2020-01-01から1年間の記事一覧
秦王・政(始皇帝)による中華統一を書く。 年表で見る中華統一 中華統一事業は李斯の影響? 年表で見る中華統一 相国・呂不韋を罷免して、秦王・政は実権を手にした。この時、前237年。最後に残った斉を滅ぼし全国統一を果たしたのが前221年。わずか16年で…
戦国時代もいよいよ大詰め、秦王・政(始皇帝)の登場。 秦の中華統一は おおかた昭襄王の時に準備はできていた(前回の記事参照)が、昭襄王の死後に二代立て続けに王が早死にしたので、少しの間 足踏み状態となった。そして秦王・政の代となり再び征服事業…
中華統一を果たすのは秦王・政(のちの始皇帝)だが、政が王になるより前に秦の中華征服事業を止めることができる勢力は無くなっていた。この状況は始皇帝の三代前の秦王・昭襄王の治世で起こった。 今回は昭襄王の治世を中心に書く。 「中国の統一は始皇帝…
前回からの続き。 春秋時代の終わり頃になると、「覇者体制」が崩壊する。これにより周王室は(形式上の)中華のオーナーという立場を失い、それのみならずその存在感までも失ってしまった。 各諸侯国は新しい秩序を求めはじめ、周王室は戦国時代に出来上が…
周王朝が滅亡するのは前256年である。秦によってあっけなく滅ぼされてしまった。 春秋戦国時代において最弱レベルの勢力が戦国末期まで生き延びることができたのは興味深いのでここに書き留めておく。 ここでは春秋時代までさかのぼって東周の歴史について書…
斉と秦の二強の時代が中期で、秦の一強時代が後期。そして最期は秦が他国を滅亡の縁から押し切って中華統一を果たす。 「強国・斉」の衰退と秦の侵略戦争 秦の強さについて 「強国・斉」の衰退と秦の侵略戦争 斉の衰退の原因については↓の記事で書いた。 戦…
「諸子百家」シリーズはこれで終わり。 この記事では主な参考図書を書き留めておく。 諸子百家全般 浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007 Es Discovery/中国古典の解説 儒家 浅野裕一/儒教 ルサンチマンの宗教/平凡社新書/1999 加地伸行/儒教と…
今回は道家と法家。まとめはこれで終わる。 道家と「道」 『老子』 『荘子』 道家と道教の関係 法家 人は利で動く 人間不信 君主論あるいは帝王学 道家と「道」 道家とは「道」を重要視する思想。 「道」は道家に限らず古代中国思想における概念の一つであっ…
諸子百家のまとめの続き。 今回は墨家と兵家を書く。 このブログでは以前に、兵家について孫子と呉子を扱ったが、ここでは呉子に触れない。 墨家 兼愛/兼愛交利 非攻 墨家集団の滅亡 兵家(孫子) 「兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべか…
これまで、諸子百家のうち、儒家、墨家、兵家、道家、法家について書いてきた。今回からそのまとめを書く。 この記事では諸子百家と儒家について重要なキーワードを紹介する。 諸子百家について 諸子百家は「十家」 斉の臨淄:諸子百家の中心地 儒家 孔子は…
秦帝国 韓非の死後、秦の国王嬴政と丞相李斯が中華統一を果たす。秦帝国は李斯の指揮の下で法家の政治をもって全国を統治した。 しかし始皇帝を継いだ二世皇帝 *1 胡亥は凡愚な皇帝で『韓非子』の法術を使いこなす能力は無く、暗君でも国政を維持できるほど…
『韓非子』は、神秘主義・理想主義を排除して、現実主義の立場を採った。この時、『韓非子』は「人は利で動く」という人間観を採用した結果、人間の一人ひとりの理性や能力に期待することを頭の中から排除した。 『韓非子』は一貫して君主の立場に立って考え…
『韓非子』の人間不信については《人主の患は、人を信ずるにあり。人を信ずれば則ち人に制せらる》(備内篇)の言葉を引用して説明を済ませることもできるが、この記事ではもう少しだけ深堀りして見ようと思う。 『韓非子』はどうして「人間不信」に至ったの…
諸子百家のシリーズで「徳」に関する記事を何個か書いたが、今回やっと納得できた気がする。 『韓非子』の「徳」にからめて書いていこう。 諸家の「徳」 「徳」の原義 諸家の「徳」 現代の日本では「徳」は儒家が唱えた概念、つまり「仁愛にもとづく人倫道徳…
「矛盾」と「守株」は『韓非子』由来の言葉。 この2つの言葉は儒家を批判する文章の中から生まれた。 この記事では2つの言葉をもって『韓非子』が儒家に対してどのような批判をしたのかを見ていく。そこに儒家と法家の違いが見えてくる。 「矛盾」 守株 「…