歴史の世界

遊牧の起源 その2

前回からの続き。

ユーラシア・ステップにおける遊牧の起源

遊牧民と言えば「草原の民」をイメージする。彼らの主な生活空間はユーラシア・ステップと言われる広範な草原地帯だ。

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出典:ユーラシア・ステップ - Wikipedia

ここでは、以下の中川洋一郎氏の説明に頼ることにする。(ただし、この説明では、上記の西アジアにおける遊牧の始まりに言及しつつも、これと草原における遊牧の始まりの関係については触れていない。)

草原における遊牧は、ユーラシア・ステップの西南端に位置するポントス・カスピ海ステップ(黒海の北)に前4500年に始まった。

始めたのは、スレドニ・ストグ文化(前4500-前3500年)の人々。彼らの祖先は狩猟採集民だったが、農耕牧畜民と接触してその技術を獲得し、牧畜技術の延長として草原で遊牧を始めた。

ただし、彼ら全員が遊牧民になったのではなく、遊牧以外に牧畜・農耕も営んでいる人々もいた。少なくとも遊牧という生活様式が始まって初期の頃は、どこの民族も「遊牧専門」とはならなかっただろう(スキタイもそう)。

彼らの遊牧の特徴としては、ウシ中心の遊牧で、河川から離れることがない比較的小規模なものだった。

この文化を継承したのが、ヤムナ文化(前3500-前2300年)。

中川氏によれば、前3500年前後に遊牧における重要な進展が見られた。ここでは詳細は書かないが(リンク先参照)、ここでは重要な点の中からいくつか書き残す。

一つ目は「乗馬」。馬に乗ってコントロールすることを始めたのがこの頃ということ。初期の乗馬の目的は、家畜の群れの管理だった。以下の引用では乗馬を騎馬と同じ意味で書いている(騎馬戦術が登場するのはずっと後の時代)。

騎馬によって,群居性草食動物 (ヒツジ,ウシ,ウマなど) の大群を管理できるようになったという技術革新が特筆される.例えば,騎乗の効果としては,イヌ1頭の助力を前提に,徒歩ではヒツジ200頭しか管理できないが,騎乗すると,イヌ1 頭の助力で,500頭のヒツジ群を管理できる (ANTHONY2007:222).そもそも,ヒツジやヤギならば,イヌの助けがあれば徒歩でも飼育可能であろうが,しかし,ウマの遊牧飼育は,騎乗なしには不可能であろう.

騎乗については西アジアで既にウシやオナジャー(オナガー。ロバの一種)で行われていたが、騎馬は彼らが初めてだということだ。また、牧羊犬については、彼らが初めてのように書かれていると思うのだが、これについては他地域(イラン?)に起源があるようだ。

2つ目。ワゴン(幌車)≒車行。

車(車輪)の発明はメソポタミアで前3500年に起こった。だからヤムナ文化の人々は時を置かずに車行の技術を獲得したことになる。このころの車輪はスポークのものではなく、木を輪切りにしたようなものだったので、重く、ウシに牽かせていたようだ。

3つ目。遊牧民の組織化。

遊牧自体は少人数でできるので核家族で経営できそうだが、ここで問題になるのが防衛だ。核家族が無法な草原地帯で集団に襲われたらひとたまりもない。そこで、あらゆる人的ネットワークが必要になる。

遊牧民として,彼らは意識的・意図的・積極的な同盟関係を構築する必要があり,氏族から部族へと組織を編成し,拡大を目指した.この際に有効な方法が,もちろん,第一に疑似親族原理による同盟であったが,しかし,それと同時に,第二に,Patron-Client Relationship(主人・従者関係) によるよそ者同士の同盟関係が構築された.

以上のような人的ネットワークを画期的のように書かれているが、これは狩猟採集民が世界各地で行なってきたことだと思うのだが、私には違いがよくわからない。

いずれにしろ、以上を含む諸技術を獲得した結果、ヤムナ文化の人々は川沿いを離れて大草原に進出し、大規模な群れを管理できることができた(ヤムナ文化でも遊牧のほかに牧畜・農耕をする定住民はいた)。