歴史の世界

【読書ノート】上念司 『経済で読み解く地政学』

後述の出版社による紹介と目次を見れば分かる通り、「地政学」について詳しく書いてある本ではなく、国際情勢と日本(と日本人である読者)が採るべき道について書いてある。

出版社による紹介と目次

大転換期を迎えた世界の構造が丸わかり!
ロシアのウクライナ侵略、中国の台湾有事、
巧妙化するサイバー戦争、大インフレ時代の到来……
日本復興のシナリオがここに!

<<目次>>
■はじめに:安全と資産の防衛に必要な「地経学」とは?
■第1章:日本人はすでに戦争に巻き込まれている
■第2章:地政学とは何か?
■第3章:地政学の最先端を探る!
■第4章:権威主義大国・ロシアの情報戦とその未来
■第5章:「地政学+経済学=地経学」とは何か?
■第6章:日本経済を地経学で読み解く!

出典:経済で読み解く地政学 | 上念 司 |本 | 通販 | Amazon

第1章について

「日本人はすでに戦争に巻き込まれている」における「戦争」とは「ハイブリッド戦争」のことだ。

「ハイブリッド戦争」についてすぐに説明するが、ここで使用されている「戦争」は国際法における厳密な意味での戦争とは別物で、単純に「攻撃」と読み替えたほうがいい。なので章のタイトルは「日本人はすでに攻撃されている」くらいの意味だ。主に中国やロシアに仕掛けられている。

さて、ハイブリッド戦争の意味。私たち一般人が戦争と聞いて思いつくのは、国家どうしの正規軍による戦争と非正規戦闘員のゲリラ戦争。ハイブリッド戦争はこれに加えて「威嚇」「サイバー攻撃」「情報・心理戦」などが含まれる。

「威嚇」は、仮想敵国の国境付近での演習や北朝鮮がやってるようなミサイル実験など。「サイバー攻撃」は敵国のコンピュータシステムに不正アクセスして窃盗・破壊・改ざんなどを行うこと。「情報・心理戦」はスパイ工作以外にもフェイクニュースプロパガンダを流す(影響力工作)ことも含まれる。

この他にも「気に食わなかったら天然ガスを売らないぞと脅す」(ロシア)というような経済を使ったものもハイブリッド戦争に含まれるだろう。この経済面が「地経学」に関係するのだが後で書く。

第2章について

まずは地政学。ここで取り上げられているのは、地政学の代表的なキーワード「ランドパワー」「シーパワー」だ。「ランドパワー」とはロシア・中国のようなユーラシア大陸の大国(大陸国家)、「シーパワー」はアメリカ・イギリス・日本という海に囲まれた大国(海洋国家)。この本では中国を両方の性格を持つ両生類という言い方をしている箇所があるが、基本的にはシーパワー。

この分類の重要性はここからだ。重要な点とは両者の性格(世界観)の違い。

[シーパワー]が 重んじる 世界観 は「 それぞれ の 国家 が 独立 し、 自由 で 開か れ た 交易 を 行っ て 世の中 を 発展 さ せる こと」 です。 その ため、 海上 交通 の 安全 性 を 重視 し、 交易 路 を 防衛 する 上 で 強力 な 海軍 を 必要 と し ます。

出典:上念 司. 経済で読み解く地政学 (扶桑社BOOKS) (pp. 49-50). 株式会社 育鵬社. Kindle Edition.

ランドパワーは]自分 たち の 領地 内 で 自給自足 を 完結 さ せる ため に、 より 広い 領地、 すなわち「 生存 圏」 を 得る こと を 目的 と し て おり、 国土 を 防衛 し、 新た な 領地 を 獲得 する ため に 強力 な 陸軍 を 必要 と し ます。

出典:上念 司. 経済で読み解く地政学 (扶桑社BOOKS) (p. 50). 株式会社 育鵬社. Kindle Edition.

《「生存圏」を得る》というのは分かりにくいが、「生き続けるためにはより広い領地を獲得するしか無い」、つまりはランドパワーによる侵略行為の正当化のこと。

この「生存圏」という用語を生み出したのはドイツ地政学の祖であるハウスホーファー (1869-1946)だ。彼の主張はヒトラースターリンに強い影響を与えた。残念ながら大日本帝国も影響を受けている。そしていままさにこの考えを体現しているのがプーチンだ。

本の話とは逸れるが、地政学というものは古典地政学とドイツ地政学の二系統がある。古典地政学の祖はイギリスのマッキンダー (1861-1947)だ(アメリカのマハン(1840-1914)の主張を元に体系化した)。ただし、ヒトラー地政学を利用して侵略を始めたため、地政学という学問は破滅してしまった、つまり大学で教えることも研究することもできなくなった。現在の地政学の知識は戦略論とか戦略学の中の一部として継承されている。なので「地政学は学問であった(過去形)」が正しい。このパラグラフの話はこの本ではなく下の動画で説明されたもの。

www.youtube.com

さて、本の話に戻る。ドイツ地政学ランドパワー地政学、古典地政学がシーパワー地政学。著者そして読者は日本人なのでシーパワー地政学の側からランドパワー地政学を批判する立場だ。シーパワー地政学の側が侵略をしてきた歴史があるわけだが、まあそこはスルーしよう。

そして、地政学について著者が一番書きたかったこととは、見出しにもなっている《地政学は「人間の世界観を巡る戦い」》。ここで書いてあることは「理性」について。この本では「理性」人間が有する「知的能力」としている。

ランドパワー地政学側は「理性は神にも匹敵する能力である」と考えている一方で、シーパワー地政学の側はその考えには懐疑的である、とのこと。

私は、「理性バンノウ!理性バンザイ!」の人たちがなぜ独裁国家を作っているのか全くわからないのでここらへんは消化できていない。

とりあえずこのへんを著者が説明しているので貼っておこう。

www.youtube.com

第3章について

この章では、ロシアのプロパガンダ工作と、それに引っかかってしまってる人たちについて書かれている。章のタイトルは「地政学の最先端を探る!」なのだが、ロシアのプロパガンダ工作が最先端ということなのだろうか?

ここに書いてあるロシアのプロパガンダ工作は「反射統制」というものだ。これについての説明が「X」に上げられていたので貼り付けておく。

ここで、「ナラティブ」という言葉が出てきた。

ナラティブとは、人々に強い感情・共感を生み出す、真偽や価値判断が織り交ざる伝播性の高い物語(詳細は後述)である。

出典:ウクライナ戦争と「ナラティブ優勢」をめぐる戦い/川口貴久 - SYNODOS

ロシア(またはプーチン)が自分の主張を世界中の人々を納得させる、信じ込ませる、「考える価値のあること」と思わせるために、「歴史的に◯◯だ」とか「過去にこういうことがあった」などというようにストーリーに仕上げてたもの、と私は解釈した。

そしてこのようなプロパガンダ工作に騙されている人たちは日本にもたくさんいる。彼らはこの期に及んで親ロシア、少なくとも「ウクライナにも悪いところはある」と考えている人たちだ。これを著者はロシアンフレンズと言っている。

著者は、ロシアのナラティブを真偽も確かめずに両論併記の形で記事にしているマスコミを批判している。そのとおりだと思う。従軍慰安婦問題や南京虐殺問題を想起させる。

【追記】ここまで書いておいてなんだが、ナラティブという言葉は、本当はネガティブな言葉ではなく、中立的な言葉だ。ウソを織り交ぜて信じ込ませるのではなく、事実を上手に他者に受け入れてもらう、賛同してもらうというのが本来の意味、目的らしい。そういう意味で、日本もナラティブを発信していかなければならない、ということを最近たまに聞く。

第4章について

この章では、引き続きロシアのナラティブについて書かれている。そしてそのウソ混じりウソだらけのナラティブに対して証拠をもって論破している。

著者がラジオやyoutubeでことあるごとに言っていることだが、このような論破はテレビや新聞の大手マスコミが日々やるべきことなのだが彼らは勉強してないのでプロパガンダの餌食になっている。

第5章について

私 が 注目 する のが、「 地政学 + 経済学」 を 表す「 地 経学」 です。
簡単 に 言え ば、 自国 の 経済 を 武器 として 使う。 これ が 地 経学 です。

出典:上念 司. 経済で読み解く地政学 (扶桑社BOOKS) (p. 123). 株式会社 育鵬社. Kindle Edition.

本当に簡単すぎるのだが、地経学とはまさに「自国の経済を武器として使う」ことだ。この章を読めばそれを実感できる。

ただし、「地経学=地政学+経済学」では何の説明にもなってない。そもそも経済と経済学は違うじゃないか、とツッコミを入れたい(笑)。そしてそもそも地政学とはどんな関係があるの?という話だ。

本ブログの「第2章について」で地政学という学問は破滅してしまって、現在その知的遺産は戦略学の一部として継承・発展されていることは書いた。そういう経緯から国家戦略とか世界戦略における地理的な知識も地政学の一部として新たに組み込まれているようだ。そういう意味では地政学は現在も発展していると言える。さて地政学とはなにか?

別の本から引用する。

…実は相手国を打ち負かして自国領に組み入れるのは、リスクが大きいうえに得るものも少ない。したがって、近代の地政学で重視されているのは、相手を打ち負かすのではなく「コントロールすること」にある。そこで狙われているのは、どぎつい言い方をすれば、自国に歯向かってこないように牙を抜き、自国の製品や債権を買わせたり、原材料を安く調達したりできる関係を築くことなのである。

出典:奥山真司/"悪の論理"で世界は動く!~地政学—日本属国化を狙う中国、捨てる米国/フォレスト出版/2010/p102-103

第二次大戦終了後、それ以前のような戦争は「割に合わない」として大国は戦争を避けていた。せいぜい代理戦争をするに留めていた。なので引用のように「コントロールすること」を重視した。ここまでくると『孫子』の目的と変わらない。

まあ、最近はプーチンがリスクを考えていたのかどうかも疑わしい戦前のような侵略をしているのでランドパワー・シーパワーという古典的な地政学のワードが見直されているわけだが。

さて、そして地政学の本質の一面である「コントロールすること」を自国の経済を使って行おうというのが「地経学」だ。

下はロシアの地経学。

資源 を 武器 に、 自国 の 意見 に 反対 する 国 に対して は、 石油 や レアアース、 産業 の 工業 原料 などの 輸出 制限 を通じて、「 自分 たち の 言う こと を 聞か ない と 困っ た こと に なる ぞ」 と 暗に 恫喝 し て い ます。

出典:上念 司. 経済で読み解く地政学 (扶桑社BOOKS) (p. 134). 株式会社 育鵬社. Kindle Edition.

中国のやり方も同じで、数年前に日本はレアアースを輸出制限するというように地経学を用いた。

このようなランドパワー側の地経学に対してシーパワー側はどのような地経学を用いるか?まずシーパワー側はまずランドパワー側との経済関係を減らし続ける(デカップリング政策)。この政策を採ることによる損失はシーパワー側が連携して補い合う。代表的な例が半導体関連の規制だ。アメリカが主導し日本も「グル」になっている。

ロシアの地経学は失敗し悲惨な末路をたどることは素人でも目に見えている。中国はどうかというと、今のやり方を方針転換できないだろう。政変が起きない限り無理だ。

問題は台湾有事だ。起こさせないことが第一だが、起こったことを想定していろいろなことが動いている。ただ、日本の大手マスコミはこの辺をあまり報道していないようだ。

第6章について

最終章ということで、著者の主張が書かれている。

まずは「世界的なインフレに備えよ!」と個々の日本人に訴えかける。デカップリング政策によってある程度モノの値段が上がる。つまりインフレになる、と。だから今までのデフレマインドは捨ててインフレマインドでお金の使い道(貯めるか使うかも含め)を考えよう、と。

米ソ冷戦時はデカップリング状態で、冷戦後がカップリング状態、そして米中冷戦の時代に入り、またデカップリング状態になる。

そして国家の日本は、「世界の工場」になる。シーパワー陣営は中国とデカップリングするわけだからその役目を日本が担う。

ただし、安全保障に関しては、米ソ冷戦の時のように、アメリカにおんぶにだっこという訳にはいかない。今のアメリカは当時のような経済力その他のパワーを持っているわけではなく、現在の米国民もその役回りを拒否するだろう。

日本は法整備その他安全保障関連の準備を加速化させなければいけない。戦争をしたくないのならまずは中国の野望を挫けさせるように反撃の準備を万全に進めるべきだ。

まとめ

上念さんが地政学と地経学について書いたということで読んでみた。地政学と地経学を学問的に説明するものではなかった。まあ想定内だが。

この本の一番面白いところは、やはり経済評論家の上念さんの未来予想の話だ。米中冷戦が本格化してデカップリングが進めば日本が「世界の工場」になるというのはとても魅力的な話で、説得力のある話だ。日本政府がよっぽど無能でない限りそうなるとは思っている....

思い返すと米ソ冷戦もランドパワーとシーパワーの戦いだった。米中冷戦もそうだ。米ソ冷戦は日本を経済大国にのし上がった時期だ。あの頃と同じような成長はできないが、適切に外交を立ち回れば、アジア各国は日本になびくことになるだろう。

しかしまずは日本自身の中国とのデカップリングだ。在中日本企業を1日でも早く撤退させることに力を注いでほしい。