歴史の世界

ユダヤ教成立の歴史⑤ 旧約聖書の歴史観で見る王国時代 その1 ヤハウェ vs バアル

古代イスラエルの王国の歴史については、以下の記事より連投している。

今回は、「旧約聖書歴史観は当時の出来事をどのように観ていたのか」を書いていく。

ヤハウェの敵(ライバル?)・バアル

バアルについては以前に言及した。

バアルはカナンとフェニキア(現在のレバノンあたり)で崇拝された神。イスラエルの王国が存在した時代にはフェニキアで崇拝されていたが、聖書の伝えるところでは、国内でヤハウェ信仰を脅かすほどの影響があったようだ (遺跡・遺物により、実際に当時信仰があったことは確認されている)。

カナンのバアル侵攻について旧約聖書では士師記、つまりイスラエル民族のカナン定着期に言及されている(士師記第10章)。

6 イスラエルの人々は再び主の前に悪を行い、バアルとアシタロテおよびスリヤの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンびとの神々、ペリシテびとの神々に仕え、主を捨ててこれに仕えなかった。

7 主はイスラエルに対して怒りを発し、彼らをペリシテびとの手およびアンモンびとの手に売りわたされたので、

8 彼らはその年イスラエルの人々をしえたげ悩ました。

出典:士師記(口語訳) - Wikisource

ただし山我哲雄『一神教の起源』によれば、《後代の申命記史家のきわめて図式的な歴史解釈であって、歴史的事実を伝えたものとは思われない》(p205)、 つまり簡単に言えば史実にかすりもしない作り話だ、と主張している。

アハブ王とバアル神

山我氏が重要視するエピソードは、北イスラエル王国のアハブ王と同時代の預言者エリヤとそれぞれの後継者たちのものだ。

これら複数のエピソードについて山我氏は歴史的事実ではなく物語であると断りながらも、これらの中に歴史的事実が含まれていると考えている。

アハブ王は聖書外史料でも確認される王で彼の治世は王国は強盛で、中小国がひしめくシリア・パレスチナで3番目の強国だった *1

しかし、旧約聖書においては、そのようなことには一切触れずに、アハブの「悪行」を書き連ねている。

旧約聖書の「列王記上」第16章によれば、アハブはシドン(フェニキア人の国のひとつ)の王の娘イゼベルと結婚し、バアルに仕えひれ伏し、王都サマリアにバアルの神殿を建て祭壇を築いた。これを聖書の書き手は《彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。》 *2 としている。

アハブがヤハウェ信仰を捨てたというのは事実ではないことは、彼の子どもたちの名前で確認できる。すなわち「アハズヤ」(「ヤハウェは捕らえ給う」の意)「ヨラム」(ヤハウェは高くいます)、「アルタヤ」(ヤハウェはあがめられる)とヤハウェに関する名前が名付けられている。

しかし、ヤハウェが唯一の神であるとする旧約聖書の書き手としては、アハブの行為(他の神の容認)は受け入れることはできなかった。

そして旧約聖書はアハブを悪者にした一方で、正義の味方として預言者エリヤを登場させた。

預言者」とは「予言する人」と混同されることがあるが、《一般人には聞くことのできない神の声を聞き、……あくまで神の言葉を「預かって」伝える》(p200)人たちのことを指す。基本的に聖職者なのだが、そうでない場合もある。

カルメル山でのエリヤとバアルの預言者たちの対決

列王記上第18章の話。この話は、王アハブというよりも、イスラエル国民に対してバアル神の容認の拒絶を求めるための出来事について。

預言者エリヤは王アハブに謁見し、その後、カルメル山(イスラエルフェニキアの境界にあったとされる)に彼とイスラエルの民全員とバアルの預言者450人、ならびにアシェラ(バアルの配偶神)の預言者400人が集まった。(19-20)

エリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのもの(神)の間に迷っているのですか。主(ヤハウェ)が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。 (21)

そこで次に、エリヤはバアルの預言者と対決を提案する。

両者は祭壇を築いて牛のいけにえを置いた。それを焼いて神に捧げるのだが、あえて火を着けなかった。エリヤ曰く「あなたがたはあなたがたの神の名を呼びなさい。わたしは主の名を呼びましょう。そして火をもって答える神を神としましょう」(23-24)。

祭壇に火が着いたことをもって神の証明とする、という対決。神に「火を着けてください」と願って火が着いたらほうが勝ち。

最初にバアルの預言者たちがこれを行なう。彼らは神の名を叫び続けたが何も起こらず、体に傷をつけて血を流したがそれでも何も起こらなかった。

次にエリヤが神の名を呼ぶと祭壇は火に包まれた。

民は皆見て、ひれ伏して言った、「主が神である。主が神である」(38)。

この後、バアルの預言者は全員捉えられて殺された。(40)

ここで、山我氏が指摘するところによれば、エリヤが主張する宗教のあり方が「拝一神教」であるということだ。

「拝一神教」とは、他の神が存在することを前提とし、その中で崇拝する神はひとつだけというあり方だ。これに対して現在わたしたちが知っているユダヤ教は「排他的一神教」または「唯一神教」といい、これは「ただ一つの神以外の神の存在を認めない」というものだ。

エリヤはバアルの神の存在は認めていたので、「拝一神教」を主張していたというわけだ。

ただし、エリヤが「拝一神教」の初代というわけではない。イスラエルでは民族・国家レベルでは「拝一神教」だった(p214)。

イスラエル民族が国家を形成するより前、そしてヤハウェを民族の神として戴くより前に「エル」神を神としていたことは以前に書いた *3。 そしてそこでは、イスラエル民族は複数の民族の集合体だったが、「エル」神以外の神の崇拝(信仰)を放棄したことも書いた。これが「拝一神教」(ヤハウェ神のみ信仰)の最初だということだ。