エドワード・ルトワック『戦争にチャンスを与えよ』を読んだが、この本で最も重要だと思われる事柄は「パラドキシカル・ロジック(逆説的論理)」だ。
第6章「パラドキシカル・ロジックとはなにか ── 戦略論」を二度三度と読んでみたら「これって《陰陽》だな」と思いついた。そしてそれは正解だったようだ。
以下は訳者の奥山真司氏の書いたもの。
『エドワード・ルトワックの戦略論』が、日本語版の「まえがき」の中で書いていたことを引用しておきます。彼によれば、
『孫子の兵法』の最大の長所は、 普遍的で変わることのない戦略の逆説的論理 (例:戦わずして勝つなど)を、 古代ギリシアの風刺詩ヘラクレイトスよりもわかりやすく、 カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』よりも 全体的に簡明な形で示している点にある。(p.6)
ということなのです。
で、その肝心の孫子の「逆説的論理」とは何かというと、 それは「敵と味方の相互作用によって発生するダイナミックな関係性」であり、 それを孫子は「道」、つまり陰陽論として表現しているわけです。
奥山氏は、分かりづらい「パラドキシカル・ロジック」を、日本人が理解するには『孫子』が「重要な知的武器」になると書いている。
ちなみに、陰陽論については以前 当ブログで記事にしたことがある。
兵家(9)孫子(戦略書としての『孫子』 中篇/全3篇 --陰陽--) - 歴史の世界を綴る
この記事も奥山氏が訳した本を参考にしている。
- 作者:デレク・ユアン
- 発売日: 2018/02/07
- メディア: 単行本
ここでいう陰陽とは陰と陽、すなわち逆の意味を持ちながら対となり、補完し合うもの・ことを指す。「矛と盾」もそうだし「戦争と平和」「勝利と敗北」もそうだ。「パラドキシカル・ロジック」では「アクションとリアクション」「作用と反作用」が重要になってくるのだが、それについて以下に書いていく。
「パラドキシカル・ロジック」とは?
パラドキシカル・ロジックですが、これは相手との敵対的な関係(紛争や戦争)が発生した時に発生する、戦略のダイナミックな状態やプロセスのことを言っております。
つまりいざ紛争状態に突入すると、自分が相手に対してAというアクションを起こしても、望んだBという結果はあらわれず、そうはさせまいとした相手からCやDという思いがけないリアクションがある、ということです。[中略]
しかもそのリアクションは、完全には想定できない不確実なものです。
戦略を立てる時、当然アクションとリアクションを考えなければならない。しかし、敵はその戦略通りのリアクションを起こすとは限らない。
ルトワック先生曰く、「戦略の世界」は矛盾とパラドクスに満ちているので、「線的なロジック(日常での思考法)」で戦略を立てれば必ず失敗する。だから戦略を立てる時にまずやるべきことは「常識を窓から投げ捨てる」ことだ *1。
つまり「パラドキシカル・ロジック」とは「リニア(線的な)・ロジック」ではないロジックのことを指す。
[戦略の]世界では、矛盾するものこそが正しく、線的なものが間違っていることになる。
これこそが、「戦略の世界」の土台を構成する2つの要素だ。
第一に、成果の積み重ねができない、ということであり、第二に、「リニア(線的な)ロジック」が通用しない、ということだ。
出典:戦争にチャンスを与えよ/p129
『孫子』とつながる事柄
以下はパラドキシカル・ロジックが『孫子』に関連付けることができる事柄。
「迂直の計」
もしあなたが、東京から横浜まで行こうとすれば、おそらく直線で最短距離を行くだろう。ところが「戦略の世界」では、敵が存在する。この敵が、あなたを待ち構えているのだ。すると「直線で最短距離を行く」のは、最悪の選択となる。迂回路だったり、曲がりくねった道の方が良いのだ。
出典:戦争にチャンスを与えよ/p129
これは『孫子』軍争篇の「迂直の計」そのものだ。
軍争より難(かた)きはなし。(軍争ほど困難な作業はない。)
軍争の難きは、迂(ウ)をもって直(チョク)となし、患(カン)をもって利となす。(軍争の難しさは、迂回路を直進の近道に変え、憂いごとを利益に転ずる点にある。)
出典:No.718 【迂直之計】 うちょくのけい|今日の四字熟語・故事成語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース 福島情報 イベント情報 企業・店舗情報 インタビュー記事
迂直すなわち最短路と迂回路は陰陽の関係だ。
「風林火山」
ルトワック先生がBLOGOSに記事を投稿していたのでここから引用したい。
私は、武田信玄とは完璧な「戦術家」だったと考えている。
「風林火山」。言うまでもなく武田信玄の軍事的スローガンとして知られる言葉だ。そのルーツは孫子の兵法にあり、「疾きこと風の如し、徐かなること林の如し、侵掠すること火の如し、動かざること山の如し」を意味しているとされている。
ここで語られているのは、奇襲の原理である。「疾きこと風の如し」とは、つまり素早く動くことで敵にサプライズを与えよ、ということである。奇襲の目的は、一時的に敵の反応を奪うことにある。それが一秒であることもあるし、一年間に及ぶこともあるだろうが、敵にある一定期間、反応させなくすることが狙われている。それがなぜ有効な戦術なのかといえば、敵の反応を奪うことで、パラドキシカル・ロジックの発動を抑えることができるからだ。
- 「パラドキシカル・ロジックの発動」=リアクション
戦略・戦術を成功させたいのなら敵にリアクションを考える時間を与えないことだ。この時、ただ素早く行動するのではなく「サプライズ」を与えることが肝要だ。サプライズを与えることで敵の頭脳を一時的にでも混乱させ考える時間を遅らせることができる。
「勝利が敗北につながり、敗北が勝利につながる」
上の一節は『戦争に~』のp131の見出しだが、第6章の冒頭に以下の一節がある。
すべての軍事行動には、そこを超えると失敗する「限界点(culminating point)」がある。いかなる勝利も、過剰拡大によって敗北につながるのだ。
出典:戦争にチャンスを与えよ/p125
これはおそらく『孫子』作戦篇の「巧遅拙速」に関係する。
いざ出陣となっても
対陣中の敵に勝つまで長期持久戦をすると ・・・・ 軍を疲労させて鋭気を挫(くじ)く結果になり
敵の城を囲んで攻めるとなれば ・・・・・・・・・・戦力を消耗し尽くしてしまい
軍を国外に、いつまでも張りつけておけば ・・・・・国家経済は窮乏します。もし、このような戦い方をして軍が疲労して鋭気が挫かれたり、 戦力が消耗しきったり、 財貨を使い果たしたりすると、それまで中立だった諸侯も、その疲弊につけ込んで兵をあげることになるでしょう。いったんつけ込まれてしまえば、いかに知謀の人でも、善後策を立てることはできません。
だから戦争には、少々まずくとも素早く切り上げるという、拙速はあっても、うまくて長引くという、巧遅はない。そもそも戦争が長期化して国家の利益になったためしはない。
出典:No. 153 【巧遅拙速】 こうちせっそく|今日の四字熟語・故事成語|福島みんなのNEWS - 福島ニュース 福島情報 イベント情報 企業・店舗情報 インタビュー記事
さて、『戦争に~』では、勝利が敗北につながる事例としてナポレオンのロシア侵攻を紹介している。冬将軍に遭遇して逃げ帰った話だ。
敗北が勝利につながる話は奥山氏のブログで紹介されているチャーチルの話がある。これはリンク先参照。
『孫子』とつながらない事柄
私が『孫子』とのつながりを見つけられなかっただけかもしれないが、いちおう、つながっていないということで。
同盟
いかに戦術的勝利を重ねようとも、その勝利を完全に相殺してしまう、より高次の階層の論理が存在する。それは「同盟」などを含む大戦略のレベルだ。[中略]
そもそも国の運命を左右するような大戦略レベルにおいて重要なのは、まず人口と経済力、そして国民の団結力である。いくら人口や経済力など国家の規模が大きくても、それを力につなげる団結力、言い換えれば「士気」が伴わなければ、何の意味もなさない。
その次に重要なのが外交である。その国が他の国々とどういう関係を持っているか。これは実は、大戦略レベルでは、軍事面での活動以上に決定的な要因となる。この「同盟」こそ、戦略のパラドックスを克服する、より高度なやり方なのだ。同盟によって、敵対的な他者を減らし、消滅させるのだ。つまり、適切な同盟相手を選び、戦術レベルでの敗北に耐え続ければ、百回戦闘に敗れても、戦争に勝つことが出来るのである。
戦略といえば軍人の担当範囲と思う人もいるかも知れないが、国家間の戦争になると最終的な決定権は(軍人ではなく)政治が持っていなければならない。ルトワック先生は以下のように言っている。
「戦略」の観点で言えば、外務省が権力を保持していることは、極めて重要だ。そうでないと、「戦略」のレベルで、すべてが覆ってしまうからである。
出典:戦争にチャンスを与えよ/p143
ただし、ルトワック先生は「同盟という大戦略は、しばしば不快で、残酷でもあり、疲労を強いられるものだ」 *3 と言っている。
ここで重要になってくるのがディシプリンだ。
「ディシプリン」(Discipline)
『戦争にチャンスを与えよ』では、「ディシプリン」は「規律」とか「忍耐力」と訳されている。
ルトワック先生は作戦レベルと戦略レベルの2つのディシプリンを言っている。
まずは作戦レベルから。
信長は高価な武器である火縄銃を、農民に持たせた。ここで必要なのは強い「規律」である。そもそも足軽たちに火縄銃の操作法を教え、一斉に攻撃が行えるように訓練しなければならない。しかも襲い来る騎馬軍団の恐怖に耐え、脱走しないようにしっかりと隊列を組ませるのである。そこには忍耐力と不屈の精神が必要となる。信長の真の卓越性は、このハイレベルの「規律」を必要とする作戦を計画し、実行したことなのだ。
出典:戦略家家康が駆使した「同盟の論理」
この「規律」は容易に理解できる。
次に戦略レベルの話。
しかし、繰り返しになるが、「作戦」よりも「同盟」の方が、戦略としては上位に位置する。
ここでも参考となるのは、徳川家康のケースだ。彼のような人物でさえ、城を明け渡したり、戦闘で負けたり、裏切者が出たり、と非英雄的なことをも堪え忍ぶ必要があった。ところが、その「規律(ディシプリン)」こそ、戦略に必要なのだ。
彼は、自らの領地を守り抜くために、織田信長との「同盟」を選んだ。1562年の清洲同盟である。しかし、これは苦難に満ちた選択でもあった。強大な武田軍に対して、常に最前線で戦わされ、三方ヶ原の戦いでは、壊滅的な敗北も経験している。信長の命令で、自分の妻や長男をも殺害せざるを得なかった。しかし、この「規律」が、「同盟」という戦略を実行する上では必要なことだったのだ。
出典:戦争にチャンスを与えよ/p160-161
こうなると「規律」というより「忍耐力」のほうが訳として合ってくる。
戦略レベルの「ディシプリン」は戦略上の最終目的達成のために、あらゆる苦難を絶えきる「忍耐力」のことを言う。
実は、ルトワック先生は、戦略レベルの「ディシプリン」の最初に話す例はイギリス(19世紀のナポレオン戦争、20世紀の対ドイツ戦争)なのだが、これらについてはここでは書かない(『戦争にチャンスを与えよ』参照)。