歴史の世界

エジプト第27王朝

前回の続き。

第26王朝はペルシアの侵略の前に倒れ、全エジプトはペルシアの支配下に入った。第27王朝とはペルシア支配下に置かれた時代を指す。よってこの王朝の諸王はペルシア王を指す。

ペルシア王とサトラップ

「エジプト27王朝」と言っても、実際はペルシア帝国の属州でしかない。ペルシア王カンビュセス2世がエジプトを征服し、他地域と同じように属州としてサトラップ(総督)を置いた。総督府はメンフィスに置かれた。ペルシア帝国は総じて征服した地域の文化や宗教に対して寛容であり、エジプトの統治もこれに準じていた。

ペルシア帝国の統治機構についての詳細は別の機会に書くが、サトラップは全権を移譲されたわけではなく、属州の決定機関である議会には王直属の書記官や密偵が強い影響力を持っていたし、さらに王直属の将軍も駐屯していた。各州のサトラップが反旗を翻したり独立する機会を抑制する措置だ。そのため広大な支配地の方々で反乱が起こると、ペルシア王は自ら軍を率いて駆け回る必要があった。それはこの制度を採用する以上、不可欠なことだ。 *1

ペルシア王であったカンビュセス2世およびダレイオス1世はカルトゥーシュ *2 に名前を残した。さらにダレイオス1世は神殿を建設・修理するなど、自らのエジプトへの文化の理解を示した。もうひとつ、ダレイオス1世が(ネコ2世が工事を始めた)ナイルデルタと紅海をつなぐ運河を完成させたという記録がある *3

以上のようにサトラップの名ではなく王の名が出てくるの点から、サトラップの権力の弱さと帝国中央のサトラップへの警戒心を読み取ることができるだろう。代表的な例はアリュアンデスというサトラップが独自の貨幣を作ったときダレイオス1世は反乱の意有りと見て処刑した *4

平和と反乱

カンビュセス2世の治世において、エジプトの伝統的な神殿群の財源がかなり減少していることが確認できる。デモティック体でパピルスに書かれた一片の法律は、メンフィス、ヘリオポリス、ウェンケム(Wenkhem アブシール近郊)を除く全てのエジプトの神殿の資産制限を命じている。

出典:エジプト第27王朝 - Wikipedia

[ダレイオス1世]の35年間の治世は、外部勢力や地中海世界の政治の影響下におかれながらも、エジプトにとって基本的には繁栄の時代であった。

出典:ピーター・クレイトン/古代エジプトファラオ歴代誌/創元社/1999(原著は1994年出版)/p256

カンビュセス2世もダレイオス1世もカトゥルーシュを使用するなど自らのエジプトへの文化の理解を示したが、かつてのエジプト文明の栄光を取り戻そうとは思っていなかった。

ダレイオス1世が全帝国で続発した反乱の鎮圧に奔走しているあいだに、エジプトでも反乱が起こった。ペルシア帝国では、年がら年中どこかしらで反乱が起こっていて、エジプトでもいくつも反乱が起こっている。

前486年、ダレイオス1世が亡くなり、クセルクセス1世に代替わりすると、間もなく反乱がおこる(前486年)。クセルクセスはこれを鎮圧し、サトラップのアケメネス(クルスクセスの息子)は、エジプトが持っていた特権を剥奪するなど、強圧な姿勢を持って対応した。

前465年、クセルクセスは暗殺され、継承争いが続く中、前460年に再びエジプトで反乱が起こる。これも鎮圧され、新しい王アルタクセルクセス1世の治世では約30年の平穏な時代が続く。

第27王朝の終わり

第27王朝の最後の王となるダレイオス2世は、エジプトで建築事業を起こし、サトラップのアルサメスも融和的な政策を採って平和を維持していた。しかしペルシアの宮廷の腐敗をきっかけに帝国全土に再び反乱が続発する。エジプトはこれに呼応して、前410年頃に反乱が起こる。

紛争はやはりデルタの王族をめぐって起こり、サイスがその中心となった。サイスのエジプト軍はギリシアからの傭兵に頼るところが多く、何世紀もあとのアテネ人はアイスを特にアテネと関係の深い地とみなすようになった(サイスのアテナイ女神がローマ時代に州貨幣に登場するのは、こういうわけである)。

出典:クレイトン氏/p257

古代エジプト史では、各地の諸侯のことを王族と呼ぶようだ。とにかく、彼らをまとめて反乱の首謀者になったのがサイスのアミルタイオスだった。前405年、ダレイオス2世は亡くなり、ペルシア宮中では再び継承争いが勃発する。これを機に前404年、アミルタイオスはエジプトの独立を宣言、ペルシア勢力を追い出すことに成功し、みずから全エジプトの王(ファラオ)となった。これが第28王朝のはじまり(第27王朝のおわり)である。

新しいペルシア王アルタクセルクセス2世は弟キュロスとの戦いやギリシアとの戦争でエジプトに兵を向ける余力がなかった。そのあいだに全エジプトの支配を固めた。



*1:サトラップ - Wikipedia

*2:カルトゥーシュ - Wikipedia

*3:ピーター・クレイトン/古代エジプトファラオ歴代誌/創元社/1999(原著は1994年出版)/p256

*4:アリュアンデス - Wikipedia