歴史の世界

アケメネス朝ペルシア帝国 その12 言語・文字/世界帝国

前回まででアケメネス朝の通史は終わったので、ここではこれまで書いていなかった事項を書いておく。

言語・文字

広大な地域を支配したペルシア帝国には、土着の言語と共通の言語があった。

共通の言語はアラム語だ。

オリエント世界を最初に統一した新アッシリア帝国では、アラム語と、メソポタミアで古くから使用されていたアッカド語が話されていたが (新アッシリア⑤ ニネヴェの図書館/言語/行政/アッシリアの強さ 参照)、ペルシア帝国のダレイオス1世の頃にはアラム語になった。

文字に関して言えば、この時代は書記媒体が粘土板からパピルスへの過渡期が終わろうとする頃で、アラム語の文字(アルファベット)が主体でアッカド語の文字(楔形文字)では書かれなくなった。(青木健/ペルシア帝国/2020/講談社現代新書/p64)

普及した文字はアラム文字だが、エラム語やアッカド語やペルシア語の文字も使用された(ただし、どの程度の使用度だったのかは私には分からない)。有名なベヒストゥン碑文(ベヒストゥン碑文 - Wikipedia 参照)はこの3つの文字で書かれている。

ペルシア文字はダレイオス1世が作らせた文字だったが、公的な碑文以外は使用されず普及する前に使われなくなった。(阿部拓児/アケメネス朝ペルシア/中公新書/2021/p99)

世界帝国

まず、「世界帝国」という言葉は定義が定まった用語ではない。とりあえず「帝国」の定義について。

通常は自国の国境を越えて多数・広大な領土や民族を強大な軍事力を背景に支配する国家をいう (大英帝国大日本帝国など) 。その原型は古代ローマ帝国にあるが,近代においては海外に植民地をもったヨーロッパの列強をさすことが多い。さらに軍事力で広大な領域を支配している国や侵略主義的な大国も帝国と呼ばれる。 (→帝国主義 , 植民地主義 )

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/帝国とは - コトバンク

帝国主義」という言葉があるように、近現代史で使用される「帝国」には抽象化または比喩化された意味合いが混じってくるので注意が必要だ。

基本的には前半部分の広大な規模を有する国家を表現する言葉だ。そしてさらに規模が大きいものを「世界帝国」と呼ぶ、と考えればいいだろう。

歴史用語全体に言えることだが、理科系の用語のような厳密な定義はないと思った方がいい。こんなこと言ったらプロに怒られるか。

さて、阿部拓児『アケメネス朝ペルシア――史上初の世界帝国』という本がある。いままでの勉強で大変お世話になった本だ。

阿部氏はペルシア帝国こそが史上初の世界帝国だと言っている。別の候補としてペルシア帝国の前にオリエント世界を統一した新アッシリア帝国があるのだが、それと比べて何故ペルシア帝国が「史上初」なのか?阿部氏は「はじめに」で手短に説明している。

アケメネス朝ペルシアは、揺籃の地の位置するアジアを越え、アフリカ、ヨーロッパにまで、その支配領域を拡張したのである(新アッシリアはエジプトを征服したものの有効支配できず、ヨーロッパとアナトリアの大部分には当地が及ばなかった)。

阿部拓児/アケメネス朝ペルシア/中公新書/2021/p11

  • 揺籃の地とはおそらく文明の発祥地のメソポタミアのことだろう。

上記に加えて支配期間のこともあるだろう。オリエント統一を達成したのはアッシュルバニパルの治世だったが、彼が死ぬと帝国のシステムは崩壊した。

ただし、私がここで言っておきたいことは、ペルシア帝国の帝国統治システムはほとんどが新アッシリア帝国のそれの使い回しだということだ。統治システムを開発したのは新アッシリア帝国のティグラト・ピレセル3世だ、と私は思っている。

彼が行なった行政や軍制などは以前からあったものなのだが、それらを一つの統治システムとして統合したことがすごいのだ。

個人的には「史上初の世界帝国」は新アッシリア帝国だと思っている。ただ、ここらへんは厳密な成否はないと思うので個々人が別々の説を採用しても自由だと思う。