徳治主義とは法治主義と対比される言葉だが、ここでは徳治主義の方の説明だけをする。
それに加えて、「孔子のルネサンス」。この言葉は浅野裕一のアイデアで、孔子を宗教の創始者とみなしている。
徳治主義
とくちしゅぎ【徳治主義】
法律によって政治を行う法治主義に対して,道徳により治めるのが政治の根本だとする思想。中国の儒家が主張した。《論語》の〈政を為すに徳を以てせば,譬(たと)えば北辰のその所に居て,衆星のこれに共(むか)うが如し〉〈これを道(みちび)くに政を以てし,これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば,民免れて恥なし。これを道くに徳を以てし,これを斉うるに礼を以てすれば,恥ありて且つ格(いた)る〉などの孔子の政治論に始まり,儒家の基本的な思想となる。
儒教にとっての「徳」というのは、《道徳的、倫理的理想に向かって心を養い、理想を実現していく能力として身に得たもの。また、その結果として言語・行動に現われ、他に影響、感化をおよぼす力。》 *1 のこと。
さて、上の引用の中に二つの『論語』からの引用があるのでこれを見ていこう。両方とも為政篇からのもの。
〈政を為すに徳を以てせば,譬(たと)えば北辰のその所に居て,衆星のこれに共(むか)うが如し〉
北辰は北極星のことで、星々が北極星を中心に回っているように見えることから、北極星以外の星々を衆星とする。
解釈は以下の通り。
民衆を愛する徳を兼ね備えた為政者が政治に当たるのであれば、全天の無数の星を規則正しく運動させる北極星のように、天下国家は有徳の君主(為政者)を中心にして円滑に運営されるという徳治政治の基本を説いている。
まず徳を備えた者が君主となり、臣民を感化することによって治めるというのが徳治主義。
〈これを道(みちび)くに政を以てし,これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば,民免れて恥なし。これを道くに徳を以てし,これを斉うるに礼を以てすれば,恥ありて且つ格(いた)る〉
口語訳。
人民を導くのに法制をもってし、人民を統治するのに刑罰をもってすれば、人民は法律の網をくぐり抜けて恥じることがない。人民を導くのに道徳をもってし、人民を統治するのに礼節をもってすれば、人民は(徳と礼節を失う悪事に対する)恥を知りその身を正すようになる。
出典:同上
加地伸行氏による徳治主義の説明。
徳治主義の一般的な説明は上のものでいいと思うが、下の説明が魅力的なので書きとどめておく。
さて、ここで加地伸行氏は、そもそも道徳とはなにかということについて問いかける。
道徳には二種類ある、とする考え方がふつうである。一つは、普遍的なものである。たとえば、人を殺さないとか、人を裏切らないとかいったもので、古今東西を通じて、人々が納得するものである。いまひとつは、その次代その社会に適合した慣習である。たとえば、奴隷制の時代は、主人に絶対的服従するとか、社会主義国家では、私利の追求を禁ずるとか、といってものである。
一つ目。「人を殺さないとか、人を裏切らないとかいったもので、古今東西を通じて、人々が納得するもの」と書いてあるが、前近代では人を殺さないとか、人を裏切らないとかいったものは共同体を出ると通用しない道徳である。
二つ目は慣習。これは共同体固有のものだ。
つまり、道徳とは、前近代においては、「共同体内部における慣習」ということになる。
中国における共同体とは基本的には村だ。村は一族(宗族)で構成されているから一族の慣習=掟が道徳となる。
そして「徳のある人」とは慣習をよく知っている人ということで村長=一族の長のことになる。
孔子の政治の理想は、法制・刑罰で人民を束縛するのではなく、慣習(村の掟)で束縛すること、という意味になる。そして村長が裁く(結局、犯罪者は村の掟によって裁かれる)。ただし、この場合、慣習は礼によって構成されていなければならない。礼の無い慣習は孔子や儒家は認めない。(礼については「「礼」と「孝」#「礼」とは何か」参考)。*2
そういうわけで、礼学の大先生である孔子の政治の理想は、中原(中国)にある全ての村に、法制ではなく、礼を周知させることが基本となるだろう。
ところで、『論語』に以下のような有名な対話がある。
葉の君主が孔子に自信満々に語って言った。『私の治める郷土に、正直者の躬という人物がいる。躬の父が羊を盗んだときに、躬は正直に盗みの証人になったのである。』。孔子は言われた。『私の郷土にいる正直者はそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠す。本当の正直さはそういった親子の忠孝の間にこそあるのです。』*3 『論語』子路篇
出典:『論語 子路篇』の書き下し文と現代語訳:2<総合心理相談 ES DISCOVERY
徳治政治の世界では、この父子は村の掟によってどのように裁かれるのだろうか。
孔子が推し進めるルネサンスまたは宗教改革運動
孔子は全盛時の周の文化・礼制を復元し、それを継承し発展させるべく、魯に新王朝の樹立を願った。だがその実態は、古代の復興に名を借りた創作であり、その意味でこれは、一種のルネッサンス運動だと言える。
また孔子は、自分が進めるルネッサンス運動こそが、真に上天の意志に叶う事業であり、上天はその偉大な使命を、ただ一人自分に与えたとする信仰を抱いた。その意味でこれは、伝統的な上天信仰の元に開始された、一種の宗教改革運動だとも言える。
さらに孔子は、文武の道を復活させると称しながら、その中身を自分の創作とすり替えて先王の功績を横取りし、周に代わる新王朝創設者の地位に自ら収まろうとした。その意味でこれは周の再興を装った、一種の革命運動だとも言える。
孔子はこのような使命を果たすべく、上天よりカリスマを授けられた。儒教は宗教であるか否か、宗教だとすれば、それはいかなる宗教であるのか、儒教とは何かを考えるとき、孔子が自ら開示したカリスマ的性格を、我々は深く記憶しなければならない。
- ルネサンスや維新の類は復古の名のもとに従来の体制をぶち壊した現象のこと言う。ルネサンスの中身はそれなりに昔のものもあるが、従来の体制よりも進取性が強い。
- 上の場合の宗教改革運動はプロテスタント誕生のそれではなく、ユダヤ教からキリスト教が生まれる宗教改革だ。つまり孔子はイエス・キリストが自分が神だと「自覚」したように、「上天はその偉大な使命を、ただ一人自分に与えたとする信仰を抱いた」と「自覚」した。
孔子のカリスマはほとんど門人に限られたようだが、孔子を崇め奉った門人たちの活躍により、孔子の推し進めたルネサンスまたは宗教改革は達成された。ただし、孔子の究極の目的は自分が王となって天下に「徳治」を周知させることだったが、これは実現できなかった。
とりあえず、孔子はこれでおしまいにする。
*1:精選版 日本国語大辞典/徳(とく)とは - コトバンク
*2:石平氏によれば、現在でも村長が裁判権を持っているとのこと。全部の村がそうだとは私も思わないが。「特別番組「中国人の善と悪はなぜ逆さまか~宗族と一族イズム」石平 倉山満【チャンネルくらら・12月30日配信】 - YouTube」参照。