歴史の世界

道家(27)荘子(養生)

今回は「養生」について。

「養生」とは何か?

まず、『荘子』や道家のことを一旦 脇において、一般的な「養生」の意味を確認する。

① 健康に注意し、病気にかからず丈夫でいられるようにつとめること。健康を保つこと。摂生。
② 病気やけががなおるようにつとめること。保養。

出典:三省堂大辞林 第三版/養生(ヨウジョウ)とは - コトバンク

テレビで健康に関する話題を見かけない日は無いというほど現在でもこの手の話は多くの人々の関心の的だ。

次に『荘子』の「養生」の説明。

「養生」すなわち「生を養う」とは、人々が病気にかかったり、不慮の事故に遭って横死したりせず、「天」から与えられた生命を本来のままに生き尽くすことを意味する。

「養生」の思想や術は、思想界においては、戦国時代中期になって始めて唱えられたもののようである。「養生」に対する諸子百家つまり知識人たち反応は、学派によってまちまちであり、例えば、儒家の場合は、戦国中期の孟子、戦国末期の荀子は、その道徳を重視する立場からこれを低く評価した。戦国末期以降は、学派の違いを越えて広く唱えられ、実践されるようになっていったが、道家もまた戦国末期からこれを採用しており、『荘子』中、本篇[養生主篇--引用者]だけでなく至るところで「養生」の説が顔を出している。

この学派が、人間の精神よりも身体を、「心」よりも「形」を、確かなものとして重んずるようになるのは、戦国末期のことである。その背景には、「無」(非存在)こそ世界の真実態であるとした古い万物斉同の哲学を部分的に放棄して、「無」を「道」の本質的属性に限定しつつ、「万物」の「有」(存在)性を回復していった、という哲学上の動きがあった。道家による「養生」説の受容は、こうした形而上学上・存在論上の転換と、相互に因果関係があると考えられる。そして、道家の一部が、人間をっ含む世界の存在や変化・運動を、質量因としての「気」だけで説明する「気」一元論に接近した時、「養生」説の重要性は決定的となったのである。

なお、この「養生」と、後代の神仙・道教の「不老不死」や「永生」との間には、共通点もあれば相違点もある。したがって、十把一絡げに取り扱わないほうがよいと思う。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p99-100

  • 《「心」よりも「形」を》とあるが「形」とは、その前に書いてあるように「身体」のこと。

  • 池田氏は『荘子』は荘周が書いたものから前漢武帝期まで編纂が続けられて今日私たちが見る『荘子』が出来上がったと説明している *1。 そのような長い編纂の変遷の中で、「無」と「有」の重要性に少なからず変化が生じ、「養生」の言葉もそれに影響されているということだ。

上の引用から、「養生」意味は、荘子』の中の「養生」には私たちが使う一般的な意味に加え、「不慮の事故に遭って横死したり」しないという危機管理の側面も含まれることに注意。

荘子』養生主篇

養生主篇の「養生」は上で説明した通りで、「主」は「根本原理」という意味。 *2

上述したとおり、『荘子』には「養生」に関する話が至るところに書かれているが、養生主篇から話を進めてみよう。

池田氏によれば、養生主篇は4つの話(章)に分けられる。 *3

第一章は危機管理と中庸の話。

私の人生には限りがあるが、知るべきことには限りがない。限りある人生を費やして、限りなき知を追いかけるのは、危険なことだ。そうであるにもかかわらず、なお知を追い求めるのは、危険極まりないことだ。

私の人生を危険に陥れるものは、名声や刑罰もそうである。善を行うことがあったとしても名声を掲げない程度にし、悪を行うことがあったとしても刑罰に触れない程度にして、善と悪の中間にある根源を守ることを、不変の原理としたいものだ、そうするならば、我が身体の安全を保持することも、我が身体の安全を保持することも、我が生命を恙(つつが)なく全うすることも、肉親を養育することも、さらには天寿を本来のままに生き尽くすことも、全て可能となるのである。

出典:池田氏/p100-101

引用の「善と悪の中間にある根源を守ること」は中庸を表している *4。 何事においても中庸を心がければ養生は達成されるとのこと。

第二章は庖丁(ほうちょう・ほうてい)という人が主人公の話。ちなみに料理道具の包丁はこの「庖丁」の人名(架空の人物だが)が語源になっている(現在「庖」は常用漢字外のため、「包」を代用字として用いる) *5。ちなみに、中国では包丁(庖丁)とは言わないそうで刀という字を使うようだ(菜刀など)。

さて、諸橋轍次荘子物語』 *6 に頼って書いていく。

料理人の庖丁は文恵君という殿様のために牛を解体した。その手際の良さに文恵君は、庖丁の技術を褒めた。
しかし庖丁は技術という言葉が気に食わない様子で文恵君の前に進み出てこう言った。

「私の修めておるのは道である。術ではありません。術以上のものであります。」

更に続けて言う。

「実は私もこれまでにいろいろの修養をした。初めて牛を解体したときは、あそこにもここにも牛というものが目の前にちらついて、ほとほと困った。ところが三年間たってみると、解剖しようという場合にも牛が見えなくなった。もう今日では精神で牛を解剖している。だから手先は自然に止(とど)まるべきときに止まり、動くべきときに動いている。さらにまた肉と肉との間には必ず接触面に隙間がある。その隙間に私の刀が自然に入っていくのだから、そこに無理がない。」

こうして庖丁が19年間愛用している刀は今でも新品同様だという。

文恵君は「ああ実にいい教えを受けた。今日私は庖丁の言葉を聞いて自分の養生の道を得た」と嘆息した。

話は以上。文恵君は庖丁の話から、ただ闇雲に行動することの愚を知り、「道」の道理に従って行動することが養生の道であることに気づいた、ということだろう。

以上養生主篇から2つの話を書いた。ちなみに養生主篇の全4話の内のその他2つの話は、池田氏によれば、養生思想とは無関係とのこと。

在宥篇から

さて次の話。次は養生主篇を離れて、在宥篇から広成子という賢人の話。今回も諸橋轍次荘子物語』*7に頼って書く。

中国最初の帝王とされる黄帝が賢人・広成子に教えを請うた。広成子が教えをたれるようになるまでのエピソードは省略して、広成子は黄帝に対して養生の道を説いた。以下、諸橋氏の説明。

養生の道は、第一に「何事も昏昏黙黙たれよ」 ── すべての耳目を動かすなとの意味であります。そこで、次には「見ることなかれ、聞くことなかれ」とも教えます。あるいはまた「神を抱(いだ)いて以て静かなれ」「汝の形を労することなかれ。何時の精を動かすことなかれ」、そこだできれば「以て長生すべし」と教えています。要するに広成子の教えるところは、むだなことにからだを費やすな ── 「目見るとところなく、耳聞くところなく心知るところなければ、何時の神はまさに形を守らんとす。形すなわち長生す」というのがその主張であります。

以上荘子の述べた、精力を蓄えるということ、耳目口腹(じもくこうふく)を動かさないようにすること、これらはすでに老子がたびたびいっているところであります[以下略]

出典:諸橋轍次荘子物語/講談社文庫/1988/p292

荘子物語 (講談社学術文庫)

荘子物語 (講談社学術文庫)

老子』は「無為」を重要視し、「養生」を思想に取り入れるときに、「無為」を使った。『荘子』も同じ。

余談だが、貧乏人の心得に「動くな腹が減る」という物があるが...これと比べてはいけないか。ニートが読んだら「我が意を得たり」といいそうで怖い。

荘子』の養生論の中身

上の本では『老子』の養生に関する箇所として第59章の一部を紹介している。

老子は「人を治め天に事(つか)うるは、薔(しょく)に若(し)くは莫(な)し」といっています。人を治める政治の道も、天に事える、すなわち自分の身を養う養生の道も、どちらもなるべく事を少なくし欲を少なくし、仕事の分量も少なくするがよい、という意味であります。

出典:諸橋氏/p290

労力も勉力も食も八分までにしておけば回復が早く、平常でいられるとのこと。

諸橋氏は「荘子の養生論は、ほぼ老子の養生論の衣鉢を伝えたものと見ることができます」(p291)としている。

以上をまとめると、荘子の養生論の中身は「無理をしない」「中庸に努める」くらいになるだろう。

*1:道家(19)荘子(著者と成立時期) - 歴史の世界を綴る 参照

*2:岸陽子/中国の思想 荘子/徳間文庫/2007(原著は1996年に刊行)/p129

*3:章分けは池田氏以外にも通用するのかどうかは知らない

*4:諸橋轍次荘子物語/講談社文庫/1988/p301-302

*5:包丁 - Wikipedia その他

*6:講談社文庫/1988/p293-295

*7:p292-293