歴史の世界

2025-12-01から1ヶ月間の記事一覧

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀後半)⑤ グラッドストンとディズレーリ/第二次選挙法改正と政党政治の変化

記事のタイトルの通り。 第二次ラッセル伯爵内閣 第三次ダービー伯爵内閣と第2回選挙法改正成立 第一次ディズレーリ内閣 第一次グラッドストン内閣発足 政党政治の変化 政党の変化 議会の仕組みの変化 第二次ラッセル伯爵内閣 パーマストン首相が急死した直…

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀後半)④ グラッドストン・ディズレーリ時代の開始

パーマストンが活躍した時代が終わって、次の時代はグラッドストン・ディズレーリ時代となる。 グラッドストン・ディズレーリ時代の歴史的位置 グラッドストン・ディズレーリ時代の二大政党制は以前と何が違うのか グラッドストンの人物像 ディズレーリの人…

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀後半)③ 首相としてのパーマストン 後編

南北戦争への関与 南部を「交戦団体」と宣言 トレント号事件 南部が一番独立に近づいた時期と独立解放宣言 シュレスヴィヒ=ホルシュタイン問題(デンマーク戦争) 日本に対する興味は見られなかった 急死 パーマストンが選挙改革を拒否し続けた理由 パーマ…

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀後半)② 首相としてのパーマストン 前編

この記事は下の記事からの続き。 パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀後半)① クリミア戦争(グレートゲームの後半戦 その1) グレートゲームの後半戦の話は別の機会に書くとして、今回はパーマストンについて。 第一次パーマストン政権(1855-58) 第二次…

近世スペイン型植民地経営と近代帝国主義型植民地経営の比較

記事タイトルについてAIに聞いてみた。 経済モデルと富の最終的な効果 統治の深度と社会的遺産 システムの維持コストと持続可能性 補足 帝国主義国が本国に資本投下したのに対して、(近世)スペインがそれが出来なかった理由 スペインのヨーロッパ覇権の長…

大不況 (1873年-1896年)⑦ 大不況の終わり

この連続記事の最後に大不況の終わりを書く。 ちなみに、ロシアは大不況とはほとんど無縁だった。この国は西欧と比べて金融も工業もだいぶ遅れていて、農業国として成り立っていた。1890年代から工業化に走り出すが、大不況の波とは関係ない。(ここらへんは…

大不況 (1873年-1896年)⑥ 保護主義、帝国主義、第二次産業革命

今回は保護主義、帝国主義、第二次産業革命の三者の関係について書いていく。 第2次産業革命 19世紀後半に急速に重化学工業が工業の主力となった産業の変革。第1次産業革命が石炭を燃料源とした軽工業部門で起こったが、第2次産業革命は、石油・電気を…