歴史の世界

兵家(9)孫子(戦略書としての『孫子』 中篇/全3篇 --陰陽--)

今回は陰陽について書く。

真説 - 孫子 (単行本)

真説 - 孫子 (単行本)

陰陽の原義と意味の拡大

陰陽【いんよう】
古代中国に成立した基本的な発想法。陰は山の日かげ,陽は山の日なたを表し,気象現象としての暗と明,寒と熱の対立概念を生み,戦国末までに万物生成原理となり,易(えき)の解釈学の用語となって,自然現象から人事を説明する思想となった。のち五行説と結合して陰陽五行説となった。

出典:平凡社 百科事典マイペディア<陰陽(インヨウ)とは - コトバンク

陰と陽の漢字の原義は、山の日のあたる側(陽)と影になる側(陰)の意味。「山陰地方・山陽地方」は原義通りの意味で使っている。

これが、上にあるように気象現象としての概念となっていく。ユアン氏によれば、孫子孫武)やそれ以前の時代ではその意味でしかなかったが、戦国時代の孫臏までの150年の間に「陰陽は中国の文化や哲学において最も重要な概念の一つとなった」(p39)。

その「重要な概念」の説明に入る前に断っておくが、『孫子』は初めに孫武が書いて それに孫臏や幾つもの時代の人々が手を加えて現代に残る『孫子』になっている。

中国の戦略思想における「陰陽」

さて、陰陽の概念とは何か。

ユアン氏の言うところの陰陽は上の引用から飛躍している。まず、「対となる自然現象の表現」から「Aと非A」という概念として使われるようになる。具体的には「正と奇」「虚と実」。ただし、自然現象の表現として生まれた「陰陽」は「Aと非A」を排他的存在とは見ずに連続したものだと解釈する。これが西洋と中国の考えかたに大きな違いを生み出している、とユアン氏は主張する。

例えば、西洋や日本では「戦争と平和」は別個のもの(排他的なもの)と認識されるが(つまりAと非A)、中国ではそうではないらしい。毛沢東は「戦争は血の流れる政治であり、政治は血の流れない戦争である」と言ったという。これは戦争と平和が連続していると考えていることの現れで、その考え方の下地に陰陽の概念がある、という。

孫子は戦争 *1 の中にいくつもの「Aと非A」となるものを考えた。敵と味方、攻守、正奇、虚実など。

陰と陽の概念の移り変わりは、実に大きな意味を持っている。陰陽の継続性という概念が確立してから、われわれは「強弱、遅速、多少のように、相反、保管的な状況を、陰陽という用語で説明できるようになった」からだ。これはわれわれが経験して通過すべき段階であったと言える。なぜならわれわれが状況を評価して機先を制するには、それを区別しておく必要があるからだ。陰陽を使えば、ものごとを正反対の視点から見られるようになるだけでなく、むしろその状況の全体図をみることができるようになるのだが、ここで忘れてはならないのが、陰陽のダイナミックな性質である。つまりこの二つは相互に連結していると同時に、浸透しあっており、相互依存状態にある。また、陰陽を図式化した「太極図」を見ればわかるように、相互関係にある「対」のものは、単に攻撃と防御の関係にあるだけでなく、一方から一方へと常に変化しつつあるのだ。このような有機的なパラダイムは、われわれ人間の理解力や順応性を強化する上で欠かせないものだ。

出典:デレク・ユアン/真説 孫子中央公論新社/2016(原著は2014年出版)/p40

上の陰陽を私の勝手解釈で以下のように説明する。

陰陽の概念を使うことで「Aと非A」を連続性のあるものと見なすことができる。つまり「Aと非A」を1つのセット、1つの系と見なすことができる。これによって「状況の全体図をみることができるようになる」。

陰と陽は、「一方から一方へと常に変化」する。静的なものではなく、動的な(ダイナミックな)ものであると認識することが重要。Aと非A、あるいは両者が変化すれば状況の全体図も変化する。常に全体図は変化するので、その変化を把握し、さらにコントロールしようというのが『孫子』の目指すところだ(兵家(7)孫子(地域的背景)参照)

このような考え方をすると、戦争の見方・考え方が常に相対的なものとなり、むしろ絶対的な見方を排除する。例えば「こちらが鉄壁の防御の体制を敷けば、敵に敗けることはない」という考え方。敵の情勢を考慮に入れずに、自陣の強化だけをしているようでは失格となる。

そして、陰陽の概念を使えば、前々回 紹介したように、自分たちが向上することよりも相手を貶めることのようが簡単だという考えを思いつくのは至極当然なことだ。

陰陽から道(タオ)へ

実際のところ、「陰陽を戦略的方策として使った『創始者』は、孫子である」と主張しても言い過ぎではない。陰陽の戦略への応用や、その概念とそれに関連した言葉の使用は、孫子の頃にはまだ完全に体系的になっていたわけではなく、もし体系化されていたら孫子は(形而上学的・哲学的な意味での)陰陽や道(タオ)のような概念を使っていたはずだ。これが可能になったのは、『道徳経』の編纂者たちが孫子のアイディアを積極的に吸収して改良した後になってからなのだ。

出典:ユアン氏/p115

創始者孫子孫武)の広い意味での後継者たちが陰陽の概念の体系化を完成させて、これを持って中国戦略思想が完成される。『真説 孫子』の第三章のタイトルは「孫子から老子へ:中国戦略思想の完成」で、ユアン氏は『道徳経』(=『老子』)の編纂者たちが中国戦略思想を完成させたとしている。

さて、道(タオ)は、陰陽の上位概念として紹介されているのだが、これについては次回に書こう。



*1:春秋戦国時代はリアルな戦争がなかった時も、毛沢東が言うところの「血の流れない戦争」であった。外交的における圧力や工作活動が日常茶飯事の世界だった