ヨーロッパ_近世
ハプスブルク家 vs フランス・ブルボン家 レオポルト1世 vs ルイ14世 オーストリア vs プロイセン オーストリア継承戦争 七年戦争 ハプスブルク家 vs フランス・ブルボン家 ハプスブルク家が婚姻政策でヨーロッパじゅうに所領を持つようになってから両家は…
オーストリア大公国とオスマン帝国とハンガリー王国 オーストリア大公としてのレオポルト1世 第二次ウィーン包囲と大トルコ戦争 オーストリア大公国とオスマン帝国とハンガリー王国 オーストリア大公国はハプスブルク家の本領と言うべき領邦国家。神聖ロー…
三十年戦争が終わり、戦場となったドイツは荒廃し、神聖ローマ帝国はフランスのような絶対君主国にはなれずバラバラになってしまった。ウェストファリア条約が「帝国の死亡証明書」と言われるのはそのためだ。 しかし、弱肉強食の世が終わったわけではなく、…
ハプスブルク家の全盛期 ハプスブルク家の全盛期 前回のマクシミリアン1世の婚姻政策によってスペインその他の領域もハプスブルク家が所領することになった。フランスの立場からすれば東西両側から挟まれ、さらに南北(北イタリアとネーデルラント)にもハ…
ドイツ近世史については三十年戦争後をメインに書くことにする。この記事ではそれ以前の歴史をかいつまんで書いていく。 帝国を変えた男、マクシミリアン1世 「婚姻政策」 「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」 帝国改造 帝国を変えた男、マクシミリアン1世 マ…
「ドイツ近世史」については三十年戦争後をメインに書くことにする。この記事ではそれ以前のポイントになる知識をかいつまんで書いていく。 選帝侯 帝国等族と帝国議会 帝国裁判所 帝国クライス 選帝侯 「選帝侯」とは神聖ローマ帝国の皇帝になるための選挙…
「大英帝国」の「帝国」は「各地に広大な植民地を持つ」という意味での帝国。ローマ帝国のそれもそういう意味。 ちなみに「神聖ローマ帝国」は古代ローマ帝国を継承しているという意味でそう呼ばれるが、18世紀フランスの哲学者ヴォルテールが,「神聖でも,…
前回からの続き。 王朝交代 議院内閣制と政党政治の確立 「ウォルポールの平和」 王朝交代 女王アンが1714年に死去。子供がいなかったため、王位継承法に適うステュアート家の血を引きプロテスタントである唯一の人物ソフィア *1、 の息子が王として迎え入れ…
前回からの続き。 メシュエン条約 1707年合同法と大ブリテン王国の誕生 ユトレヒト条約 メシュエン条約 1703年イギリス代表メシュエンJohn Methuenとポルトガル代表アレグレテ侯爵との間に調印された通商条約。条約はわずか3条からなり,ポルトガルが奢侈(…
前回からの続き。 名誉革命 権利章典 ファルツ戦争 イングランド銀行設立 王位継承法 2人の王の死と評価 名誉革命 前回の最後に引用した通り、イングランドをカトリック国にしようとするジェームズ2世に対して議会は我慢の限界が訪れた。そしてクーデタを…
前回からの続き。 王政復古 第二次英蘭戦争 第三次英蘭戦争 二大政党制の始まり? ジェームズ2世と議会との確執 王政復古 1659年、護国卿リチャード・クロムウェルが退任した。その後、小規模の武力をも使った政争の末、議会は王政復古することを決定し、チ…
前回からの続き。 アイルランド・スコットランド侵攻 航海法(航海条例) 第一次英蘭戦争(1652-1654) クロムウェル、護国卿就任(1653) クロムウェルの死(1658) アイルランド・スコットランド侵攻 国王チャールズ1世は1649年の1月に処刑され、クロムウェル…
清教徒革命=ピューリタン革命。清教徒革命は市民革命のひとつと言われているので近代の出来事だと認識していたが、「近代はフランス革命あたりから」という区分を採用しているため、イギリスの2つの革命、清教徒革命と名誉革命は近世として扱うことにする…
エリザベス1世の治世はテューダー朝の一人。なのでいちおう絶対王政のひとりだ。"黄金時代"とか"全盛期"と言われる治世だが、テューダー朝自体が大したことのない小国だったため世界史的にも大した影響力はない。 エリザベス1世については、個人的にはそれほ…
世界史の中のヨーロッパ近世において、「イギリス」と書かれているものはイングランド王国のことだ。15世紀のブリテン島はイングランド王国とスコットランド王国に分かれている(ウェールズはイングランドの支配下にある)。 イングランド王国はフランス国内…
フランスの全盛期はリシュリューとマザランの2人の宰相が、三十年戦争のドサクサに紛れて土台を作り、ルイ14世が政治を執った。余談になるが、「太陽王」と呼ばれるのは全盛期の王を表すのではなく、バレエの舞台で太陽神アポロンの衣装を着ていたからだそ…
近世オランダの独立までは「オランダ独立戦争」についてのいくつかの記事で書いた。 ここでは、簡単なおさらいとその後の略史を書いていく。 経済急成長の理由 インド・アメリカ大陸との貿易 オランダ東インド会社 西インド会社 衰退の原因 中央集権化の失敗…
今回は国際法について。 国際法におけるウェストファリア体制の解釈 政教分離--キリスト教の規範では戦乱は収まらない 帝国からの領邦主権国家の独立 主権国家の対等(並立) 国際法とは? グロティウス『戦争と平和の法』 自然法思想 区別するということ 「…
勢力均衡 勢力均衡 主権国家のことは書いた。国際法より先に勢力均衡のことを書こう 勢力均衡については以下の記事でも書いた。 rekishinosekai.hatenablog.com 勢力均衡=バランス・オブ・パワーの「原理」は、近世ヨーロッパで出てきたものだ。具体的な現…
ウェストファリア体制/主権国家体制に関する歴史用語とそれに関する歴史の流れを書く。 封建社会から絶対王政へ 主権と王権神授説と主権国家 絶対王政の政治のしくみ 各国の実情 重商主義 まとめ:政教分離 封建社会から絶対王政へ 中世の後半から末期あた…
「ウェストファリア体制=主権国家体制」とすると異論が多そうだが、「ウェストファリア体制= "近世の"主権国家体制」とすれば異論は少なくなりそうだ。 近世の主権国家は近代国家とまではいかないが、中世とは違う国家像が出来上がっていく。そんなわけで…
ウェストファリア条約は三十年戦争を終わらせるための講和条約。国際条約および国際法の始まりとされた条約として重要。ウェストファリア体制については次回書く。 和平交渉開始 内容と宗教的寛容と各国について 和平交渉開始 ウェストファリア条約は1648年…
前回からの続き。 2番目、3番目の戦争は外国からの干渉戦争だったが、4番目は国際戦争(ヨーロッパ大戦)だ。 デンマーク戦争(1625年 - 1629年) スウェーデン戦争(1630年 - 1635年) フランス・スウェーデン戦争(1635年 - 1648年) デンマーク戦争(1…
宗教戦争の最後で最大の戦争。ドイツ(神聖ローマ帝国)内の新旧宗派の対立から始まったが、他国の介入により拡大、全ヨーロッパに影響を及ぼした。 前史 プロテスタント同盟とカトリック連盟 皇帝たちの政治能力の欠如 戦争開始の直接のきっかけの事件 ボヘ…
前回からの続き。 開戦と内部分裂 オランダの「独立」の実情 劣勢から巻き返して休戦へ 貿易大国としての隆盛 戦争の再開と終戦 開戦と内部分裂 1568年にオラニエ公ウィレムが戦闘を開始したことを持って独立戦争(八十年戦争)が始まるとされる。ただし、オ…
オランダ独立戦争は八十年戦争とも呼ばれる。 スペイン領ネーデルラントが行った独立戦争。フェリペ2世の新教徒弾圧、重税政策などに反抗して1568年開戦。1579年、北部7州がユトレヒト同盟を結成して抗戦を継続し、1581年にネーデルラント連邦共和国を樹立し…
ユグノー戦争とは、フランスで起きた宗教戦争。「ユグノー」はフランスのカルヴァン派を指す言葉。語源は諸説あるらしく、よくわからない。 1562年~98年と一世代以上続いているので、複数の戦いを含み、主要人物も多い。 前史 宗教改革派の弾圧の始ま…
ルターの信仰は領主たち(為政者層)に受け入れられ、ローマ教会とは違う宗派すなわちルター派が確立した。宗教戦争は基本的に、為政者vs平民ではなく、為政者どうしの戦いを指すようだ。 宗教戦争とは? シュマルカルデン戦争 戦後の戦いとアウクスブルクの…
イングランド(イギリス)の宗教改革はルターやカルヴァンの場合とは全く異なる。だから本当は「宗教改革」と呼ぶにふさわしくない。 宗教改革のきっかけ 国王至上法 宗教改革のきっかけ きっかけになったのはヘンリー8世の離婚問題だ。この成り行きでロー…
対抗宗教改革は "反宗教改革"とも呼ばれる。ローマ教会側の宗教改革。 反宗教改革 キリスト教のプロテスタントによる宗教改革に対抗する、カトリック教会内部の革新運動。また、プロテスタントに対する宗教的・政治的反撃の運動。トリエントの宗教会議、イエ…