歴史の世界

道家(26)荘子(無用の用)

*前回の末尾に「(次回は逍遥遊篇の中の「無用の用」に関する話について書く)」と書いたが、予定を変更して逍遥遊篇に限定しない「無用の用」全般について書く。

「無用の用」は『荘子』を代表する重要なキーワードだ。

前回話したように逍遥遊篇に無用の用に関する話が2つあったが、他の箇所にも散見される。

荘子に見られる「無用の用」の話》というウェブページでは「無用の用」に関する話が一覧になっている。

しかしこれを見ると、どうも「無用の用」の中に言いたいことの異なるものがあることに気づく。

この記事では、2種類の「無用の用」を示す。

人間世篇の「無用の用」

これを見ると、「無用の用」に関する話を一番多く扱っているのは人間世(じんかんせい)篇だった。

人間世篇はどのような篇かというと、岸陽子氏は以下のように簡潔に説明する。

肩ひじを張り、人より抜きんでようとしたところでどうなるか。才子は才で身を滅ぼし、策士は策に倒れる。「人間世」 ── 人間社会に生きて、危害を避け、天命を全うするには、どうすればよいか。本篇もまた、さまざまな事例に即して「無為」を説き、「無用の用」を語る。

出典:岸陽子/中国の思想 荘子/徳間文庫/2007(原著は1996年に刊行)/p141

人間世(じんかんせい)とは引用にあるように人間社会のこと。

荘子』は人間社会に無関心だというイメージがあるのだが、池田知久氏によれば、そうとも言い切れないらしい。

荘子』の中で、作者たちが自らの住まう人間社会を全く無視したり、ことさら背を向けたりの、出世間的な態度を取るべきことを主張している文章は、あまり多くはない。それは、人間社会を含む世界の真実態を「一」と把(とら)え、さらには「無」と見なした初期道家万物斉同の哲学や、世間的な社会や「万物」の世界からの超出を説いた「遊」の思想など、比較的早い時期に見いだされるにすぎない。

戦国末期には、たとえ暴君の支配する恐ろしい現実の人間社会であっても、生にとっての所与の条件として甘受しようという姿勢が普通のこととなり、時代が降るに連れて、現実への肯定は次第に強まっていった。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p108

人間は、水が飲みたいのに飲水がそばに無い時は水のことしか考えられなくなり、密閉された空間で酸素が薄いと息をすることしか考えられなくなるという。

戦国末期という生きにくい時代では人々は生きることに精一杯で、『荘子』の初期の理想を俗に言う「お花畑」と思ったのかもしれない。そのような状況の中で『荘子』の作者・編纂者たちは人間社会に背を向ける態度を緩めざるを得なかった。

そして現実社会の中で生きていくための処世術として「無用の用」を説いた。

さて、以下は孔子と狂接輿という隠者の話。この隠者に『荘子』の主張「無用の用」を代弁させている。

人間世篇より。

孔子が楚に旅した。すると楚の狂接輿が孔子の宿舎の門前でこんな戯言を口にした。
「鳳よ鳳よ[孔子に対する呼びかけ--引用者]、なぜそんなに徳が衰えたのか。
先のことを心配しても始まらない。昔のことを振り返っても無駄なこと。
天下に道が行なわれているなら仕えもしようが、廃れているなら身を隠すがよい。
こんな世の中では、刑罰を逃れるのがやっとのことだ。
幸せは羽根よりも軽いから、授かっていてもわからない。禍は大地よりも重いから、だれも避けて通れない。
人様に徳を押しつけるなんて、やめるがよい。
せまい世界であれこれあげつらうのは、身の破滅。
馬鹿のまねをすれば、痛い目に会うこともないし、まわり道を行けば、足を痛めることもない。
山の木は実を結ぶから傷つけられ、灯火は点(とも)るためにみずから燃え尽くす。肉桂は食べられるから切りとられ、漆は役に立つから裂かれてしまう。
人はみな有用の用は知っているが、無用の用など知りもしない」

出典:守屋洋/「荘子」の人間学/プレジデント社/1996/p181-182 *1

ここで言う「無用の用」は要するに以下の通り。

自分より上層の人たちに「有用」と思われたら酷使されて人生を棒に振ることになる。
天寿を全うしたいのなら馬鹿のまねに徹して人々の目に止まらないようにすることだ。

以下の引用は守屋氏の解説。

狂接輿のような隠者は、中国の歴史にしばしば登場してくる。かられはただの庶民ではない。学問もあれば見識もあり、現実の政治に対する批判も持っている。出身階層から言うと、孔子と同根なのである。

ただし、孔子はあくまでも現実政治の改革に意欲を燃やしたのに対し、隠者たちは政治に見切りをつけて市井のなかに埋没していった。荘子もそんな隠者の一人と言ってよい。

隠者たちは必ずしも孔子の生き方を軽蔑しているわけではない。隠者から見れば、世の中のことは、政治にしても経済にしても結局は成るようにしか成らない。それを改革しようなどというのは、大きな流れに逆らうこと。どんなに努力しても報われることがない。それを改革しようなどというのは、大きな流れに逆らうこと。どんなに努力しても報われることがない。そんなことに自分の一生を賭けるよりは、大自然の懐に抱かれ、市井のなかでのんびりと暮らしたほうが、はるかにまっとうな生き方ではないか、というのである。

こういう隠者の人生観は、戦国乱世を生きた庶民の心情をよく代弁していたと言ってよい。

出典:守屋氏/p183-184

「無用の用」という奇妙な発想が思想として成立したのは、上のような時代背景があった。

上の「無用の用」で思い出すのが「人間万事塞翁が馬」という故事だ。校長先生が朝礼や終業式・卒業式に話したがるアレ。

この話の中に、塞翁(主人公の老人)が落馬をして足を折ってしまうのだが、そのおかげで兵役を免れて命が助かった、という部分がある。まさに「無用の用」。ちなみにこの話の出典は 『淮南子(えなんじ)』。この書は道家の書だ。

また、加賀藩当主の前田利常は徳川幕府に危険人物と思われていたのだが、うつけを装って天寿を全うしたという逸話がある(本当かどうかは分からない)。これも「無用の用」と言えるかもしれない。

逍遥遊篇の「無用の用」

上の「無用の用」は《自分が周りから無用だと思われていることは、自分にとっては用を為している》という意味。

これとは違う意味を持つ「無用の用」がある。

以下は逍遥遊篇にある話。

論敵の恵子が、あるとき、こう言って荘子をからかった。
「魏王から大きな瓢箪の種を贈られたので、まいてみたところ、なんと五石も入るようなばかでっかい実が五つもなったよ。ところが、水を入れると、重すぎて持ち上げられないし、二つに割って杓(ひしゃく)にしてみると、これまた大きすぎて水瓶のなかに入らないのだ。大きいことは大きいのだが、何の役にも立たないので、たたき割ってしまったよ」
荘子はこうやり返した。
「大きなものの使い方がへたな男だな。こんな話があるよ。 宋の国に代々麻を水にさらす仕事で生計を立てている男がいた。商売がらその男の家には、アカギレの妙薬をつくる秘伝が伝わっていた。それを聞きつけた旅人が、薬の製法を百金で買いたいと申し出た。
男は一族を集めて相談した。
『おれたちは代々麻をさらして暮らしてきて、儲けときたら、わずか数金にすぎない。ところが、この薬の製法を売れば、いちどに百金を手にすることができる。どうだい、話に乗ろうじゃないか』
薬の製法を手に入れた旅人は、呉の国に赴いて王に売り込んだ。
たまたま呉は越と戦いを交えることになり、男は将軍に任命された。時は冬である。水上で越軍を迎え撃った男は、アカギレの妙薬のおかげで越軍に大勝し、ほうびとして封地を与えられたという。
いいかね、同じ薬でも、一方は封地を与えられ、一方は麻をさらして細々と暮らしている。物は使いようなのだ。
五石も入る瓢箪があるなら、なぜそれを舟に仕立てて長江や洞庭湖に遊ぶことを思いつかないのだね。大きすぎて水瓶に入らないなどとぼやいているようでは、常識にとらわれているそのへんの連中とまったく変わりがないではないか」

出典:守屋氏/p171-172

これは簡単に言えば、「ものは使いようで価値を生むのだ」 *2 ということになる。

2つの話の違い

狂接輿の話と上の瓢箪の話は、使われる側の話と使う側の話と区別することができるだろう。

さて、注目する点は、「無用の用」という同じカテゴリにくくられるこの2つの話は言いたいことは随分と違うことが分かる。

狂接輿の話は処世の方法を説いているのに対し、瓢箪の話は「万物斉同」に関連している。恵子が瓢箪を用無しとした価値判断を荘子は否定した。これが即ち「万物斉同」。

「無用の用」には少なくとも2種類の「無用の用」があることは注意しておこう。

荘子』は一切の分別など無用というかもしれないが、そこは「無用の用」ということで。

「荘子」の人間学―自在なる精神こだわりなき人生

「荘子」の人間学―自在なる精神こだわりなき人生

  • 作者:守屋 洋
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 1996/03
  • メディア: 単行本



*1:池田知久氏は、狂接輿の話と最後の「山の木は実を結ぶから~」以降の文章は別個のものとしている。私はどちらかというと池田氏の方に説得力があると思うのだが、繋げて読んだほうが「無用の用」を理解しやすいために、あえて守屋氏の方を採用した

*2:守屋氏/p174