歴史の世界

エジプト第26王朝② 滅亡まで

前回からの続き。

4代目アプリエス

3代目の治世はわずか6年で終わり、前589年にアプリエスが継ぐ。

この治世のうちにユダ王国滅亡(前586年)という事件がある。

エジプトと新バビロニアは長いあいだパレスチナで縄張り争いをしてきたが、ユダ王国バビロニアの隷属状態から反旗を翻し、エジプトはこれを支援した。結果はバビロニアの勝利で終わりユダ王国は滅亡、有名なバビロン捕囚が起こる(バビロン捕囚については別の機会に書く)。

アプリエスはさらに致命的な敗北を喫する。

紀元前570年にはリビアにおいてギリシャ人とリビア人の争いが勃発。アプリエスリビア人を支持して兵を送るが、それまで傭兵として雇い、交易上も友好関係を結んでいたギリシャに喧嘩を売るのはあまり得策ではなかった。兵士の士気も上がらず、戦況は混乱し敗北どころか王に対する反乱も起きてしまう。その反乱鎮圧のために送り込んだ将軍イアフメス(かつてプサメティク2世の時代に、ヌビア遠征を指揮した将軍でもある)は、反乱の鎮圧どころか逆に反乱軍の頭領となる始末。人望はなかったらしい。

出典:末期王朝時代 第26朝 アプリエス/エジプト神話研究所

イフアメス(アマシス)はアプリエスを捕らえて殺害し、王位を簒奪した。

5代目イアフメス2世

上述のイアフメス(2世)は44年の治世。

求心力を失っていたアプリエスに対し、軍人上がりのこの王様は民衆の人気を勝ち得ていたといわれる。アプリエスの娘のひとりと結婚することによって王家と王朝を存続させ、ギリシャとの関係強化にも励んだ。その結果、ナイルデルタの交易都市ナウクラティスは栄え、エジプトで初めての通貨も、この都市限定ではあったが使われるようになる。また彼は、デルフォイの神殿が燃やされたとき、その復元に1000タラント(タラントは銀の重さ)を寄付したと、ヘロドトスによって伝えられている。

出典:末期王朝時代 第26朝 イアフメス2世/アマシス/エジプト神話研究所

ナウクラティスは江戸時代の出島のような場所だったかもしれない。ナウクラティスは《wikipedia ナウクラティス》では植民都市と書いてある。ギリシア側にとっては交易だけでなく、エジプトの文化の輸入の窓口となっていた。

世界最古の鋳造貨幣は、当時のオリエント世界の大国の一角リディアで紀元前670年頃に作られたエレクトロン貨だとされている *1

数十年間安定した時代はペルシアの台頭によって一変する。大国メディアの属国であったペルシア王キュロス2世は前550年にメディアに反旗を翻し、滅ぼし、全域を併呑した。

この事態に4大国の残りの3国は同盟して対抗したが、リディアとバビロニアは立て続けに征服されてしまった(それぞれ前547年、前539年)。

キュロス2世の死(前529年)によって一時的に領土拡大戦争は止まる。この期にイアフメス2世は侵略を受けていたギリシア勢力と同盟を結んで来たるべき侵略戦争の準備を整えた。しかし前526年にイアフメス2世自身も死んでしまう。

翌前525年、ペルシア帝国の進軍は次代カンビュセス2世によって再び再開された。エジプトは王位を継いだばかりのプサメティコス3世が抗戦したが、あえなく敗北し身柄はペルシアの都スサに連行された。第26王朝は滅亡、エジプトはペルシア帝国に併呑された。



イアフメス2世