歴史の世界

中国文明:先史⑮ 新石器時代 その13 後期新石器時代 その8 新石器時代末期の終焉

中国本土の各地で繁栄した後期新石器時代も終焉が訪れる。

中国本土に何が起こったのかを書いていこう。

後期新石器時代に「文明」は誕生した?

ここでは、古いが有名な都市(化)の指標(要素)であるゴードン・チャイルド氏の10項目(Childe 1950: 9–1 6)*1を見てみよう。

  1. 大規模集落と人口集住
  2. 第一次産業以外の職能者(専業の工人・運送人・商人・役人・神官など)
  3. 生産余剰の物納
  4. 社会余剰の集中する神殿などのモニュメント
  5. 知的労働に専従する支配階級
  6. 文字記録システム
  7. 暦や算術・幾何学天文学
  8. 芸術的表現
  9. 奢侈品や原材料の長距離交易への依存
  10. 支配階級に扶養された専業工

中国社会科学院考古研究所の王巍所長は、「良渚や陶寺等の都、大型宮殿の跡地、大規模な墓が発見されていることから、一部の文化と社会が発達した地域では、夏王朝より前から国家が形成されており、文明史が始まっていたことが分かる」と主張している*2

仮に「国家」と呼んだとしても、それは王家(首長)の家政に過ぎなかっただろう。しかし良渚遺跡や陶寺遺跡の中身を見ると、文明の指標(要素)がほぼ全部有る。サインのような抽象的な記号(未解読らしい)はあるが文字というにはびみょうなところだ。陶寺遺跡には暦と天文観測の場がある。あとは「奢侈品や原材料の長距離交易への依存」が欠落している。

まあ、すべての項目をクリアしなければ文明ではにということでも無いので、「中国文明」は後期新石器時代のあいだに誕生した」といっても良いと思う。

後述する地球規模の気候変動(寒冷・乾燥化)が無ければ、各地域で独自の国家が誕生して群雄割拠の時代になったかもしれない。

新石器時代の崩壊

以上のように後期新石器時代において文明段階まで来たわけだが、ここで中国本土全体に天災が訪れる。

良渚文化の記事ですでに紹介したが、4200年前(前2200年)前後に中国本土全体どころか地球規模の寒冷化・乾燥化が起こった

この寒冷化・乾燥化に影響を受けたと思われる事例をいくつか挙げてみよう。

中国本土では以下の文化が消滅した。

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大寒冷化直前の諸文化の分布 *7

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図3 本研究で明らかになったコア採取地の温度変動と、長江デルタの文明変遷。

出典:20181201|世界最古の水稲栽培文明を滅ぼした急激な寒冷化イベント|東京大学大気海洋研究所

中村慎一氏が良渚文化の崩壊について寒冷・乾燥化以外の原因を提示しているように*8、中国本土の新石器時代末期の終わりのすべての原因を寒冷・乾燥化に求めることはできないが、これが最も大きな原因と考えられる。

「なぜ中原だけが発展することはできたのか」は別の記事で書く

「中原」の中でも「衰退・崩壊」のは一部だけだ。上記のように中原龍山文化西部(渭河流域)の客省荘第二期文化は衰退する。

発展した地域は洛陽-鄭州区域で、この地域の発展から初期国家(二里頭文化)が誕生して、中国本土は新しい歴史の時代が始まる。

「なぜ中原だけが発展することはできたのか」は別の記事で書く。