダス文明①:新旧のインダス文明像」では長田俊樹氏の主張を元にして書いたが、今回は後藤健氏の主張に依存する。 NHKスペシャル 四大文明 インダス作者: 近藤英夫,NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト出版社/メーカー: 日本放送出版協会…

インダス文明 前編(新旧のインダス文明像)

インダス文明は古代四大文明の一つだが、他の文明に比べてかなり発掘・研究が遅れている。インダス文明の範囲はパキンスタン・インド・アフガニスタンにまたがっていて、三国の政府はともに古代文明に関心がなく、パキスタンとアフガニスタンについては紛争…

文化と文明について

オンライン辞書から 私の定義 文明:ゴードン・チャイルド氏の10項目 文化と文明 峻別できない「文化と文明」 訳語「文明」の出現 訳語「文化」の出現 「文化と文明」―対立か、連続か 文化・文明という言葉には注意が必要 オンライン辞書から ぶん‐めい【文…

「四大文明」は学説でも仮説でもなく、ただのキャッチフレーズだった

書店には『これ一冊で分かる世界史』のような類の本が並んでいる。こういった本ではほとんどが「四大文明」から始まっている。私の学生時代と現在と少し違う点があるとすれば、黄河文明の代わりに中国文明という言葉が用いられていることくらいだ。 しかし最…

【はてなブログ】markdownモードで、ほぼストレスフリーに

「markdownモード」がいい、というよりは「見たままモード」がダメという話。 「これからブログを始めよう」という人、「でもmarkdownって難しそう」という人は参考にしてください。 私もmarkdownの1/100も知らないし、HTMLに関しては1/10000も知りません。…

【カスタマイズ備忘録】強調したい文章を枠で囲って背景色をつける

HTMLでやる方法 次のようなもの 強調して大事なところだと印象づける、 または、後で見直した時に素早く見つけることができるための細工 これをどうやってやるか。 HTMLは次のとおり <div style="padding: 10px; margin-bottom: 10px; border-radius: 10px; background-color: #ffffcc;">強調して大事なところだと印象づける、 <br />または、後で見直した時に素早く見</div>…

2人の歴史家の「歴史とは何か」

私の「歴史とは何か」 歴史を趣味として楽しむ私の定義(?)は以下の通り。 歴史とは、 書き手が過去の出来事を意図的にピックアップして、 その出来事をなんらかの因果関係によってつなぎ合わせて 文章化したものである。 幾つかの捕捉を加えるとすれば、 政…

「中国_前漢」カテゴリーの主要な参考図書

西嶋定生/秦漢帝国/講談社学術文庫/1997年(中国の歴史2 秦漢帝国/講談社/1974年の文庫版) 鶴間和幸/中国の歴史03 ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国/講談社/2004年 尾形勇・ひらせたかお/世界の歴史2 中華文明の誕生/中央公論社 松丸道雄他 …

前漢・王莽政権と前漢滅亡

前回の記事(成帝・哀帝の治世)の最後に書いたように、哀帝の死後、実権は再び王氏一族の元に転がり込んだ。まず、孝元皇太后(元帝の皇后・王政君)が皇帝璽綬を得て、王莽を呼び寄せて大司馬領尚書事に就けて政治を任せた。*1 王莽は哀帝の後継に中山王衎…

前漢・成帝・哀帝の治世

匈奴との友好関係 内政 王莽が属する王氏一族 哀帝の親政 匈奴との友好関係 宣帝・元帝の時代に続き、この頃も匈奴との友好関係は続いていた。匈奴の単于が代替わりする度に漢に人質を送っていた。このような関係は前漢が滅亡するまで続く。 外界の強敵は匈…

前漢・元帝の治世

宣帝のまっとうな政治と匈奴の弱体化のおかげで元帝の代も平和な時代だと言っていいように思う。元帝は宣帝の作った道を進めば良いだけでほとんど何もしないでよかった。元帝の治世では大きな災禍はなかったようだ。 そのような状況の中で朝廷がやったことが…

前漢・宣帝の治世

霍氏一族を族誅した後、宣帝の親政が始まる。その政治は霍光政権の恤民政策の継承と発展であった。匈奴が分裂したこともあって総じて平和な時代だった。約5200字。 内政――循吏と酷吏 循吏の登場 何よりも大事なことは、人民の生活を安定させることであり、そ…

前漢・霍光政権②:昭帝の死去から宣帝即位まで/霍氏一族の族誅

霍光独裁政権は宮廷・朝廷内でいろいろな事件はあったものの、内外の政治は基本的に順調だった。霍光は天珠を全うした。霍光の一族はその権力を受け継いだが、宣帝がこれを誅滅した。約3300字。 霍光政権の対匈奴・西域政策 眭弘の禅譲進言事件 昭帝の死去か…