歴史の世界

古代イスラエルの王国① 初期の古代イスラエルの歴史とダビデの史実性

古代イスラエルの歴史については『旧約聖書』で詳細に語られているが、これ以外の史料は少ない。

この記事では、おもに長谷川 修一『聖書考古学』(中公新書/2013)を参考にして書いていく。

古代イスラエル史は、ユダヤ教などの宗教やイスラエル国の歴史と強く結びついているためデリケートな問題である。

だから安易に「『旧約聖書』に書いてあることは史実に反する」と書くことははばかられる。だから「『旧約聖書』には◯◯と書いてあるが、現段階では証明されていない」という感じの表現がよく使われている。

私たち日本人としてもこれは理解できると思う。日本でも記紀の歴史を史料と突き合わせて史実をどこまで遡らせることができるかという作業を行なっている。「史料が無いから嘘だ」と無闇に切り捨てることはしない。こういうことはどこの国でもやっていると思うが。

ただ、古代イスラエルの場合は、イスラエルという国家だけでなく、旧約聖書聖典とする宗教の教徒たちがいるので、圧力は桁違いに強い。

王国建国以前のユダヤ人(イスラエル人、ヘブライ人)

長谷川氏によれば、『旧約聖書』に書いてあるユダヤ人の出自的なエピソードについては、他の歴史的証拠で証明できないとのこと。

出エジプト」やカナン征服(ヨシュア記)に関しても証明できない。

ユダヤ人が話していたヘブライ語は北西セム諸語の一つ。パレスチナ(カナン)地方で話される言語はだいたい北西セム諸語に属している。

ということで、ユダヤ人はパレスチナ地方の数ある民族(または勢力、小国)のひとつだったと考えるのが無難なところだと思う。

イスラエル王国の実在性

旧約聖書』によれば、サウルがイスラエル王国を建国し、ダビデ、ソロモンの治世に黄金期を築いたとされているが、これも証拠がない。

『聖書考古学』には、北イスラエル王国と(南の)ユダ王国の分裂時代の前9世紀は記録が出始め、これをもって「古代イスラエル史の暗黒時代は終わった」と書いている(p159)。(統一)イスラエル王国についての詳細は何もわからないということだ。

ダビデの実在性

聖書で有名なダビデ統一イスラエル王国の王)だが、彼が実在したかどうかが論争になっている。このことからもイスラエル王国の歴史が暗黒時代であったことが分かる。

さて、ダビデが実在したと主張する人たちの根拠はテル・ダン遺跡から発見された碑文だ。断片しか遺っていない碑文の中に『ダビデの家』と読み取れる部分があった。同時代のアッシリアでは「家(=ピート)」は王朝という意味でよく使われていた。聖書でもそのような意味で使われている部分もあるそうだ。

テル・ダン碑文と呼ばれるこの碑文は(統一)イスラエル王国王国が分裂した後の時代(前9世紀)に書かれたもので、近隣の王国アラム・ダマスコの王ハザエルが書かせたものだと言われる。

〔私は〕数〔千両の戦〕車と数千騎の騎兵をつないだ〔強力〕な王〔た〕ちを殺した。〔私は〕イスラエルの王〔アハブ〕の子〔ヨ〕ラムとダビデの家の〔王ラム〕の息子〔アハズ〕ヤフを殺した。

テキストは断片的だが、大半の研究者がこの部分の文章を妥当なものと考えている。[中略]

ダン碑文は、ヨラムとアハズヤを「殺した」のは、「私」であるハザエルだ、と述べていることになる。

出典:長谷川氏/p171

ここでの「ダビデの家」とはユダ王国を指す(「イスラエル」は北イスラエル王国)。つまりユダ王国の建国者的存在がダビデであるという訳だ。

聖書によればユダ王国統一イスラエル王国の血統を引き継ぐ方の王朝、つまりダビデの血統を受けつぐ王国ということになる。なので、聖書と碑文の「ダビデの家(王朝)」という語は辻褄が合っている。

これをもって『ダビデ実在』派は「ダビデの実在が証明された(イスラエル王国もしかり)」と主張している。山我哲雄『聖書時代史 旧約編』(岩波現代文庫)(p86)では、《これにより、間接的にではあるが、ユダ王国の王朝創始者としてのダビデの実在が裏付けられたことになる。》と書いてある(ダヴィデ/世界史の窓 参照) 。

一方、長谷川氏の見解は証拠不十分だが、可能性は高まった、としている。その理由は「家」の創始者が伝説上の人物である可能性もあるからとのこと *1

仮にダビデが実在してユダ王国の始祖だとしても、ソロモンを始め他の国王の名前の記録は見つかっておらず、(統一)イスラエル王国についても発見されていない。



*1:p153、p155