歴史の世界

エーゲ文明① 古代ギリシア最古の文明の誕生/初期青銅器時代

古代ギリシアを書き始める。

まずはその最古の文明、エーゲ文明(エーゲ海文明)から。

エーゲ文明については周藤芳幸氏の主張を多く採用してくことにする。

新石器時代から青銅器時代

エーゲ文明は青銅器時代初期に始まるが、その前のことを簡単に書いておこう。

ギリシアの地域の新石器時代西アジアの影響を受けている。簡単に言えば西アジアの定住型農業(農耕と牧畜を組み合わせた混合農業)のパッケージを受容した。ギリシア本土は山がちであるが北部・中部に平野地帯があり、この時代の文化はここが中心であった。この文化は西アジア文化のコピーのようなもので、さして特徴のある文化ではないとされている。

これらの文化の担い手は(インド・ヨーロッパ語族の)古代ギリシア語を話す人々ではなかった。担い手がどのような人たちだったのかは未確定だが前記のように西アジアの人々だと推定される。

青銅器時代は前3000年頃に始まる(これより前の数字を示す文献はいくつかあるが、どれが妥当なのか私にはわからないのでとりあえずこの数字を採用する)。

ギリシア青銅器時代のパッケージをもたらした人々も、新しい西アジアからの流入だった。彼らは島嶼部と本土南部に移住し、今度はこれらの地域がギリシアの中心となった。

西アジアの人々の到来は、おそらくは天然資源を探す人々から始まり、交渉・交易する人々などが住み着いたのだと思われる。原住民たちは否応なく新しい時代を受容したのだろう。

エーゲ文明の誕生:初期青銅器時代(前3000-2000年)

研究者たちがなにをもってエーゲ文明の始まりとしているのかが分からない。とりあえず、私個人は
青銅器時代の到来≒エーゲ文明の始まり
としておく。

初期青銅器時代(前3000-2000年)に都市化・階層化・物流のネットワーク化など文明の要素となるイベントがなされた *1 から、数百年かけて徐々に文明化していった、と私は考えることにした。

エーゲ文明(またはエーゲ海文明)は、ミノア(クレタ)文明・ミケーネ文明・トロイア文明などいくつかの文明の総称(上位カテゴリー)である。エーゲ文明に属する個々の文明(あるいは文化)については取り上げていくつもりだが、時系列を優先して書いていこう。

キクラデス諸島:キクラデス文明

出典:Geography of Greece - Wikipedia

キクラデス文明(あるいはキクラデス文化)は、前3000年頃に始まる(「3000」という数字も諸説ある)。

キクラデス文明はキクラデス諸島で栄えた文明だ。いくつかの島に鉱物を有していたが、それだけでなく、ギリシア本土の鉱物をも取り扱い、アナトリア西岸も含むエーゲ海の交易ネットワークを作っていた。

初期青銅器時代が終わる頃にはミノア文明の影響下に吸収される。

ギリシア本土:ヘラディック期

初期青銅器時代ギリシア本土の歴史区分は初期ヘラディック期と呼ばれる *2

古代ギリシアといえばオリーブ油とワイン(ブドウ)だが、初期青銅器時代にはすでに生産されていたらしい。これらは鉱物と共に主要な交易品となった。

ギリシャ本土では……集落跡も大規模なものが見られ、ギリシャにおける最初の都市化が行われた時代と考えられており、集落跡からは印章や封泥が出土、集落中心部の大規模な建物を中心に経済活動が行われたことが推測されている[24]。

[24]桜井万里子編 『ギリシア史』山川出版社、2005年。p25(上記の記述は周藤芳幸氏)

出典:ギリシャの歴史 - Wikipedia

エウボイア島(本土のすぐ東にある、クレタ島に次ぐ大きさを持つ島。現代はエヴィア島と呼ばれている)のマニカ遺跡では、この時代を代表するような都市の跡が見られる。本土とエーゲ海のネットワークを結ぶ要衝として栄えたようだ。(エイボイア島は島だが本土の文化圏にある、と思う) *3

トロイ遺跡

(トロイ遺跡の場所は前回の地図参照)

アナトリアの西北にあり、ダーダネルス海峡に面していた。エーゲ海アナトリアの陸路を結ぶ要衝であった。

トロイ遺跡はいくつかの層に分類されているが第一層(第一市、前3000-2600年頃)は規模は小さかったが第二層は2倍に栄え、エウボイア島のマニカ遺跡とともに初期青銅器時代を代表する都市にまでなった。ただし、初期青銅器時代後期(第三層以降)は戦乱が頻発した跡があり、繁栄は見られない。

この地域についてはあまり語られない。遺跡発見者のシュリーマンの物語はよく語られるのだが、大事なその中身のほうは、要を得た記述はなく、お茶を濁したような言いっぷりで終止している。素人が読む本ではそんな感じだ。

シュリーマンが追い求めていたトロイア戦争の実態については別の機会で。

クレタ島:ミノア文明

クレタ島の場所は上の地図参照)

クレタ島の文明がなぜ「ミノア文明(Minoan civilization)」なのかというと、ギリシア神話にでてくるクレタ王のミノスにちなんでのこと。ミノス文明ともクレタ文明とも呼ばれることがある。

初期青銅器時代において他地域の遺跡には交流の跡が多く出土するのに対し、クレタ島ではほとんど見られない。また他地域では戦乱と文化変化がしばしば行われていたが、クレタ島はそのような変化と無縁だった。

繁栄はある程度していたが、他地域と比べるとペースは遅い。この時代のクレタ島は重要な地域ではなかった。

初期青銅器時代の終焉

考古学の成果により、前2200年前後に断続的に破壊炎上の跡が見られる(ただし上記の通り、クレタ島は除外)。

その原因は未だに確定されていないが、一つの有力な仮説として、インド・ヨーロッパ語族を話す人々の流入による混乱というのがある。

初期青銅器時代の人々は、後に古代ギリシア語と言われる言語(つまりインド・ヨーロッパ語族に属する言語)を話す人々ではなかった。これを話す人々の流入がこの時期だった、という仮説。

ただし、ギリシア語が使用されていた証拠である線文字Bは早くても前1500年前後までしか遡れないこともあり、この仮説は確定されていない。

ちなみに、線文字Aという文字が前1800年頃に使用され始めるのだが、こちらは解読されておらず、どの言語を表しているのかも不明。(線文字Aについては次回にも書く。)

いずれにしろ、破壊活動がクレタ島以外の地域で多発してこの時代の繁栄が終焉し、新しい時代に移行することになる。


*1:周藤芳幸/図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を訪ねて/ふくろうの本/1997/p13-16

*2:「へラディック文化」「へラディック文明」と呼ぶ人もいる。さらに「へラディック」の代わりに「ヘラス」と呼ぶ人もいる

*3:図説ギリシア/p16