歴史の世界

道家(20)荘子(『荘子』と『老子』と「道」)

今回は『老子』と比較することで『荘子』の理解のきっかけを掴もうという趣旨で書いてみた。

荘子老子の関係

荘子老子道家の代表格で、「老荘思想」という言葉で道家の思想を表現されることが多い。

荘子老子の思想の継承者のような書き方がされることがあるが、それは違うようだ。

荘子老子の関係については、列伝[『史記老子韓非列伝 -- 引用者]は「其の要は老子の言に本(ほん)帰す」「老子の術(みち)を明らかにす」、すなわち荘子を祖述した[先人の説を受け継いで述べた *1] と述べていた。しかしながら、この女筒の底辺に流れる司馬遷の、「老子を開祖とし源を発した道家という思想上の一学派」という考えは、前漢武帝期になって始めて道家の諸思想を整理するために生み出された全く新しいアイデアなのである。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p17-18

前漢初に黄老思想が流行ったがこれは老子または道家の思想を意味する。これを老荘思想と言わないのは上の説明のとおりだ。

そして、老荘という言葉が盛んに使われるようになるのは魏晋時代になってからのことだ *2

要するに、荘子老子の学統の継ぐ人ではなく、全く別個に「道」の思想を探求した人だった。

荘子』と『老子』と「道」

老子荘子は共に「道」を探求する道家だが、その根底の「道」の定義に大きな違いがある。

まず『老子』であるが、こう主張する。

「道」があることによって、万物が生み出された。「道」はそれほど大きな働きをしながら、いささかも自分を主張しないし、自分の功績を鼻にかけることもない。そのあり方たるや、無為、無欲、柔軟、謙虚、控えめなど、すばらしい徳を幾つも体現している。わたしども人間も、こういう「道」のありようを自分のものとすることができるなら、厳しい現実をしなやかに生きていくことができるのだという。

いわば『老子』は、「道」を発見することによって弱者の立場に居直り、そこから現実を生きるしたたかな英知を引き出しているのである。

これに対し、『荘子』はこう主張する。

「道」は人知の及ばない広大無辺な存在である。そういう大きな観点に立てば、善だ悪だ、是だ非だと騒ぎまわっても、本質的な違いがあるわけではない。ところが世間の人々は、世俗の価値観にわざわいされて、つまらぬことにこだわり、あくせくと生きている。せっかくの人生ではないか。そんな世俗の価値観にとらわれないで、もと伸びやかに、自由に生きようではないか、というのである。

こちらのほうは、超越の思想と言ってよいかもしれない。

出典:守屋洋/「荘子」の人間学/プレジデント社/1996/p12-13

人間からすればアリの価値観などはつまらないどうでもいいと思う。それとおなじように、「道」の観点から見れば人間の価値観などつまらない、どうでもいいことでしかない、と荘子は主張した。これが『荘子』の重要なキーワードの一つ、「万物斉同(ばんぶつさいどう)」である。

さて、『史記』の列伝に、荘子が楚の威王の招聘を断ったエピソードが書かれている。これが事実かどうかは分からないが、後世の人々が「荘子ならそのようにするだろう」と思わせるものが荘子の思想にはあるのだろう。

老子』が為政者に対する教訓のようなことを書いてあるのに対して、『荘子』は政治への関心は薄いようだ。

老子荘子道家の根本原理というべき「道」の解釈からして違っているので、目指すべき方向が違うのも当然だろう。

「道」の体得者についての比較

老子』における「道」の体得者、つまり『老子』の理想の人間像は「無為の政治」を行える為政者だ(『老子』は本来は為政者のための指南書)。体得者を「聖人」と呼ぶ。

「聖人」は自らは作為を行わず、万物の支配者である「道」の働きを利用して政治をする。

対して『荘子』の方では「真人」または「至人」と呼ぶ。

「真人」については諸橋轍次荘子物語』 *3 の「真人の姿」の章に詳しく書かれているが *4、 ここでは「真人」の人間像を幾つか書き出してみる。

[真人は]『徳全くして神(しん)欠けず』、心に邪念なく純粋の気が中に満ちておる。だからそのひとは、生まれるときも死ぬときも自然のまま、生まれたからといって喜ぶこともなく、死んだからといって悲しむ状態もない。

また『感じてしかる後に応じ、迫りてしかる後に動く』、積極的なことは少しもやらず、『その生は浮かぶがごとく、その死は休(いこ)うがごとし』、生きておる間は彼にただようておる水の泡のように、死んだときはただ休んだ人間のように、その間に何ら心を用いることもない。

出典:諸橋轍次荘子物語/講談社文庫/1988/p200-201

上は『荘子』刻意篇(外篇)に依る。

荘子は『人を以て天を助けず』ともいっています。天の自然の運行のままにして、そこに人為を用いてはならぬという意味であります。そしてそれのできた人を『是を之(こ)れ真人と謂う』と述べておりますから、荘子の所謂(いわゆる)真人というものが、自然そのままの姿の人を指していることがわかるのであります。(p204)

上は徳充府(大宗師篇)篇(内篇 )に依る。

[真人は]春夏秋冬の移り変りと自分の心がいつでも一緒になっておる。そこで荘子はまた真人の姿を述べて、『凄然(せいぜん)として秋に似たり、煖然(だんぜん)として春に似たり』とも述べております。秋になってさびしくなってくれば、その人の気持もやはり、凄然としてさびしい形になってくる。春になって暖かになってくれば、その人の気持もまた、煖然として春のようになってくる。であるから、その人の喜ぶことも怒ることも、悲しむことも楽しむことも、すべては自然の移り変りと通じてくる。こういう者をもって荘子は真人と考えておるのであります。(p204)

上も徳充府(大宗師篇)篇(内篇 )に依る。

さて、上に書いてある自然の変化や季節の移り変わりなどは「道」のことを表している。結局のところ、『荘子』は「道」と完全に心を同調させることができる者を「真人」と呼ぶ。

「真人」になったら、どのような事態が起ころうとも動揺することがなくなる。

そして心の奥底に徳を湛えるようになり、その人がたとえ醜男であろうとも、人々は彼に心惹かれて離れがたくなり、女は妾でもいいから生涯を共にしたいと思うようになる *5

最後に『老子』との比較に話を戻すと、『荘子』における「道」の体得者は、ただただ「道」と同調することで達することができるが、『老子』の体得者とは違って「道」を利用しようとはしない。

為政者になることに無関心な荘子にとって「道」を利用して何かをしようなどとは考える必要の無いことなのかもしれない。

荘子物語 (講談社学術文庫)

荘子物語 (講談社学術文庫)

朴訥な『老子』、饒舌な『荘子

老子』と『荘子』には、表現の上でも大きな違いがある。

老子』のほうは、いたって寡黙である。固有名詞の類いは一つもなく、全篇これ箴言集といったおもむきで、ポツン、ポツンと独り言のような言葉が並んでいる。[中略]

これに対し、『荘子』はすこぶる饒舌である。『老子』が全部で五千余字と短いのに対し、今に伝わる『荘子』は六万余字と長い。しかも、虚実とりまぜた寓話の類いをふんだんにつかって自説を補強している。[中略] 相手の意表をつくような話を持ち出して煙に巻いたり、押したり引いたりしながら、これどもか、これでもかとたたみかけてくる。その伸びやかで奔放な語り口は、思想というよりも文学に近い。

そんなところにも『荘子』の大きな魅力があると言ってよい。

出典:守屋氏/p13-14

私からすれば、『老子』は説明が短すぎて理解し難いが『荘子』は冗文が過ぎて理解し難い。