「上からの改革」とは何か?
啓蒙思想の影響と広がり
18世紀の西ヨーロッパは主権国家が形成され、各国は絶対王政の支配の下にあった。絶対主義国家は領土争いにやっきとなり、七年戦争が勃発した。それは新大陸やアジアでの植民地抗争と結びついた「世界大戦」の面があった。そしてイギリスでは産業革命が始まりつつあった。つまり封建社会の崩壊、貴族社会の崩壊とそれにかわる近代市民社会の胎動が始まった時期だったといえる。そのような中で啓蒙思想は、近代社会誕生の「産婆」役を担っていた。ルソーやディドロの思想はやがてフランス革命を生み出すことになる。同時に絶対王政を維持したい君主たちも、「上からの改革」の必要を察知し、啓蒙思想に学びながら支配を合理化するという「啓蒙専制君主」が現れた。プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、オーストリアのヨーゼフ2世などがその典型であった。出典:啓蒙思想<世界史の窓
啓蒙思想は近世から近代に変わっていく時代に流行った思想で、先進的な思想だと考えられていた。「啓蒙専制君主」たちは自分の国が遅れていることを自覚して啓蒙思想と先進国(主にイギリス)から政治・経済・社会のシステムを移植しようとした。これが「上からの改革」だ。
しかし絶対王政(または専制政治)を手放さずに改革を進めるというのがそもそも矛盾した行動なのでスムーズいくはずがなかった、という話。
ちなみに、明治維新も「上からの改革」と言われることがあるようだが、明治維新は絶対王政(または専制政治)なんて無いので、上の定義とは違う。
「下からの改革」?
通説
ヨーロッパでは十七世紀から十八世紀にかけて、イギリス、アメリカ、フランスで次々と市民革命が起こり、絶対王権が否定されて近代化していく。我々が暮らす近代社会は、市民革命による「下から」の近代化によってもたらされたと言いたいらしいのです。……では、「その三国以外にどこの国で市民革命が起こったのか」と言われると、どこの国でも起きていません。……啓蒙専制君主とは、「上から」の近代化をもたらした君主です。過去の「嘘だらけシリーズ」でも市民革命のうさん臭さは指摘してきましたが(とくに『嘘だらけの日仏近現代史』では、その凶暴さをこれでもかと)、ヨーロッパに限っても「下から」の近代化などは少数派で、大半の国は「上から」の近代化なのです。
出典:倉山 満. 嘘だらけの日独近現代史 (SPA!BOOKS新書) (p.83). 株式会社 扶桑社. Kindle 版.
「下からの改革」は市民革命と言える。そしてこれも成功例をあえて上げるとすればアメリカ独立戦争以後の政治くらいで、フランス革命はナポレオンという独裁者を生み出してしまったし、イギリスは清教徒革命のクロムウェルも同じ、名誉革命は王族・貴族主導の改革だ。
「上からの改革」も成功したとはいえない。どっちからも失敗を繰り返して現在がある。
明治維新は下級武士中心の改革なのだが、これを「下からの改革」というのなら成功例になるだろうか?
「上と下の改革」が理想なのだが
啓蒙思想は近世から近代に変わっていく時代の先進国はイギリスだった。政治については立憲政治、議会政治、政党政治というシステムを長い年月を経て作り上げた。経済も産業革命を通じて金融・銀行システムを発展させた。
イギリスは、貴族と市民(ブルジョワジー)が近い関係にあったこともあり、上下の話し合いでマトモなシステムを構築することができた。
とはいえ、イギリスも内戦を繰り返して現在がある。先に進むためにぶっ壊さなければいけない抵抗勢力(アンシャン・レジーム)はどこにでもいるものだ。
近代・近代化の三大要素
近代・近代化の定義は定まっていないようなので、とりあえず暫定的なものとして以下に示す。
教科書的には市民革命を以って近代としているが、その教科書の中には民主化を無視した「近代化」を語られることもあるので注意が必要。教科書以外でも、近代化には民主化が含まれないことがある。
市民革命の「市民」はブルジョワジーであり、庶民ではない。庶民が政治に参画するようになるのはナポレオン戦争が終わってから、選挙権の拡大によってだ。これは19世紀前半に起こる。明治維新は19世紀末から始まるので、思ったよりヨーロッパとの歴史的距離は離れていなかったね。「40年でキャッチアップできた」と誇らしげに書いてある本を読んだことがあるが、そんなに早いってわけじゃないような気がしてきた。