歴史の世界

中国文明:先史⑫ 新石器時代 その10 後期新石器時代 その5 龍山文化/山東龍山文化

龍山文化(前2500-前2000年)は黄河中流域・下流域の文化。

大きくは中原龍山文化中流域)と山東龍山文化下流域)に分けられる。

龍山文化の特徴といえば、土器(=陶器)の「黒陶」(後述)だが、より重要なのは社会の変化、すなわち分業化や階層化などのほうにある。

龍山文化」という呼称について

龍山文化 - Wikipedia」によれば、龍山文化は「黒陶が発達したことから黒陶文化」とも呼ばれ、「中原龍山文化(河南龍山文化と陝西龍山文化)および山東龍山文化に分かれている」。

黄河文明 - Wikipedia」によれば、中原龍山文化は「陝西龍山文化・晋南予西龍山文化・河南龍山文化」に分かれる、とある。他にもバリエーションがあるようだ。

さらに陝西龍山文化の中に「客省庄(客省荘)二期(西安渭河流域)」文化や「陶寺(山西省西部)」文化が、河南龍山文化には「後崗(後岡)二期(河南省北部安陽市)」文化と「王湾三期(河南省西部洛陽市)」文化がある。

これらの細分化された文化の土器(中国では陶器と呼ぶ)を見るとその種類に大きな差異(類型)があり、生活様式の差異も大きいようだ。これらの文化は仰韶文化から発展した文化で、龍山文化の影響は陶寺文化を除けば表面的なもののようだ。

結局のところ、「中原龍山文化」という呼称は、中原(黄河中流域)における(本家の)山東龍山文化に併行する時代(龍山文化期、龍山時代)の文化群の総称だという意味しかない、と思われる。

山東龍山文化

山東龍山文化龍山文化の発祥地。本家本元の龍山文化。「典型的竜山文化」という呼称もある。

山東省を中心に広がる文化で、大汶口文化を継承している。

本やネットで「龍山文化」として書かれている説明の大部分が山東龍山文化に限られた特徴なので注意が必要だ。

土器

まず、土器の話から。

龍山文化の土器といえば「黒陶」だが、もう一つ「灰陶(かいとう)」も一般的で、この2つが龍山文化の特徴となっている。

黒陶(精製土器)・灰陶(粗製土器)とも龍山文化期よりも前から(新石器時代後期から)一般的になっているが、龍山文化期より灰陶の大量生産と黒陶の精製技術の向上が見られる。華北平原では ろくろの使用が一般化していた。の専業・分業化が進んだと言えるだろう。(小澤正人・谷豊信・西江清高/中国の考古学/同成社/p104-105(小澤氏の筆) )

階層化

階層化の問題は中国本土の社会全体の変化に関わってくる。

山東龍山文化の階層化は墓の副葬品によって判断することができる。これは大汶口文化より受け継がれた慣習だ。

ただし、大汶口文化では最下層(一般階層)の墓に日用土器が副葬されているのに対して、山東龍山文化ではこれが見られず、酒器と供膳具で構成されている。これは儀礼が変化したことを示している。

f:id:rekisi2100:20181203141351p:plain

出典:宮本一夫/中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)/講談社/2005年/p275

これらの副葬の慣習が殷周社会に受け継がれていく(ただし土器ではなく青銅器)。注目すべきことに、これらの慣習は二里頭・二里岡文化の母胎となった河南龍山文化には見られない。(宮本氏/p276)

集落

集落群の変化

集落または集落群(後述)についても階層化と同様に社会の変化の一つとして重要だ。

大汶口文化から山東龍山文化への移行期つまり前3000年紀の中頃に、囲壁集落(城址集落。城壁に囲まれた集落)が数多く建設され「集落規模が数段階に区分されるような階層化した集落群が出現した」。

前3000年紀の後半に入ると、「集落遺跡数は大幅に増大するが、集落群の数はむしろ減少傾向となる」。つまり「1集落群内の遺跡数は2~3倍にも増大し、単位地域の人口が著しく増加したことが示唆される」。

大規模な集落群では5つもの階層が見られるが、小規模な集落群では3階層程度だ。このことは書く集落群内に階層的秩序があったことを示唆する。

(以上は、「世界歴史体系 中国史1 先史~後漢山川出版社/2003/p45(西江清高氏の筆)」参照)

戦争の激化

集落群の変化は、戦争の激化の現れである。

山東龍山文化期には、鏃である磨製石鏃や骨鏃はともに大型化あるいは重量化していく。鏃の重さが重くなるということは、鏃を放つ弓の力が増すということを条件に貫通力が増すという機能変化を果たし、これが単なる狩猟用というよりは、武器としての機能変化と捉えられるのが一般的である。山東龍山文化の大型化や重量化は、武器としての機能進化であると捉えることができるだろう。

出典:宮本氏/p256