「ウェストファリア体制=主権国家体制」とすると異論が多そうだが、「ウェストファリア体制= "近世の"主権国家体制」とすれば異論は少なくなりそうだ。
近世の主権国家は近代国家とまではいかないが、中世とは違う国家像が出来上がっていく。そんなわけで中世のことも少し書いていかなければならない。
近世を知るために必要な歴史用語として「絶対王政」「主権」「主権国家」などがあるが、ウェストファリア体制/主権国家体制に関連する用語も説明していく。
ウェストファリア体制とは?
ウェストファリア体制とは前回書いたウェストファリア条約というヨーロッパ内の国際条約によって形成された体制のことを指す。
以下に引用する文章ではこれを「西欧国際体制」として説明している。
三十年戦争の講和会議であるウェストファリア会議で成立した、ウェストファリア条約の意義は上の三点に要約される。それらをさらにまとめて言えば、ウェストファリア条約によって「西欧国際体制」ができあがった、ということである。
西欧国際体制
西欧国際体制 western state system とは、一般に、主権国家の概念の確立・国際法の原則・勢力均衡の国際政治、の三要素からなる、近現代の国際関係の特質である。その三要素は次のように説明できる。
- 主権国家 内部においては国家権力が最高の力として排他的にな統治を行い、かつ対外的には外国の支配に服することのない独立性を持った国家である。主権国家においては、国家主権の及ぶ範囲の「国民」と「領土」が次第に明確にされる。
- 国際法 主権国家の利害が対立して戦争となった時、国家間の関係を律する法が必要であると認識されるようになった。西欧国際体制のルールとしての国家間の法律が国際法であり、三十年戦争の最中にグロティウスの『戦争と平和の法』などで提唱された。
- 勢力均衡 国際法だけで主権国家間の利害を調整できない場合、戦争を回避する手段として、ある国家だけが絶大な力を持つことがないように同盟関係を築いて、国家間の力の均衡(バランス・オブ・パワー)を図った。
当然のことながら、この体制はある日突然出来上がったわけではなく、中世から近世の蓄積と変容があって、さらにウェストファリア会議での取り決めがあって、形成されたものだということをいちおう書いておく。
上の引用は重要なことが書かれているので、次回から何回かに分けて書いていく。