歴史の世界

エジプト末期王朝/第25王朝

エジプト末期王朝

エジプト末期王朝の初めの設定については諸説あるが、ここではヌビア王朝(第25王朝)に征服された時期を始めとする。

この期間は、前時代の第3中間期が分裂期に対して、今期は国外勢力による被支配期と言える(第3中間期にもリビア勢力に征服されたが)。エジプト末期王朝の国外勢力のメンツは、南のヌビア(クシュ)、北メソポタミアアッシリア、そしてメソポタミアを征服した さらに東方のペルシア帝国。

ペルシア帝国はアレクサンドロス大王率いるギリシア勢力に倒されるが、それは別の時代の話になるが、その時代も被支配の時代が続く。

第25王朝(ヌビア王朝)

第25王朝の初代はピイ(ピアンキ)だが、ここでは彼の前の先史も書いておく。

先史からエジプト統一まで

下記のナショジオの記事によれば、ヌビア(クシュ)にはエジプト新王国時代の前には既にまとまった勢力が有った。そしてエジプト第18王朝よりヌビアを侵略して支配下に置いた。

アフリカ内陸部に独自の古代文明が栄えていただけでなく、一時はそれがナイル川流域の支配的な勢力となり、北のエジプトと交流し、ときには縁戚関係も結んだ……[中略] 。

西アジアに覇権を広げるための軍資金をヌビアの金鉱に頼っていたエジプトは、南のヌビアが強大な力をもつのを嫌った。そのためエジプト第18王朝(前1539~前1292年)の王たちは、軍隊を派遣してヌビアを征服し、ナイル川に沿って要塞を建設した。ヌビア人の首長を行政官に据え、従順なヌビア人の家の子どもをテーベの学校に送り込んだ。

エジプトに支配されていたこの時期、ヌビア人の特権階級は、エジプトの文化的・宗教的な慣行を採り入れ、エジプトの神々、とりわけアメン神を崇め、エジプトの言葉を話し、エジプトの埋葬方式を採用して、後にはピラミッドを建設するようになった。

出典:特集:古代エジプトを支配した ヌビア人の王たち 2008年2月号 ナショナルジオグラフィック(3ページ目) NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

第3中間期にエジプトの国力が激減することにより、ヌビアでクシュ王国が建国された。クシュ王国3代目がピイ(ピアンキ)だ。

ピイが北上して上エジプトに進軍すると、ほとんど抵抗は受けなかったという。彼は妹であるアメンイルディス1世を、「アメンの聖妻」(アメン神殿の女司祭)にすることに成功した。

下エジプトは第25王朝の王テフナクト1世が盟主とする連合軍が抵抗するが、あっけなく破れて降伏した。

ここに第25王朝はエジプト全土(とヌビア)を統一する。

ピイは下エジプトを征服した後、降伏したエジプトの諸勢力を知事として身分を保証し、自らはヌビアの首都ナパタに帰ってしまった。

ピイがいなくなった下エジプトで、テフナクト1世が反乱を起こして下エジプトを支配下に置いたが、ピイは再びエジプトに赴くことはなかったらしい。

2代目シャバカのエジプト再統一

第25王朝と下エジプト(第24王朝)の王は代替わりし、それぞれシャバカ、バクエンレネフとなった *1 。彼らの直接対決の詳細は分からないが、バクエンレネフがジャバカに殺害されて再びエジプトはヌビアによって統一された。Twenty-fifth Dynasty of Egypt - Wikipedia

4代目タハルカと対アッシリア戦争

3代目シャバタカの治世では、アッシリアは既にシリア・パレスチナへの侵略を進めていたが、シャバタカはフェニキアパレスチナ勢力の反乱を支援していた。

タハルカの治世中にアッシリアセンナケリブが暗殺され(前681年)、その後、王位継承をめぐる内戦が起こった。これによりエジプトは一時的にだが平和な期間が生じ、タハルカは各地に建築物を建設した。

しかしアッシリアの次代となったエサルハドンはアッシリアの強盛を取り戻し、再び勢力拡大戦争に繰り出した。

前671年、ついにエサルハドンがエジプトに侵攻してきた。エサルバドンはメンフィスを陥落して下エジプトを占領した一方、エジプト側は王族の大部分が捕らえられ、タハルカは辛くもテーベへ逃げた。

前669年、ここでエサルバドンが陣中で急死する。次代アッシュルバニパルは一旦エジプトから兵を引き上げさせ、この機に乗じたタハルカがメンフィスを奪還し、下エジプトの諸侯は反乱を起こした。

前667年、自国と周辺の諸々をまとめたアッシュルバニパルが再びエジプトを攻め、エジプト軍は壊滅。下エジプトの諸侯はネコ1世(ネカウ1世)以外を処刑し、タハルカはヌビアへ逃げた。上エジプトに残されたメンチュエムハト(上エジプト知事)は、アッシリア軍に降伏し、これによりエジプト全土がアッシリアに占領された。

ただし、アッシュルバニパルはエジプトの統治にそれほど興味がなかったようで、上述のネコ1世をエジプト王として全エジプトの統治を委任した。

最後の王タヌトアメン

アッシリアが軍を引くとタハルカの次代タヌトアメンはエジプトに進軍し、ネコ1世を殺害、メンフィスまでを占領した(前663年)。しかしアッシュルバニパルはすぐに兵を派遣してヌビア軍を追い返した。

タヌトアメンとヌビア王朝は王都ナパタとするヌビア王国として存続し続けるが、上の戦争以降はエジプトに攻め込まなかったため、タヌトアメンが第25王朝の最後の王とみなされている。



*1:Twenty-fifth Dynasty of Egypt - Wikipedia によれば、シャバカは3代目