諸子百家のまとめの続き。
今回は墨家と兵家を書く。
このブログでは以前に、兵家について孫子と呉子を扱ったが、ここでは呉子に触れない。
墨家
墨家は秦代に絶滅してしまって(後述)現代にほどんど影響を及ぼさない思想であるが、戦国時代は全国に影響を及ぼすほど流行った *1 。
この思想における重要なキーワードは「兼愛」と「非攻」。
兼愛/兼愛交利
「兼愛」は儒家の「仁(仁愛)」と よく比較される。
「兼愛」は「自己を愛するように他者を愛する」「人を平等に愛すること」で、「仁」と近い意味なのだが、「仁」は自分に近しい人をより親しくして遠縁の人にはそれ相応の愛情で接するという性格があるのに対し、「兼愛」は「親疎の区別なく愛すること」を言う。墨家は「兼愛」の思想を掲げて儒家の「仁」を批判したという。
「兼愛」は自己を愛するように他者を愛するのだから、他者の不幸は自分の不幸だということになる。その結果として、「愛しあうことによって利益を与えあう」という互助の実践が行われることになる。これが「兼愛交利」。
非攻
《人一人を殺せば不義(正義に反する)といい、死刑になる。……ところが、(戦争で)大いに不義を働いて他国を攻めると、それを非とすることを知らず、正義と誉める。それが正義に反することを知らないのだ》(『墨子』非攻篇)
戦国時代も中小国家が大国に併呑されるような時期に、墨家の集団は上のような思想を掲げて大国に徹底抗戦した。墨家は侵略戦争を仕掛けられた小国に赴いて小国の臣民と共に侵略国と戦った。
墨家集団はそのために攻城に対する守城戦術を蓄積した。これが『墨子』兵技巧諸篇である。
ちなみに、「墨守」という言葉があるが(自己の習慣や主張などを、かたく守って変えないこと) 、 これは墨家集団が宋の城を楚(そ)の攻撃から九度にわたって守ったという「墨子」公輸の故事から生まれた言葉だ。 *2
墨家集団の滅亡
戦国時代に大流行した墨家だったが、秦代には絶滅してしまった。秦代は焚書坑儒があったことは有名だが、前漢に入って儒家が復活したのと対象的に墨家は復活しなかった。
滅亡の顛末は史料が少なく分かっていないようだが、墨家集団は大国の侵略戦争に対し徹底抗戦してきただけに、秦帝国が潰したと考えるのが妥当だろう。
前漢以降も復活できなかった。墨家の歴史、大国に徹底抗戦してきた歴史を振り返れば、帝国側が反帝国思想になり得るこの思想の復活を許すとは思えない。
兵家(孫子)
兵家といえば『孫子』の他に『呉子』が有名だがここでは『孫子』のみ言及する。
『孫子』の有名かつ重要なキーワードは「兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」「兵は詭道なり」「彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず」「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」の4つ。
「兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」
これは『孫子』の冒頭にある言葉(計篇)。《戦争は国家の大事(重要な事)である。人民の死と生が決められる場、国家の存亡の分かれ道であるから、深く熟考しなければならない。》 *3
君主や重臣に感情的に戦争を発動することを戒めている。
『孫子』は一貫して戦争をすることに慎重な性格を示している。
「兵は詭道なり」
これは計篇(始計篇)の言葉。《戦争とは敵を騙す行為である》。
自軍を強くしたり大軍で敵を圧倒するよりも、敵を罠にハメて弱体化させてこちらが優位に立つ方がはるかに安くつく、だから詭道に力を注ぐべきだ、と説いている。つまり『孫子』は諜報活動を特に重要視している。
具体的な例はこの言葉の後ろに書いてある。以下に幾つか示す。
- 有能であっても無能に見せかける。
- 兵を用いても用いていないように見せかける。
- 利益を示して誘導する。
- 怒っている相手は混乱させる。
- 自らを卑屈にして相手を驕りたかぶらせ(調子に乗らせて油断させ)る。
- 親しい者(同盟している国)同士は分裂させる。 *4
このようにして敵をコントロールできるようになれば戦わずして勝つことができる。
「彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず」
この言葉は謀攻篇にあるが、これの前に5つの勝利の要因が書いてある。
- 戦うべき時と戦ってはならない時とを知っている。
- 大軍と少ない軍隊の用兵を弁えている。
- 上下の人々の心・目的が合っている。
- 自分が十分に準備して、準備していない敵と戦う。
- 将軍が有能であり、君主が無闇に干渉しない。 *5
彼我の状況の把握・分析の重要性を説く。
一歩進んで「兵は詭道なり」と組み合わせると、自陣を万全の状態にして、敵を工作(詭道)によって崩す。
形篇には「誰も勝つことができない形勢を整え、どんな敵でも打ち勝てるような形成になるのを待った」とある。 *6
そして『孫子』の目指す戦闘のイメージは以下の2つ(いずれも形篇)
《勝兵は先ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む(勝者は勝利を確固たるものにしてから戦闘を起こし、敗者は戦闘を開始してから戦術を考える)》
《善く戦う者の勝つや、智名もなく、勇功もなし》
戦闘を開始する時点では既に勝負は決していて、智名と勇功の出番がない。
「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
謀攻篇の言葉。戦争の最高の勝利は「戦わずした勝つこと」。
この言葉の前に《戦争の法(原則)は、自国の損失を出さないことが上策》とある。戦争は何かしらの利益を得るために行われるのだが、最大の利益を得るための方法が「戦わずした勝つこと」ということになる。
これを実現する方法は上述の「詭道」だ。
『孫子』には用兵(戦術)についても書いてあるが、そんなことよりも戦争を決断する前の情報収集や諜報活動、分析などの方がはるかに重要であることを説いている。
そして、「戦わずした勝つこと」が理想だが、自陣営が何の準備もしなくていいという話ではない。「彼を知り己を知れば~」にあるように、自陣営の準備を充実させ気を一つにするようにしておかなければ、敵陣営の心を折ることは難しくなる。
*1:《「楊朱・墨翟の言は、天下に盈(み)つ」(『孟子』滕文公下篇)、「孔・墨の弟子徒属は、天下に充満す」(『呂氏春秋』有度篇)、「世の顕学は儒・墨なり」『韓非子』顕学篇)》浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p132
*2:小学館デジタル大辞泉/墨守(ボクシュ)とは - コトバンク
*3:Es Discovery/『孫子 第一 計篇』の現代語訳:1
*4:Es Discovery/『孫子 第一 計篇』の現代語訳:2
*5:Es Discovery/『孫子 第三 謀攻篇』の現代語訳:2
*6:《先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ》Es Discovery/『孫子 第四 形篇』の現代語訳:1