「無為」についての2つ目の記事。
今回は儒教批判について。
『老子』が編纂された時期には世間に充分に儒教が道徳として広まっていたらしく、そのような状況で『老子』は「儒教が広まっているのに秩序が乱れ、道徳として機能していない現状」を批判している。
そして最終的に儒教は「礼」という形(マナー)ばかりに気を取られて道徳として中身のないものになっている、と主張する。儒教が『老子』が編纂された頃には既にこのように批判されていたようだ。
『老子』第18章から
こういうわけで、根源の絶対的な道が失われたために、仁義などという高潔な倫理がもてはやされるようになった。
あざとい理知が出現したために、偉大なる作為などという人間の努力が唱えられるようになった。
家族の間にあった親和が消えたために、孝行や慈愛などという義務が〔要求されるようになった〕。
国家の秩序が乱れたために、節義の臣下などという立派な人物が羽振りを利かすようになったのである。
池田氏によれば、「偉大なる作為」が「有為」に相当する(p309)。
儒教は春秋末期の天下の秩序が乱れた時に登場したので上の通りなのだが、『老子』が言いたいのはそういうことではなく、儒教は世の中に広まっているが、「道」(つまり天下の秩序)は乱れたままだ、いや 悪化している、と言っている。
第38章から
〔上徳不徳、是以有徳。
下徳不失徳、是以無〕徳。
上徳無〔爲而〕無以爲也、
上仁爲之〔而無〕以爲也、
上義爲之而有以爲也、
上禮〔爲之而莫之應也、
則〕攘臂而乃之。
故失道而后徳、
失徳而后仁、
失仁而后義、
〔失義而后禮。
夫禮者、忠信之泊也〕、而亂之首也。
〔前識者〕、道之華也、而愚之首也。
是以大丈夫居其厚、不居其泊。
居其實、〔而〕不居其華。
故去皮取此。読み下し文
〔そもそも最上の徳は、世間的な徳とは正反対である。だからこそ真の徳がある。
下等の徳は、世間的な徳を捨てることができない。だからこそ〕、真の徳〔がないのだ〕。
その最上の徳は〔人為を〕行わず、〔また〕人為を行うねらいも持たない。
さらに、最上の仁は人為は行う〔けれども〕、人為を行うねらいは〔持たない〕。
ところが、最上の義となると人為も行い、また人為を行うねらいも持っている。
下って、最上の礼まで来ると〔人為を行うだけでなく、その礼に応えないものに対しては〕、腕まくりして突っかかっていく。
こういうわけで、根源の道が廃れたためにそれに代わって徳が現われ、
徳が廃れたためにそれに代わって仁が現われ、
〔義が廃れたために代わって礼が説かれるようになったのだ〕。
〔一体、礼というものは、人間の真心の浅薄化がもたらした産物であって〕、社会的混乱の始まりである。
〔ものごとを予見する知というものは〕、道を覆い隠すあだ華であって、人間の愚昧化の始まりである。
したがって、ひとかどの人物ともなれば、重厚な道・徳に身を置いて、浅薄な礼・知には身を置かず、
実質の備わる道・徳に安住し〔て〕、あだ華でしかない礼・知には安住しない。
だからあちらを捨ててこちらを取るのだ。出典:池田氏/p810-811(一部改変)
ここでいう「最上の徳」「真の徳」が『老子』の徳で、「世間的な徳」「下等の徳」が儒教の徳ということだ。
さらに『老子』は孟子が唱えた「仁義礼智」が世の中の秩序(つまり「道」)が廃れていくに従って順々に生成された、としている。
さてここで「無為」の話に移る。引用した以下の部分だ。
(ここでは、現代語訳を私なりに言い換えてみる。前に引用した63章や18章も加味している。)
上仁爲之〔而無〕以爲也、
上義爲之而有以爲也、
上禮〔爲之而莫之應也、
則〕攘臂而乃之。
上徳は人為(つまり「有為」)を行わず、あえて人為を行う意図も無ければ必要も無い(人為=有為を否定しているのだから当然だ)。
一つ下って、上仁は人為を行うが、あえて人為を行う意図は無い(人為を行わない必要が無いわけではない)。
さらに下って、上義は人為を行うし、自ら何かをしたいという意図を持っている。
もう一つ下って、上礼(上禮)は人為を行って、これに感謝(礼)をしなければ怒りだす。
儒家の倫理が「礼」を重視して儒家における倫理の形式化・形骸化したことは以前書いたが *1、 『老子』が編纂された頃には既に形骸化が起こっていたのだろう。
「道」(≒秩序)を理解して「無為」を重視する『老子』の編纂者たちは、儒家が人為を称賛するにまで落ちたのを目の当たりにして憤っていたのかもしれない。
『老子』の儒教批判の部分を読んで、『老子』の成立時期が戦国時代の中期以降ではないかと思うようになっている。