歴史の世界

道家(19)荘子(著者と成立時期)

これから複数回に亘って『荘子』について書いていく。

このブログでは著書の『荘子』を二重括弧で表記し、著者を荘子と括弧なしで表記する。

荘子(そうじ)とは - コトバンク》によれば、著書『荘子』は「そうじ」と呼んで著者の荘子を「そうし」と呼ぶことになっているらしい。理由は「曾子」と区別するためらしいがよく分からない。どうでもいいことのようなのでこのことにはもう触れない。

著者の荘子

老子についてはその実在性を疑う学者は少なくないようだが、荘子は実在したとされているようだ。

荘子、名は周。生没年代は明らかではないが、『史記』の老子・韓非列伝(老荘申韓列伝とも)には、「魏の恵王(在位、西暦前370~前319年)、斉の宣王(在位、前319~前301年)と同時代の人である」と記録されている。

現代の学者、馬叙倫は、荘子の生存を前369~前286年と推定している。ほかにも、多くの研究者によって、『荘子』にでてくる歴史上の実在人物や戦国時代の文献による考証がなされているが、いずれも馬叙倫の説と大差ない。荘子が生きたのは、だいたい前4世紀の後半というのが通説であり、いわゆる戦国時代の中期にあたる。

出典:岸陽子・訳/荘子―中国の思想/徳間文庫/2007(原著は1996年に刊行)/p21

池田知久氏によれば、『史記』の著者司馬遷は『荘子』に書かれた荘子像(31条ある)を材料として利用したが、『荘子』に描かれた荘子物語は史実性に乏しいとしている。

例えば、思想家(名家)の恵施(恵子)は荘子の友人かつ論敵だされているが、池田氏は「荘子の活動年代は300年を中心とする戦国後期に設定するのがよいと考える。司馬遷の想定は30年~40年早すぎたのだ」と書いている *1

池田氏は『荘子』全体を精読して活動年代を割り出したとのこと。

成立時期

荘子』と荘周との関係

一般には『荘子』の著者は荘子(荘周)で通っているが、実際は荘子以外の人々が付け足した部分が少なくない。

現代に流通している『荘子』33篇は大きく分けて内篇・外篇・雑篇と3つに分けられるが、荘子自ら書いたものは内篇で他の2つは門弟または亜流の作である、というのが通説であるという *2

しかしこれにも池田氏は異を唱えている。池田氏によれば、上のような通説の淵源は韓愈(768~824)や蘇軾(1036~1101)らまで遡ることができるが、彼らが批判するようになるまでは『荘子』は荘周が自ら全て書いたことを疑う者はなかった、としている。

荘子』33篇を編纂したのは郭象という人だが、その生没年代は252年頃~312年とのこと。

池田氏は「どの部分を荘子の自著と信じるか」というようなことを「狭い世界」と言っている。どうやら突き詰めることは不可能だと判断したようだ。

荘子』の編纂と完成

上に書いたように『荘子』は荘周一人で書いたものではない。荘周が書いたものから始まって新しいものは前漢武帝期まであり、一種の全集である *3

史記』には「十余万言」とあるが、池田氏はこれを「雑然たる堆積」と書いている*4

これを52篇に整理したのが前漢末の劉向(前77-前6年)で彼が内篇・外篇・雑篇の区別を行った、と池田氏は推測している。*5

そして最終的に、というわけではないが上述の郭象が33篇を編纂し、幾つかの「篇本」のバリエーションの中で、この「郭象本」だけが生き残ったという。

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 文庫



*1:荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p17

*2:池田氏/p28

*3:池田氏/p33

*4:p24

*5:p23-26