歴史の世界

フランス全盛期 ルイ14世

フランスの全盛期はリシュリューマザランの2人の宰相が、三十年戦争のドサクサに紛れて土台を作り、ルイ14世が政治を執った。余談になるが、「太陽王」と呼ばれるのは全盛期の王を表すのではなく、バレエの舞台で太陽神アポロンの衣装を着ていたからだそうだ。

内政

コルベールの重商主義政策

リシュリュー絶対王政の土台を作り、マザランがそれを継承したことは以前のブログに書いた。ルイ14世が親政を行なったが、財政はコルベールが行なった。彼は重商主義政策をしたことで有名だ。重商主義政策の中心は、関税を高くし、国内産業を保護する政策だが、現在でいうところの開発独裁をイメージすればいいだろう。

ルイ14世の統治

ルイ14世の治世ではヴェルサイユ宮殿を建てたことが有名。宮廷文化の粋を集めた宮殿にフランス全国の実力者たち(貴族・聖職者)を呼んだ。日本史に例えるなら参勤交代だ。彼らとその家族たちが「人質」となり、権力が分散されることを防いだ。

宗教方面では、1685年にナントの勅令(プロテスタントの信仰を認めるという王令)を廃止した。ただしこの年以前にもナントの勅令は形骸化していたそうだ。廃止の理由はルイ14世にとって「フランス=カトリック国」があるべき姿だったから。プロテスタントユグノー)の人口の割合は数%ほどだったが、勤勉な商人たちが亡命してしまってフランスの産業が遅れた原因とされる。

もうひとつ、官僚制が確立した。

東洋に関心があったようで、清国で行われていた科挙に倣い、試験官僚制を導入します。フランスは官僚制による中央集権国家と言われますが、その基をつくりました。

出典:倉山 満. 嘘だらけの日仏近現代史 (SPA!BOOKS新書) (p.57). 株式会社 扶桑社. Kindle 版.

ルイ14世侵略戦争

ルイ14世侵略戦争」というのが歴史用語だそうだ。この用語は4つの戦争をまとめたもの。

4つの戦争はウェストファリア体制のルールのもとで行われた。宗教戦争と比べれば凄惨さは無かった。ルイ14世は戦争のセンスがなかったらしく、連戦連敗だった。

上の戦争の他に大トルコ戦争(1683-1699)というのがあり、これはオスマン帝国にヨーロッパ勢が初めて大勝した戦争なのだが、ルイ14世は同盟国のオスマン帝国側についてスペインに攻め込んだ。これにより孤立した。

また、ファルツ戦争と同時期に、英仏植民地戦争/第2次百年戦争があったがこれはイングランドの歴史を書く時に書こう。

ルイ14世の後

ルイ14世は約50年にわたるフランスの統治を行って1715年に死去、ひ孫のルイ15世・次のルイ16世がブルボン朝を継承したが、18世紀を通じて国家の財政難、絶対王政の硬直化、いわゆるアンシャンレジーム社会の矛盾が深刻化して世紀末にフランス革命が起きることとなる。

出典:ルイ14世<世界史の窓

ルイ14世の後はルイ15世が継ぐのだが、その治世はフランス革命の前史となるのでその時に書こう。