歴史の世界

近世イングランド史① 絶対王政下のイングランド

世界史の中のヨーロッパ近世において、「イギリス」と書かれているものはイングランド王国のことだ。15世紀のブリテン島はイングランド王国スコットランド王国に分かれている(ウェールズイングランド支配下にある)。

イングランド王国はフランス国内に領地を持っていたが、百年戦争(1337-1453)でカレー(港湾都市)以外はフランスに奪われてしまった。カレーも1558年にイギリス戦争でフランスに敗れて奪われ、大陸の領地は無くなった。

ブリテン島が日本の本州より少し小さい程度の面積で、イングランドはその6~7割くらいなので、どれほどの小国か分かるだろう。なお、商業も遅れていた。

…などと書いていたが、アイルランドのことを書いていなかった。ヘンリー8世の治世でみずからをアイルランド国王とすることを、アイルランド議会で承認させていた(1541)。同君連合の形態をとったが、イングランド人をアイルランドに盛んに入植させた。他にも宗教上の対立があり、ブリテン島とアイルランド島との間では今でも大きな問題を抱えている。 *1

絶対王政

イングランド及びのちのことも含めイギリスでは議会の力が強くて国王の権力と拮抗しているのだが、それでも絶対王政と呼ばれる時期があった。絶対王政になるためには貴族の没落が必須だが、バラ戦争(1455-1485)という内乱で貴族どうしが潰しあったため達成された。テューダー朝絶対王政の王朝とされる。

イングランド宗教改革について既に書いたがヘンリー8世は絶対王政を代表する一人だ。メアリ1世の治世に宗教改革を否定してプロテスタントを大量粛清した(ブラディー・メアリの由来はこれ)が、エリザベス1世がこれを否定して国教会体制を確立した。

絶対王政テューダー朝)の社会と経済

絶対王政下の社会
 絶対王政成立の背景にはバラ戦争による封建領主層の没落、それにかわってジェントリといわれる土地貴族層と都市の商人の台頭したことがあげられる。また農村の中間層としてヨーマンといわれる独立自営農民も成長した。ジェントリやヨーマンによる農村毛織物業の発展にともなって、囲い込み運動(第一次)が進行し、農民は土地を離れ、都市に勃興したマニュファクチュアでの賃金労働者化が進んだ。この時代は社会的には中世封建社会の枠組みが崩れ、近代社会への移行を準備した時代といえる。

出典:イギリス<世界史の窓

ここらへんの用語は民主制議会政治と資本主義社会の誕生と絡んでくるので、上に出てくる用語を説明する。

ジェントリ

ジェントリは土地貴族層と説明されているが、封建領主層と対義語になっている。

封建領主層は爵位貴族と呼ばれる人たちで、 上から公爵(Duke)侯爵(Marquess)伯爵(Earl)子爵(Viscount)男爵(Baron)という爵位がある。ジェントリは「爵位の無い貴族」と言われたり「爵位がないから貴族ではない」と書かれたりどちらか分からない微妙な立場で、議会では貴族院ではなく庶民院に所属する。

なお、ジェントリも爵位ではないが序列があり、上からバロネット(準男爵 / Baronet)ナイト(騎士 / Knight)エスクワイヤ(郷士 / Esquire)ジェントルマン(紳士 / Gentleman)とある。

ジェントリについてわかりやすく説明されているウェブサイトがあるのでそちらを参照のこと。

walk.happily.nagoya

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ヨーマン

中世から近世初頭にかけて,ジェントリの下に位置して,イングランド社会の中核となった中流の社会層。その大半はさまざまな形態で土地を保有する自営農民であったが,16世紀以降エンクロージャーの進展とともに両極分解して,大半は賃金労働者に転落したが,一部は上昇してジェントリ,資本家となるものが生じた。18世紀の農業革命によって農村のヨーマンは姿を消した。

出典:ヨーマンとは?/山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 - コトバンク

囲い込み運動(第一次)

エンクロージャーの訳語。第一次と書いているので第二次もあるのだが、その話は別の記事で。

当時のイングランドの有力な輸出産業は毛織物工業が唯一だった。農地を持っていたジェントリやヨーマンたちが農地を羊牧場に代えて小作農を大量解雇した。そして上の引用にあるように賃金労働者化が進んだ。

爵位貴族は「金儲けは悪」のような意識があるので(カトリックもそのような考えがある)、金儲けの効率化が苦手だったが、ジェントリやヨーマンは積極的に効率化した結果、上述のような事態を産んだ。ただし、産業革命が起こるのはかなり後の話だ。