歴史の世界

法家(7)韓非子(儒家との比較 -- 「矛盾」と「守株」)

「矛盾」と「守株」は『韓非子』由来の言葉。

この2つの言葉は儒家を批判する文章の中から生まれた。

この記事では2つの言葉をもって『韓非子』が儒家に対してどのような批判をしたのかを見ていく。そこに儒家と法家の違いが見えてくる。

「矛盾」

「矛盾」のエピソードは『韓非子』難一に出てくる。

楚の国に盾と矛とを売る男がいた。かれはまず自分の売る盾の宣伝をした。
「この盾の丈夫さときたら、たいしたものだ。何で突いたって、突きとおせるものではない」
つぎに、男は矛の宣伝をした。
「この矛のするどさときたら、たいしたものだ。どんなものだって、突きとおせないものはない」
ある人がたずねた。
「その矛でその盾を突いたら、どうなる」
男は答えにつまってしまった。
何によっても突き通すことができたに盾と、何でも突きとおすことのできる矛とが、同時に存在することはできない。

出典:西野広祥・市川宏[訳]/中国思想[I]韓非子徳間書店/1996/p151

上は現在通用する一般の「矛盾」の意味の語源。

さて、『韓非子』はこのエピソードをもって何を批判したかったのか?それは同時代の儒家と、儒家が崇め奉る聖人の堯と舜だ。堯と舜の両者は天下を良く治めた聖人で、堯は舜に禅定したとされる。

韓非子』難一によれば、堯が天子(君主)だった時、舜は3つの地方の混乱を治めて正常化し、3年で天下を正常化した。これをもって儒家たちは舜の仁徳を称賛する。

しかし『韓非子』は言う。「舜が天下を正常化したのなら、その頃 天子であった堯は何をしていたのか?」

韓非子』は《天下を良く治めたのが舜であれば、堯は聖人と呼ばれるほどの人物ではないということになる》と主張する。強引な理屈のような気がするが話を先にすすめる。

韓非子』または法家の立場からすれば、もともと次代の天子の舜が方々を駆け回って混乱を処理する必要はなく、天子である堯が法と権力と官僚体制によって治めれば済むことだ。

さらに言うには、天下には数限りないほどの混乱があるというのにその一つ一つに聖人が出向いて治めようとしたら何年あっても天下を治めることはできない。よって儒家のいうような徳治などできるはずがなく、法家の主張する法治で治めなければならない。法治で天下を治めるのならば、たとえ聖人・名君でなくとも治めることはできる。

以上が「矛盾」のエピソードが出てくる文章の要旨。 *1 *2

守株

「守株(しゅしゅ)」。国語辞書には《いつまでも古い習慣にこだわること。進歩がないこと。》 *3 とある。

北原白秋作詞『まちぼうけ』は「守株」のエピソードを歌にしたもの。このエピソードは『韓非子』五蠹(ごと)にある。

宋の国である男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、かれは畑仕事はやめにして、毎日切株を見張っていた。もう一度ウサギを手にいれようと思ったのだ。しかしウサギはそれきり。かれは国中で笑い者になったという。

出典:西野・市川氏/p82-83

このエピソードを使って『韓非子』は儒家の懐古主義を批判した。

曰く、儒家は古(いにしえ)の聖人を称賛し、大昔の礼を現代に蘇らせて秩序を取り戻そうなどと主張するが、人口増加・領域拡大・日進月歩の技術革新で激しく変化する天下を、古の礼を以って治めようとする儒家は守株の男と何も変わらない。

法によって世の中の激動に即応できる法家との違いを主張している。

(法治の限界は別の記事で書く。)