前回まで遊牧の起源について書いたが、「インド=ヨーロッパ語族」を話す人々はこれと密接な関係がある。
今回はインド=ヨーロッパ語族の起源について。
インド=ヨーロッパ語族について
まずは、インド=ヨーロッパ語族の説明から。
インド・ヨーロッパ語族(インド・ヨーロッパごぞく)は、インドからヨーロッパにかけた地域に由来する語族である[1][2][3]。英語、スペイン語、ロシア語などヨーロッパに由来する多くの言語[注 1]と、ペルシア語やヒンディー語などの西アジアから中央アジア、南アジアに由来する言語を含む。一部のヨーロッパの言語が世界的に拡散することで、現代においては世界的に用いられている。
上の地図のようにインドとヨーロッパ(ロシアを含む)以外にイランと中央アジアでも話されている(中央アジアではチュルク語族のほうが主流らしい)。
原郷/クルガン仮説
これだけの広がりを見せる言語の祖語は今は残っていないが、その祖語がどこであるのかが論争の的になっている(祖語があった場所を原郷homelandと呼んでいる)。
ここでは最も有力な仮説であるクルガン仮説を紹介する。
この仮説は1956年にアメリカの考古学者マリヤ・ギンブタスによって提唱された。
クルガンとは墳丘墓のことで、日本の古墳に近いものだ(画像は 「クルガン - Wikipedia」や 「Kurgan - Wikipedia」 を参照) 。これらは中央アジア西部からヨーロッパにかけて見られる。
ギンブタスは、明確な墳丘「クルガン」を伴う墳墓を持った「文化」を仮に「クルガン文化」と呼び、クルガン型の墳丘墓がヨーロッパへ伝播していったことをつきとめた。
そしてギンブタス氏はこの文化の原郷=インド=ヨーロッパ語族の原郷と主張し、その場所は黒海とカスピ海の北の草原であるポントス・カスピ海ステップ(ユーラシアステップの西端)に置いた。これは前回書いた草原の遊牧の起源と同じである。
拡散
クルガン仮説は最も有力と書いたが、彼女の仮説すべてが支持されているわけではなく、あらゆる研究によって修正の提案が為されている。
日本で有名なのは『馬・車輪・言語 文明はどこで誕生したのか』(原題:The Horse, the Wheel, and Language: How Bronze-Age Riders from the Eurasian Steppes Shaped the Modern World)という本を書いたアメリカの人類学者デイヴィッド・W・アンソニー氏。前回参考にした中川氏も彼の本を参考文献の一つとしている。
アンソニーが提唱するインド・ヨーロッパ語族の拡散(図にいくつかミスがあるので注意。①TohariansとWusunは逆②AfanasevoとSintashtaのスペル)
この本は2007年に出版されたが(邦訳は2018年)、この後も研究と議論(または論争)は続けられている。
拡散の要因
『馬・車輪・言語 文明はどこで誕生したのか』は、インド=ヨーロッパ語族の言語がどのように拡散したのかが主題だが、馬と車輪がタイトルについているのは何故か。
それはウマと車輪がこの言語を拡散した要因だからだ。
この本は基礎知識のない素人が読める代物ではないらしいので私は読んでないのだが、馬・車輪が要因というのは、簡単に行ってしまえば、遊牧民が言語を拡散したということだろう。
拡散の担い手たち(=遊牧民)は、各地方の原住民を武力征服・支配したのかも知れないし、文化・文明的優位性を以って支配層の交代が起こったのかも知れないが、遊牧民=野蛮人というイメージは改めるべきだろう(そう思っている人がどれほどいるか知らないが)。
拡散した頃は文明が発達した地域は西アジアとエジプトを除けば無かった時代だ。一方で、当時の遊牧民は西アジアの文明の利器と技術をいくらか所持していた(西アジアの文化を受容していた)。
ひとつ、書き留めておきたいことは、乗馬についてだ。
乗馬自体は原郷ですでに為されていたが、いわゆる騎馬民族が歴史に登場するのはかなり後のことだ。ここでの「乗馬」と「騎馬」の違いは、「騎馬」が戦闘目的で「乗馬」して闘うという意味を含んでいる。「乗馬」は戦闘云々を含まない。
*1:画像は、Hayden120 による