歴史の世界

ユダヤ教成立の歴史⑦ 旧約聖書の歴史観で見る王国時代 その3 (北)イスラエル王国の滅亡とユダ王国の属国化との宗教の変化

前回からの続き。

ヤハウェからの警告

(北)イスラエル王国の将軍だったイエフは、ヤハウェの命令により、クーデターを起こし王位に就いた。

イエフの王朝の4代目ヤロブアム2世の治世で王国は全盛期だった。しかしヤハウェは喜ばない。

ヤハウェは、賄賂などの不正が横行して富者がより富み貧者がより貧しくなる世情と本来の精神を忘れ形骸化した宗教のあり方を糾弾する。そして、行いを正さなければイスラエルを滅ぼすと警告する。(アモス書)

(北)イスラエル王国の滅亡とユダ王国の属国化

ヤロブアム2世が亡くなると息子のゼカリヤが王位に就いたが、これよりクーデターが頻発し、さらに悪いことに大国アッシリアが再び領土拡大を始めた。

世情を見るとバアル神に対する信仰は消滅せずむしろ広まっていた。

このような情勢の中で、ヤハウェ預言者の口を借りてイスラエルの民に訴えかけることは変わらなかった。すなわち「ヤハウェのみ」の信仰と正義の実行だ。

そこで、ヤハウェ預言者ホセアの口を借りてイスラエルの民に伝える。

まずはイスラエルの民のバアル信仰に対する実情から。

イスラエルヤハウェにとって姦淫の妻であり、バアルという愛人のもとに走ることによって、夫ヤハウェを裏切ったのである。[中略]

彼女〔=イスラエル〕は言う。「愛人たちについて行こう。パンと水、羊毛と麻、オリーブと飲み物をくれるのは彼らだ」。……
彼女は知らないのだ。穀物、新しい酒、オリーブ油を与え、
バアル像を造った金銀を豊かに得させたのは、わたしだということを。……
バアルを祝って過ごした日々について、私は彼女を罰する。
彼女はバアルに香をたき、鼻輪や首飾りで身を飾り、愛人の後について行き、
わたしを忘れ去った、とヤハウェは言われている。(ホセ二7-15)

大地の豊穣を祈願するバアル崇拝の祭儀は、エロチックな要素の強いものであった。自然界において、出産は生殖と関連し合っている。それゆえ、大地の生産力を高めるために、性的な祭儀が行なわれた。類感呪術的な発送によてば、類似した行為は類似した作用を持つ。性に関わる儀礼は、自然界の産みの力を増産すると考えられたのである。人々は山の上などの聖所で、ぶどう酒で酩酊して恥も外聞も忘れ、乱痴気騒ぎを繰り広げた。

出典:山我哲雄/一神教の起源/筑摩書房/2013/p225-226

ヤハウェ信仰を完全に忘れたわけではなかったとは思うが、民族神ヤハウェを蔑(ないがし)ろにし、バアル信仰の祭りで乱痴気騒ぎをしている民に対して神の裁きを下さずにはいられなかった。

その裁きというのがイスラエル王国へのアッシリア侵攻だった。

彼ら〔=イスラエルの民〕はエジプトの地に帰ることもできず、アッシリアが彼らの王となる。
彼らが立ち返ることを拒んだからだ。剣は町々で荒れ狂い、
たわ言を言う者を絶ち、たくらみのゆえに滅ぼす。
我が民はかたくなにわたしに背いている。たとえ彼らが天に向かって叫んでも、
助け起こされることは決してない。(ホセ一一5-7)

ここでは、あたかもアッシリアが、ヤハウェの罰の執行官のような役割で見られている。アモスの場合以上に、ヤハウェはもはや単なるイスラエルの神ではなく、今やアッシリアという世界帝国を自在に用いてイスラエルを罰する世界神となっている。ここには、著しい神観の普遍化が見られる。ホセアの場合もまだ拝一神教的な段階に留まっていたと考えられるが、ここに見られる神観の普遍化は、後の唯一神観への道を準備するものであったと見ることができよう。(山我氏/p229-230)

ヤハウェの言う通り、イスラエル王国アッシリアに滅ぼされ、国民の多くは別の地域に強制移住させられて、民族として消滅させられた。

ユダ王国アッシリアの属国となることで滅亡は免れたのだが、こちらでもヤハウェの警告は同じであり、裁きもおなじだった。ヤハウェ預言者イザヤの口を借りて言う。

災いだ、わたしの怒りのとなるアッシリアは。
彼はわたしの手にある怒りのだ。
不敬虔な民に向かってわたしはそれを遣わし、
わたしの激怒する国に対して、わたしはそれに命じる。
「戦利品を取り、略奪品を取れ。
野の土のように彼を踏みにじれ。」(イザ一〇5-6)(山我氏/p237)

ただし、ユダ王国より先にアッシリアのほうが滅亡する。ユダ王国を滅ぼすのはアッシリアを滅ぼした新バビロニアだ。

普遍的な神観

山我氏はホセアとイザヤの神観において変化があったということは上で引用したとおり。

前8世紀の預言者(ホセア、イザヤ)において、このような普遍的神観が現れた理由はなんであろうか。筆者は、その理由の一つに、アッシリアの神観からの影響があったのではないかと推測する。[中略]アッシリアの宗教は多神教であったが、その主神アッシュルは神々の王にして世界の支配者と見なされた。アッシリアの王は、アッシュルの地上における副王として、アッシリアの神々の世界支配を実現する使命を持つ。アッシリアの王は、いわばそれを実現するための道具であった。(p240)

ただし、同時代のイスラエルの民の大半は上の引用の通り、ヤハウェを怒らせるような宗教のあり方を保っていたわけで、ホセアとイザヤが示した神観は少数派だった。(p244-245)