2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧
中期は混乱期で進展は無かった。 このきじでは、王統と王都の変遷について書く。 この時代も文字資料がないので、考古学的証拠から推測するしかない。 本題に入る前に① 現代中国における古代中国の研究者たちについて 本題に入る前に② 殷王朝の系図 中期の王…
前回も書いた通り、『史記』などに書かれている殷建国の伝承(湯王が暴君桀王を倒す話)はフィクションである。殷建国の時期は文字資料が無いため本当は何があったのかは分からないので、考古学の資料から推測するしかない。 建国/二里岡遺跡→鄭州商城遺跡 …
『史記』などに書かれている殷建国の伝承(湯王が暴君桀王を倒す話)はフィクションである。 殷建国の時期は文字資料が無いため本当は何があったのかは分からないので、考古学の資料から推測するしかない。 「殷」または「商」という呼称について 殷の前身、…
二里頭文化は文字資料が無いため、よく分かっていない部分が多い。 二里頭文化が中国文明の黎明期と考えられているが、新石器時代と二里頭文化は何が違うのだろうか? また、二里頭文化を夏王朝とする研究者がいるが、その真偽はどうなのか? 二里頭文化期と…
ようやく二里頭文化の中身について書いていく。 二里頭遺跡は中国最初の国家・王朝の王都となる場所だ*1。 二里頭遺跡から発した文化を二里頭文化と呼ぶ。現代中国では二里頭文化を「夏王朝」だと断定している。日本では賛否があるがその比率はわたしには分…
記事「後期新石器時代 その8 新石器時代末期の終焉」で書いたように、新石器時代の末期に地球規模の気候変動(寒冷・乾燥化)が起こり、中国本土の各地の文化が崩壊・衰退した。 そんな中で洛陽盆地を含む黄河中流域にあった王湾3期文化(中原龍山文化の中…
この記事から中国における二里頭文化すなわち最初の国家の誕生について書く。 この記事では、誕生の地である洛陽盆地と黄河・淮河・長江の関係について書いていく。 「中原」については文中で書く。 中国本土に張り巡らされた河川 洛陽盆地 洛陽と黄河 洛陽…
中国本土の各地で繁栄した後期新石器時代も終焉が訪れる。 中国本土に何が起こったのかを書いていこう。 後期新石器時代に「文明」は誕生した? 新石器時代の崩壊 「なぜ中原だけが発展することはできたのか」は別の記事で書く 後期新石器時代に「文明」は誕…
中国の北方、農耕地域と放牧地域を分けるように万里の長城が築かれている。この東西に伸びる地域を長城地帯と呼ぶ。 この地帯の歴史の移り変わりを書いていく。 この記事では、宮本一夫氏の『中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)』*1の「第7章…
前回より続き。 龍山文化がどういうものかは前回に書いた。 今夏は中原龍山文化。「中原(ちゅうげん)」の範囲は中国史の各時代によって異なるのだが、新石器時代は黄河中流域を指す。 出典:宮本一夫/中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)/…
龍山文化(前2500-前2000年)は黄河中流域・下流域の文化。 大きくは中原龍山文化(中流域)と山東龍山文化(下流域)に分けられる。 龍山文化の特徴といえば、土器(=陶器)の「黒陶」(後述)だが、より重要なのは社会の変化、すなわち分業化や階層化など…