歴史の世界

アーリア人について その1(インド=ヨーロッパ語族との関係/人種差別とナチス・ドイツ)

前回の話と関連する「アーリア人」の話。

今回はインド=ヨーロッパ語族の研究の歴史と「アーリア人」という用語の登場について書く。次回に現在の学術的用語としての「アーリア人」について書く。

インド=ヨーロッパ語族の研究と「アーリア人」という用語

(以下は《アーリアン学説 - Wikipedia 》を参照)

インド=ヨーロッパ語族の研究の端緒を開いたのは、イギリスの言語学者ウィリアム・ジョーンズ

18世紀後半の当時、インドはイギリスの支配下にあった。ジョーンズはカルカッタの判事として赴任し、その傍らでサンスクリット語の研究をした。そしてこの言語とヨーロッパの諸言語が類似していることを見出し、ヨーロッパ、インド、ペルシャ(イラン)の諸言語が《「ある共通の源」から派生したという学説を立てた》。そしてのちに博学者トマス・ヤングによってこれらに共通するものを「インド=ヨーロッパ語族」と名付けた。この時点では専ら言語学の範囲内の共通性しか議論されていない。

文化や人種へ共通性の流れを作った人物はドイツ人(のちにイギリスに帰化)の言語学者宗教学者のマックス・ミュラーで、「アーリア人」という用語を造ったのも、のちに「アーリアン学説」といわれるものを造ったのも彼だ。

ヒンドゥー教聖典リグ・ヴェーダ』を翻訳したドイツ人のマックス・ミュラーが、この潮流に大きな役割を果たした。ミュラーは、インドに侵入したサンスクリット語を話す人々を、彼らが自身を「アーリア」と呼んでいたという理由で、「アーリア人」と呼ぶべきであるとした。インド・ヨーロッパ諸語の原型となる言葉を話していた住民は共通した民族意識を持ち、彼らがインドからヨーロッパにまたがる広い範囲を征服して自らの言語を広めた結果としてインド・ヨーロッパ諸語が成立したとする仮説を唱えた。ミュラーは、アーリア人はインドから北西に移住していき、その過程で様々な文明や宗教を生み出したと主張した。

19世紀には、「アーリア人」は、上記のような想定された祖民族という趣から進んで、「インド・ヨーロッパ語族を使用する民族」と同じ意味に使われ、ヨーロッパ、ペルシャ、インドの各民族の共通の人種的、民族的な祖先であると主張された。通常、「アーリアン学説」と呼ばれるのはこの時代の理論である。ミュラーは晩年、自身の学説が根拠に乏しいことを認めているが、「諸文明の祖」であるアーリア人という魅力的なイメージは、多くの研究者や思想家によって広まっていった。(同上)

言語の広がりと、その言語を話す民族・文化の広がりを同一視できないことは、ミュラー自身も理解していたようだが、「アーリアン学説」は彼の手から離れ、のちに人種差別的な色を帯びるようになる。

人種差別と結びつく「アーリアン学説」

「アーリアン学説」と人種差別を結びつけた代表的な人物がアルテュール・ド・ゴビノーだった。

『人種不平等論』(1853-55年)で、人類を黒色人種・黄色人種・白色人種に大きく分け、黒色人種は知能が低く動物的で、黄色人種は無感動で功利的、白色人種は高い知性と名誉心を持ち、アーリア人は白色人種の代表的存在で、主要な文明はすべて彼らが作ったと主張した。(同上)

この主張は根拠のないトンデモ説で当初は見向きもされなかったのだが、時を置いて注目されるようになり、かつ、いくつかの根拠なき主張が付け加わって19世紀末から20世紀に初頭にかけて流行した。そしてこれを相手にしていなかった言語学や人類学にまで影響を及ぼした。 *1

ナチス・ドイツの政治利用

これをドイツ国民の優越意識の高揚とユダヤ人差別に利用したのが、ナチス・ドイツだ。

ナチス・ドイツはインド=ヨーロッパ語族を話す人々全体を「アーリア人種」として、その中で北方からドイツに住む「アーリア人種」を特に「北方人種(ノルディッシュ)」とする説を採用した(ただしこのトンデモ説を考えだしたのは彼らではない → 《北方人種 - Wikipedia》 参照)。

「北方人種」の特徴は「金髪・碧眼・長身・細面」という形質的なもので言語とは全く関係がなかった。そもそも、百歩譲ってゲルマン民族をインド=ヨーロッパ語族を話し人々だということは事実だとしても、彼らの遠い祖先はインド=ヨーロッパ語族の「原郷」 (前回の記事 参照) から前2000年前後に北欧や北ドイツへ移住して原住民と混血して形成された民族だ。 *2

アドルフ・ヒトラー総統はさらに「優秀なるアーリア民族が世界を征服して支配種族(ヘレンラッセ)を形成すべきだ」と説き、極端な人種イデオロギーを主張した。こうして、ナチス・ドイツ第三帝国は「アーリア人」と鉤十字(アーリア人の伝統的なシンボル)の旗印の下に他国を侵略し、「劣等種族(と定義された人々)」の大量虐殺を重ねたのである。

出典:青木健/アーリア人講談社選書メチエ/2009/p12

ナチス・ドイツの極悪非道の所業のせいで「アーリア人」という用語がタブー視されるようになったのだが、この言葉自体はナチス・ドイツや人種差別とは関係なく存在するもので、むしろ被害者なのだ。

次回は、現在使用されている「アーリア人」という用語について書く。