歴史の世界

2025-01-01から1年間の記事一覧

インターネット上の歴史の知識について

歴史以外の話。 インターネット上の歴史の知識について 歴史修正主義という言葉 インターネット上の歴史の知識について 数年前までは、私の参考資料のほとんどが図書館で借りてきた本で、その中でも中公世界史と山川各国史を多く使っていた。これらは20世紀…

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀前半)④ グレートゲームの前半戦

グレートゲームとは? グレートゲームの最初期:第一次ロシア・ペルシア戦争 第二次ロシア・ペルシア戦争と露土戦争 第一次アフガン戦争(1838年 - 1842年) イギリス・ペルシア戦争 グレートゲームとは? グレート・ゲーム(英: The Great Game)とは、中央…

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀前半)③ ヨーロッパ方面

外交・植民地・侵略の話を書きたいのだが、ヨーロッパほか中央アジア、インドなどがあり、時系列で並べられないので、今回はヨーロッパ方面から。 (アメリカとイギリスの関係はアメリカの歴史の方で書くつもり) 光栄ある孤立 ギリシア独立(戦争) ギリシ…

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀前半)② 内政と党名変更

おさらい カトリック教徒解放法 第一回選挙法改正 工場法とチャーチスト運動 党名の変更:トーリー党→保守党、ホイッグ党→自由党 ロバート・ピール:保守党の党名変更の代表 パーマストン:自由党の党名変更の代表 おさらい イギリス史(イングランド時代も…

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀前半)① それより前のおさらい

19世紀はパクス・ブリタニカの時代と言われるが、この頃のイギリスの政治を何回かに別けて書いていく。 この記事ではイギリス史を19世紀初頭までおさらいする。ほぼ過去記事の紹介になってしまったが。 パクス・ブリタニカ おさらい イングランドからイ…

資本主義社会④ 自由貿易

比較優位:19世紀の自由貿易体制の理論的支柱 自由貿易(主義)は自由主義的改革の一環 イギリス東インド会社について 奴隷制廃止 穀物法廃止 航海法の廃止 古典派経済学の黄金時代:自由主義的改革と自由貿易の成功 比較優位:19世紀の自由貿易体制の理論的…

資本主義社会③ 自由主義的政策(1820年代~)

資本主義社会と言いながらイギリスの歴史を書き続けているが、資本主義社会の基を作ったのはイギリスだから。 自由主義的政策 自由主義について 工場法 自由主義的政策 20年代に入ると自由主義的政策に転換する。 当時はリヴァプール伯爵が首相だった(在位…

資本主義社会② 労働問題(~1810年代)

ノーフォーク農法と第二次囲い込み ノーフォーク農法 第2次囲い込み 悪化する労働環境 ラッダイト運動 穀物法と失業 ノーフォーク農法と第二次囲い込み 産業革命の時代の要暗記用語。 ノーフォーク農法 ノーフォークはイギリスのイングランド東部の州。内容…

資本主義社会① 資本主義社会の形成

イギリスで起こった資本主義社会の形成について書く。 資本主義は「反・重商主義」から始まった 現在では資本主義という考え方が定着している。資本主義の父はアダム・スミスで、これを実践したのが小ピットと言われている。 それより前は重商主義の時代が長…

ウィーン体制の時代② 五大国とスイス

前回からの続き。 五大国 スイスの永世中立国化 五大国 フランス革命前から五大国が「影響力を持つ大国」と考えられていたが、ウィーン会議によってこれらの国々が話し合う場が設けられ、彼らの話し合いで決まったことがヨーロッパの決まり事となる。だから…

ウィーン体制の時代① ウィーン会議とウィーン体制

1814~15年、ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序回復を図る国際会議。1815年、ウィーン議定書を成立させた。……ナポレオンのエルバ島脱出の一報が入り、急きょ議定書がとりまとめられた。ここで出来上がった19世紀前半の国際関係の基軸となる国…

「上からの改革」「上からの近代化」について

「上からの改革」とは何か? 「下からの改革」? 「上と下の改革」が理想なのだが 近代・近代化の三大要素 「上からの改革」とは何か? 啓蒙思想の影響と広がり 18世紀の西ヨーロッパは主権国家が形成され、各国は絶対王政の支配の下にあった。絶対主義国…

「ヨーロッパ五大国」のロシア③ いよいよ五大国に

前回からの続き。ピョートル1世の治世でいよいよ「ヨーロッパ五大国」になり、「ロシア帝国」になる。 ピョートル1世とロシア帝国 アラスカまで版図拡大 ピョートル1世とエカチェリーナ2世のあいだ エカチェリーナ2世の近代化政策と反動 アレクサンドル1世と…

「ヨーロッパ五大国」のロシア② 大国になる前の歴史 その2

前回からの続き。前回はロシア史の15世紀まで書いたが、その続き。 「雷帝」イヴァン4世 動乱時代 ロマノフ王朝の始まり 「雷帝」イヴァン4世 イヴァン4世は暴君揃いのロシアでもドン引きされるほどの暴君なので「雷帝」と呼ばれる。雷帝なんてかっこいいと…

「ヨーロッパ五大国」のロシア① 大国になる前の歴史 その1

ここから幾つかの記事に分けてロシアの話を書く。メインは「ヨーロッパ五大国」のロシアあたりなのだが、まずはそれ以前の話を簡単に書いておく。 ルーシ:ロシア人の起源ほか 取っ掛かりとしてGrok/Xに聞いてみた。ざっくりとした説明。 ロシア人の起源は、…

マイケル・I・ハンデル 『孫子とクラウゼヴイッツ』についてのメモ⑤

前回からの続き。 有能な指揮官は計画をそのまま遂行できるのか(第11章) 軍事的指導者の役割と資質(第12章) 指揮官の「軍事的天才」について(第14章) 勇敢さについて(第15章) 両者は補完関係(終章) 有能な指揮官は計画をそのまま遂行できるのか(…

マイケル・I・ハンデル 『孫子とクラウゼヴイッツ』についてのメモ④

前回からの続き。 インテリジェンスについて(第10章) ネットアセスメント(第10章) インテリジェンスについて(第10章) 本の内容に入る前に、まずはインテリジェンスとは何かについて。以前に引用したものを再掲。非常に分かりやすい。 平たく言えばイン…

マイケル・I・ハンデル 『孫子とクラウゼヴイッツ』についてのメモ③

前回からの続き。 欺瞞(第9章) 奇襲(第9章) 現代の奇襲 欺瞞(第9章) もっとも成功したといえる欺瞞とは、しかけられる側に既に浸透している考え方や希望的観測を上手く操作し増幅させるということであり、策略として自軍の弱体を装うことであると孫…

マイケル・I・ハンデル 『孫子とクラウゼヴイッツ』についてのメモ②

前回からの続き。 両者の共通性 孫子の儒教の影響?(第7章) 兵力数がすべてか?(第8章) 両者の共通性 …孫武の時代とクラウゼヴィッツ・ナポレオンの時代の間と、クラウゼヴィッツ・ナポレオンの時代と現代の間では、前者のほうが時代間の隔たりがはる…

マイケル・I・ハンデル 『孫子とクラウゼヴイッツ』についてのメモ① 

今回のテキストはこちら↓ 米陸軍戦略大学校テキスト 孫子とクラウゼヴイッツ (日本経済新聞出版)作者:マイケル・I・ハンデル日経BPAmazon マイケル・I・ハンデル 『米陸軍戦略大学校テキスト 孫子とクラウゼヴイッツ 』(日本経済新聞出版) ハンデル氏には…

クラウゼヴィッツ『戦争論』についてのメモ④ 三位一体

前回からの続き。 三位一体(第5章) 三位一体(第5章) 「三位一体」は『戦争論』で有名なワードの1つだ。ハワード氏の本には「独特な三位一体」と書いてあるが、同じだ。 第5章の終わりに三位一体の文を引用して「これがクラウゼヴィッツの結論だ」と…

クラウゼヴィッツ『戦争論』についてのメモ③ 制限戦争と絶対戦争、防御とゲリラ

前回からの続き。 制限戦争と絶対戦争(第4章) 指揮官は「絶対戦争」を考えるべき、政治家は「絶対戦争」を止めることを考えるべき(第4章) 防御(第4章) ゲリラ(第4章) 制限戦争と絶対戦争(第4章) まずは日本クラウゼヴィッツ学会からの引用 ク…

クラウゼヴィッツ『戦争論』についてのメモ② 軍事的天才、目的と手段、戦略と戦術、重心、精神を挫く

前回からの続き。 軍事的天才と普通の指揮官がやるべきこと(第3章) 政治と戦争、目的と手段(第3章) 戦略・戦術・術(アート)について 重心 敵の精神を挫く「Schlacht」(戦い) 軍事的天才と普通の指揮官がやるべきこと(第3章) 天才については、前…

クラウゼヴィッツ『戦争論』についてのメモ① 「戦場の霧」「摩擦」「精神力」

クラウゼヴィッツ『戦争論』の解説書を入手したので『戦争論』について書いていく。テキストは↓。 クラウゼヴィッツ作者:マイケル・ハワード,奥山真司勁草書房Amazon マイケル・ハワード『クラウゼヴィッツ』(監訳:奥山真司)(副題:『戦争論』の思想) …

プロイセンの歴史⑧ プロイセン改革 その4 軍制改革の内容と終焉

軍制改革 改革の終焉 軍制改革 以下は軍制改革の内容 一般徴兵制度の導入 背景: ナポレオン戦争での敗北後、プロイセンはティルジット条約(1807年)で軍の規模を制限された(4万2千人以下)。これを回避するため、シャルンホルストは一般徴兵制度を導入。 …

プロイセンの歴史⑦ プロイセン改革 その3 グナイゼナウ

前回からの続き。 グナイゼナウ グナイゼナウ シャルンホルストの死亡によりグナイゼナウが彼の後任となった。グナイゼナウは各師団に配属された参謀将校が直接参謀総長に意見上申できると定めた。また、命令伝達に命令を成文化した訓令を用いた。これによっ…

プロイセンの歴史⑥ プロイセン改革 その2 ハルデンベルクとシャルンホルストと軍制改革

ハルデンベルク Karl August Fürst von Hardenberg シャルンホルストと軍制改革 ハルデンベルク Karl August Fürst von Hardenberg ハルデンベルクは、神聖ローマ帝国の領邦国家の一つブラウンシュヴァイクに仕えていたが、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に…

プロイセンの歴史⑤ プロイセン改革 その1

亡国の危機に瀕していたプロイセンは国制改革を断行して、成功する。少し前に国制改革をやろうとしていたポーランドを滅亡させた国が、国制改革を成功させてしまうのは皮肉なのか何なのか。 プロイセン改革のネットの記事が少ないのだが、明治維新の元勲たち…

プロイセンの歴史④ ポーランド分割と対仏戦争

大王の次の王:フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 ポーランド分割(第2回、第3回) 第2回 第3回 フランス革命戦争とナポレオン戦争 大王の次の王:フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 1786年に大王が死去。甥のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世 があとを継いだ(1…

プロイセンの歴史③ プロイセン王国と大王

王国へ昇格とプロイセン王フリードリヒ1世 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 と"大王"フリードリヒ2世 オーストリア継承戦争 七年戦争 啓蒙専制君主 大王とジャガイモ 第1回ポーランド分割 王国へ昇格とプロイセン王フリードリヒ1世 大選帝侯フリードリヒ・ヴ…