歴史の世界

ユダヤ教成立の歴史④ 「原イスラエル人」とヤハウェ神の出会い

前々回からの続き。前々回は《イスラエルの元来の神は「エル」》という話を書いた。

「原イスラエル人」

聖書の中から古代イスラエル人の源流を求めると、メソポタミアから来たアブラハムやエジプトから来たモーセを思い浮かべるが、これらは当時のオリエント世界の文字史料と遺物からは証明できない。よって現実の歴史と考えられていない。

言語学的にも、ヘブライ語はカナンで話されていた諸語と近い関係にあるので、もともとのイスラエル人もカナンの諸民族と同系だと思われている。

イスラエルの最古の文字史料はエジプト第19王朝第4代目のファラオのメルネプタハ(在位:前1212-1202年)が遺した石碑に確認される。ただし国家としてではなく、緩やかな集団(おそらく部族連合)だった可能性が高い *2。

また考古学的発見により、前1200年頃のイスラエルの中央山岳地帯に同時多発的に居住区が出現したことが分かった。この地域は文化的断絶もなく住み続けられ、後のイスラエル人も居住していることからこの場所から(少なくとも一部の集団が)イスラエル人の源流が生まれたと考えられている。そして彼らを「原(プロト)イスラエル人」と呼んでいる学者もいる。(p73-74)

上述の遺跡群ではさらに興味深いことが分かっている。それは豚の骨が見当たらないということだ。つまり当時の住人たちは豚肉を食べなかった!

カナンの平野部の当時の遺跡からは豚の骨が発見されることを考えれば、山岳地帯の住人が豚肉食をタブー視していたという可能性が出てくる。そしてこれはユダヤ教徒の豚肉食禁止の習慣と一致する。(p89-90)

ただし、なぜ豚肉食がタブーになったのかの理由に統一見解は無いし、前1200年からしばらく経った遺跡群の層からは豚の骨が発見されているので、「原イスラエル人」が本当に国家を建国した古代イスラエル人とつながっているということは絶対確実とは言い切れない。(p89)

前1200年頃の中央山岳地帯の散在した居住時から、遅くとも「ダビデ」の時代と考えられる前10世紀初頭ぐらいまでの間に、強い民族的統一意識、共属意識を持った「イスラエル」という民族が成立していく過程については、文字史料が皆無であることから、ほとんど分かっていないというのが実情である。(p81)

「原イスラエル人」の仮説

上のように統一見解はないのだが、ここで『一神教の起源』から一つだけ興味深い仮説を引用する。(現代の)イスラエルの考古学者イスラエルフィンケルシュタイン氏の仮説だ。

パレスチナでは季節によって降雨量が変化し、これに伴って牧草地も変わるので、牧羊民は家畜とともに移動を繰り返す(これを「移牧」という)。しかし、その範囲はかならずしも大きくはなく、ほぼパレスチナの内部に限られる。[中略]牧羊民といえども、栄養上、穀物や野菜を必要とする。彼らは通常は、家畜の皮や肉、乳製品などの畜産品と交換する形で都市住民や農耕民からそれらを得ていたが、都市国家の没落とその経済力の衰退により、この経済システムがうまく働かなくなった可能性がある。そのような場合、牧羊民は自らの手で農耕を行なわなければならなくなるし、絶えずそのような危険性にさらされていたパレスチナの牧羊民は、農耕についてのその程度のノウハウを持っていたはずである。フィンケルシュタインによれば、山地の居住地の急増は、このような経過の所産だ、というのである。(p80)

山我氏は上の引用に加えて、カナンの外部からの多種多様な集団が加わって融合して生まれたのがイスラエル人だったのではないかと書いている。メソポタミアから来たアブラハムやエジプトから来たモーセを思い浮かべれば、そう思えるだろう。

さらに付け加えて、上のような人々が元々持っていた神を捨てて一つの神を戴いた「イスラエル」という名を持った民族になった、という仮説を山我氏は提示する(p98)。

ただしその神は、元々はヤハウェではなく、カナン神話の最高神だった「エル」であったということは前に書いた。

ヤハウェとの出会い

山我氏の主張によると、王国成立時代の前後にそれまでの民族(または国の)神のエルと新しくやってきたヤハウェが習合し、その後圧倒的で凄まじい勢いでヤハウェ信仰が広がっていったという。(p141)

さて、ヤハウェの起源についてだが、まず以下のような前提がある。

様々な可能性が考えられるが、それらを実証的に検証することはできない。前章の最初に記したように、牧羊民や遊牧民は碑文も考古学的痕跡も残さないからである。(p141)

山我氏はヤハウェの起源はパレスチナ南部または南方の牧羊民や遊牧民の神を想定しているようだ。

そのヤハウェを神とする集団を核として、カナンの地を脅かした正体不明の武装集団「ハビル」や、出エジプトとして描かれる雑多な下層階級民(彼らは「アピル」とよばれ「ハビル」に関連すると言われる)の人々が合流した可能性を提示している。

彼らが さらに山岳地帯の「原イスラエル人」と合流し、「イスラエル軍」と平野部のカナン人との戦いに貢献し、戦いの神であるヤハウェの人気が一気に上がった、というシナリオだ。(ここらへんのシナリオは『旧約聖書士師記に基づく)

ただし、現在の私たちが知るユダヤ教一神教としての神ではなかったようだ。現在の形になるまではいろいろと段階を踏んでいったということだ。