これまで、諸子百家のうち、儒家、墨家、兵家、道家、法家について書いてきた。今回からそのまとめを書く。
この記事では諸子百家と儒家について重要なキーワードを紹介する。
諸子百家について
諸子百家は「十家」
時代背景のことなどは、以前の記事 《春秋戦国:戦国時代⑨ 諸子百家 その1 諸子百家とは?》 で書いた。
諸子百家は100の思想があるわけではない。百というのは多いという意味だ。千変万化や白髪三千丈と同じ。
実際の思想の数は、後世の分類によって数は変わるが、10個に分けられるのが一般的だ。
この基準となる文献は中国王朝の正史の一つ『漢書』にある芸文志。ここに古代の思想の文献の目録が分類されて収められている。
この分類によれば、戦国時代の思想は、①儒家②墨家③道家④法家⑤陰陽家⑥名家⑦縦横家⑧雑家⑨農家⑩小説家に分けられる。ただし、最後の小説とはちっぽけな話という意味で、とても思想と呼べる代物ではないということでこれを除外される(これを「九流」と呼ぶ)。これに兵家を加えたのが「十家」あるいは「十流」だ。
斉の臨淄:諸子百家の中心地
戦国時代の斉の威王(前4世紀)は国都である臨淄に各地から多くの学者を集めた。ここで多くの流派の学者たちが論争しながら思想を交流させた(百家争鳴)。
学者たちが臨淄の城門のひとつである「稷門」の近くに住んだことから彼らは「稷下の学士」と呼ばれた。
ただし、この頃は書物が竹簡や絹布などを使って流通していたので各地にいた学者たちは流行を知ることができた。
現在、中国の古代の複数の墓から竹簡や絹布などが発見され、諸子百家の古典の研究に使われている。
儒家
孔子は礼学の先生
孔子が生きた春秋末は世の中の秩序が乱れていた。秩序を回復するためには周王朝の礼制(「礼」)を復活させるべきだと主張し、礼学の先生となって弟子を集めた。これが儒家・儒教の始まり。
以下に孔子の思想のキーワードを紹介してく。「孝悌」「仁」「礼」。
「孝悌」
孔子の思想で超重要なキーワードは「礼」と「仁」だが、これを知るためにはまず「孝悌」を知らなければならない。
『論語』では家族愛を表す言葉として「孝弟」を使っているこれは孝悌のことで悌は「兄を慕ってよく従う」という意味。孝は親孝行の意味の他に祖先をよく祀ることも含まれる。祖先への祭祀が重要なことは 「祖先崇拝#中国の祖先崇拝 - Wikipedia」 に書いてあるが、簡単に言えば、ちゃんと祭祀を行わないと家族に災いが起こると信じられていたからだ。
弟は兄に、子は父に、そして家長である親は祖先に仕える(つくす)というのが孔子の思想が示す家族愛であり、これが思想の根本である。 *1
「仁」
『論語』学而篇に「孝弟(孝悌)なるものは、それ仁の本なるか」とある(ただしこれは孔子の直弟子の有子の言葉)。「仁」の根本は「孝悌」にある。
「仁」は思いやり・慈しみ・愛情などと説明されるが、重要なことは「家族・宗族以外の他人を慈しむ(愛情を向ける)ということ」。
法律が整備されていない古代においては、宗族(≒大家族、村落共同体)の外の人間は「人間ではなかった」。例えば、宗族外の他人から物を盗んでも宗族の利益になればその盗人は宗族に利益をもたらした善人となる。
そういう世の中で孔子が「他人を愛せよ」と説いたのは画期的なことだった。
「礼」
孔子の説く「礼」は上述した祭祀儀礼を意味するだけでなく、普段の生活の中の振る舞い(マナーも含む)や規範も含まれる。つまり「礼」の意味の中には慣習や文化も含まれる。
普段の生活の中の振る舞いの「礼」は、簡単に言えば、「孝悌」や「仁」を形として表現したものだ。祭祀を行うことで祖先を敬っていることを表現するのと同様に、孝悌を表現する振る舞いを「礼」と言う。
このような「礼」の先生として孔子は門徒を募り、そこから儒家が生まれた。
『春秋』と『論語』
孔子は『春秋』を著したとされる。『論語』は弟子筋が孔子の思想を残すために書いたもの。
孟子
孟子に関する重要なキーワードはたくさんあるが、ここでは「仁義」「性善説」「四端説」「王道・覇道」「天命」「易姓革命」について話す。
「仁義」
※これに関しては記事 《儒家(7)孟子(仁義について) - 歴史の世界を綴る》 を読んでほしい。
「仁」は孔子の上述した「思いやり、慈しみ」「他人を愛する」。孟子はこれと一緒に「義」を重要視した。
「義」とは、簡単に言えば「道義に反することを許さない気構え」くらいの意味。例えば、人助けをして表彰された場合の常套句に「人として当然のことをしたまでです」というものがあるが、おそらくこれが義だ(と個人的に思っている)。
そして「仁義」だが、孟子の説くそれは《君主は臣民を思いやり(仁)、臣民は君主の恩義に報いる》という君臣関係または君民関係を表す。これが王道政治の根本だ。
「王道・覇道」
王道(政治)のことは上で少し触れた。
君主が民に与える「仁」というのは、過酷な賦役(地代と労働)を負わせないことや災害時に施しを与える、などのこと。仁徳天皇の「民のかまど」は王道政治と言えるだろう。まあ いくら君主が民を大事にしていると思ってもその気持ちは届かないわけで、物を与えない限りは感謝されないのだ。これは臣下にとっても同じ。
さて「覇道」。
孟子は諸侯に拝謁した時に王道政治を訴え、武力による政治(または他国への侵略)を「覇道」として批判した。簡単に言えばこれだけ。
「易姓革命」「天命」
「天命」とは、天が人に与えた命令だが、中国思想では「天が君主に与えた命令」という意味になる。
「易姓革命」の易姓は「姓が易(か)わる」、革命「天命を革(あらた)める」という意味。別の言葉で言えば王朝交代だが、易姓革命は武力革命(放伐)による王朝交代を指し、合意の上で王朝交代することを禅譲という(ただし禅譲は、魏の曹丕が後漢の献帝から禅譲を受けたように、事実上は簒奪である)。
孟子によると、殷と周の間の武力革命は殷が天命を失い周が天命を授かった結果だ、ということになる。
性善説、四端説
性善説とは周知の通り、人間には生まれた時にはすでに(先天的に)善の心が備わっているという説。
この説の論拠になるのが四端説。四端とは以下の通り。
- 惻隠(そくいん)-- 他者を見ていたたまれなく思う心
- 羞悪(しゅうお)または 廉恥(れんち)-- 不正や悪を憎む心、恥を知る心
- 辞譲(じじょう)-- 譲ってへりくだる心
- 是非(ぜひ)-- 正しいこととまちがっていることを判断する能力
この4つの感情を努力して拡充することによって「四徳」すなわち仁義礼智を身につけることができる、と孟子は説く。
「徳」とは本来の意味は「他人を惹きつけて従わせる力」だが、儒家のそれは倫理道徳上の修養によって獲得される。「四端」を基にして修養すれば「四徳」となる。
さて、仁・義・礼については上述したが、智はまだ触れていない。
「智」とは「知」。孟子において知るべきこととは《仁義を理解して実践すること》だ *2。
荀子
荀子の重要なキーワードは「性悪説」「礼治主義」「天人の分」。
性悪説
これは性善説と対となるもので、人間には生まれた時にはすでに(先天的に)「悪」の心が備わっているという説。
ただし注意しなければならないのは、「悪」が一般的な意味とは違う点だ。
荀子の言う「悪」とは「人の性は、生まれながらにして利を好むこと有り」(『荀子』性悪篇)、つまり欲があること。この先天的な欲が将来に悪になりうるというのだ。孟子の四端→四徳と対応する考え方だ。
荀子は功利的な人の性(つまり悪)を矯正せずに放置しておけば、他人に危害を加えることとなる、だから教育が必要だ、というのが根本的な考えだ。
上にあるように、荀子は教育の必要性を説いている。孟子も教育(修養)の必要性を強調しているが、スタート地点が性善説か性悪説の違いがある。
礼治主義
上で荀子が教育の必要性を説いているということを示した。それでは教育の中身とはなにか?
それが「礼」。上にも書いたように「礼」という言葉には祭祀儀礼と立ち振舞い(マナーも含む)と規範が含まれている。
さらに荀子は《礼は法の大分なり》(勧学篇)と言っている。つまり法律は「礼」すなわち規範の中から求めるべきだと言っているわけだ。
個人レベルでは立ち振舞を、政治レベルでは立法のために「礼」を学ぶ必要がある。
為政者らは「礼」によって臣民を教育することによって統治すべきだ、というのが礼治主義の主張だ。
「天人の分」
殷代は亀の甲羅を使った占いが政治に使われていた。また古代中国を通して占星術が科学のように扱われていた。さらには古代中国の人々は天(自然現象)と人の行いに相関関係があると信じていた。
荀子はこのようなオカルトを否定した。「天人の分」とは天と人の相関関係など全く無い、全く別だ、と言う意味。
そんなオカルトに頼っていないで、天のことは天に任せて、人は自分たちの「分」(本分)を行うことだ、ということ。