諸子百家のシリーズで「徳」に関する記事を何個か書いたが、今回やっと納得できた気がする。
『韓非子』の「徳」にからめて書いていこう。
諸家の「徳」
現代の日本では「徳」は儒家が唱えた概念、つまり「仁愛にもとづく人倫道徳の概念」 *1 に近い意味で使われることが多い。
道家のそれは《道家(28)荘子(徳/徳充符篇/明鏡止水)》で書いている。
さて『韓非子』二柄での使われ方を引用する。
名君は二つの柄(え)を握るだけで、臣下を統率する。二つの柄とは刑・徳のことである。刑・徳とは何か。罰を加えることを「刑」といい、賞を与えることを「徳」という。臣下というものは罰をおそれ賞をよろこぶ。君主が二つの柄を自分の手で握っていれば、臣下を「刑」でおどし「徳」で釣り、思いのままにあやつることができる。
出典:西野・市川氏/p28
「刑・徳」はつまりは「アメとムチ」で、「徳」とは「アメ」にほかならない。『韓非子』に出てくる「徳」は基本的に「アメ」程度の意味に考えておけばいいらしい。
「徳」の原義
さて、戦国時代の思想家たちはこの「徳」の概念を意味は違えど重要視していた。そうなると思想家の色眼鏡にかかっていない本来の「徳」の意味とはどういうものだったか。
「徳」という漢字の語源をネットで調べると、諸説あるのだが、一番多く見られる説は
《彳+直+心》
で元々は「悳」という字があってこれに彳がついて「真っ直ぐな心で行動する」が原義になった、というもの。この説は儒家の「徳」と直結するが、その他の「徳」とは縁遠い。
次に多かったのが、
《彳+省+心)》
で、これは《彳+省》に心が後から付いた、というもの。これは白川静『字統』にあるようだ。「徳」あるいは「省」の「目」の上にあるものは呪飾(古代の呪術的なメイク?)を表している。古代の為政者たちは目の上にメイクをして地方を視察したらしい。この視察のことを「省」または「省道」という。呪飾による一時的でしかなかった呪力から、次第に恒久的な内面的な力(他人に影響を与える力)へと変化して、それが「徳」の原義となる。そして後になって、「得」と同音であることから「力を与えられて生成されたもの」という意味で使われるようになった。
《入墨と徳について。: Strings Of Life 参照》
いろいろ調べてみると「直」という字は「省」から派生した字だという。そういうわけで、「真っ直ぐな心で行動する」という説は間違いだ、というのが私の結論だ。
「徳」という字は西周の金文に見られ、小南一郎氏によれば、「徳」の意味は「ある家系が王権との関係を通して持っている生命力」を意味することが明らかになっている *2
冨谷氏によると小南氏による「徳」の定義は「天上に源泉する生命力」だそうだ(冨谷氏/p143)。
さて、初期の儒家つまり『論語』では「徳」を以下のような意味で使っている。
「子曰、天、徳を予に生(な)せり。」(『論語』術而)(冨谷氏/p143)
意味は「天はわたしに使命を果たすべき力を与えてくれているのだ」。
儒家が用いる「徳」が道徳的な意味合いを持つようになるのは孟子からかもしれない。
そして、儒家の「徳」が「仁愛の力」、『韓非子』の「徳」が「カネ(アメ)の力」で、「他人に影響を与える力」ということは共通している。
本当は、『韓非子』の「徳」をメインにしなければならないのだが、「徳」の原義でやっと納得が言ったので、こちらがメインになってしまった。