歴史の世界

春秋戦国:戦国時代⑮ 諸子百家 その7 儒家(6)荀子

今回は荀子について。

荀子は、彼の語る「性悪説」と、韓非子や李斯(始皇帝の丞相)の師匠として有名だ。

荀子は趙の人、前4世紀末つまり戦国末期の人。「稷下の学」で有名な斉の学堂で祭酒(学長職)を努めたほどの人物だ。

後年は楚の蘭陵に移り、その長官を罷免された後も住み続けてこの地で生涯を終えた。韓非子や李斯はこの地で入門したとされる。

性悪説

人間の本性には、欲望や感情がある。それを生まれつきのままに放置すれば、人間は欲望や感情をむき出しにして争い合い奪い合う。これでは、社会秩序を維持し、整然と統治された社会の中で、安全に暮らすことはできない。そこで必ず、教師が示す社会規範や礼儀のルールによって、人々を後天的に教育し感化しなければならない。とすれば、人間の本性が悪なのは明らかで、人間が善なる行いをするようになるのは、すべて後から加えられた作為の成果なのである。これが荀子が唱えた性悪説の内容である。

ここで注意を要するのは、荀子の言う「悪」が、極めて外面的・形式的性格を持つ点である。荀子は、心の中で他人の成功を嫉妬したり、他人から奪って欲望を遂げたいと思うことまで、根絶すべきだとは言わない。たとえ心の中にそうした欲望や感情があるとしても、社会の一員として生活する場合、少なくとも表面上は他人の目を憚って、社会的ルールを守って暮らせというに過ぎない。つまり荀子は、心に照らして邪悪な人間だと断罪する、絶対的な悪概念を説いているのではない。「悪」がこうしたものである以上、「善」の側も至って外面的・形式的なのであって、心の中はどうであれ、他人の評価を憚って自己を抑制し、社会のルールを守って行動しさえすれば、それで充分に「善」と判定される。

出典:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p94

荀子性悪説孟子性善説の正反対というわけではない。つまり荀子は「人は生まれつきに他人を貶めて笑うような心を持っている」とは言っていない。

荀子の言う「悪」とは「人の性は、生まれながらにして利を好むこと有り」(『荀子』性悪篇)、つまり欲があることで、これを矯正せずに放置しておけば、他人に危害を加えることとなる、だから教育が必要だ、というのが根本的な考えだ。

荀子の主張でより重要なのは「外面的・形式的性格」という点。つまり「社会のルールを守って行動しさえすれば、それで充分に「善」と判定される」のであって、心の中の善悪に対してとやかく言うべきではない、というものだ。

礼治主義

いくら社会秩序を維持したいと願っても、人間の本性が悪で、人間の内部に倫理性が備わっていないとすれば、人間の外側にある規範によって、規制する以外に方法がないことになる。そこで荀子は、人々に礼のルールを学習させ、礼を基準に国家・社会を統治すべきだとする礼治主義を唱える。

出典:浅野氏/p96

この場合の礼の意味は国家における階層秩序(社会秩序)の規定・ルールとそのマナーのこと*1

統治技術としての礼

勧学篇で君子が学ぶべき対象は、「礼」であることが説かれる。修身篇では、君子は「礼」に従って行動するべきことが強調される。 「礼は法の大分、類の綱紀なり」(勧学篇)「礼なる者は、治弁の極なり、強国の本なり、威行の道なり、功名の総(そう)なり」(議兵篇)と説明されるように、荀子はいにしえの時代から受け継がれた「礼」の中に、国家を統治するための公正な法の精神があると考える。国家の法や制度は、「礼」の中にある精神に基づいて制定される。王制篇では王者は「人」=輔佐する人材、「制」=礼制、「論(倫)」=身分秩序と昇進制度、「法」=法律を制定するべきことが説かれる。君子は礼を身に付け、法に従って統治し、法が定めない案件については「類」=礼法の原理に基づいた判断を適用して行政を執る。「その法有る者は法を以て行い、法無き者は類を以て挙するは聴の尽なり」(王制篇)。

このように荀子は、君主が頂点にあり、君子が礼法を知った官吏として従い、人民が法に基づいて支配される、つまり法治国家の姿を描写して、その統治原理として「礼」を置くのである。孔子孟子も「礼」を個人の倫理のみならず国家の統治原理として捉える側面を一応持っていたが、荀子はそれを前面に出して「礼」を完全に国家を統治するための技術として捉え、君子が「礼」を学ぶ理由は明確に国家の統治者となるためである。

荀子の描いた国家体制は、まず彼の弟子である李斯が秦帝国の皇帝を頂点とする官僚制度として実現し、続く漢帝国以降の中国歴代王朝では官僚が儒学を学んで修身する統治者倫理が加わって、後世の歴代王朝の国家体制として実現することとなった。

出典:荀子 - Wikipedia

孔子以来、戦国乱世にどのように秩序を取り戻すかというのは儒家のみならず多くの思想家のテーマだった。そして荀子の答えが上のようなものだ。

荀子の考えは法家に近く、荀子の言う「礼」は近代で言うところの慣習または慣習法にあたり、「法」が成文法にあたるのかもしれない。荀子の「礼治主義」は慣習・道徳の「礼」と、「法」の両方を重視していたようだ。ただし、「礼」のほうが記述が多いので、「礼」と「法」を同等に考えていたわけではないらしい。

上の引用に加えて、「後王思想」というものがある。

古代の神話的天子(先王)を君主の理想像とする伝統的考え方に対して、政治はいちばん近い時代において現実に努力した王、つまり「後王(こうおう)」の定めた政策や制度に従うべきだ、という後王思想をも主張している。

出典:日本大百科全書(ニッポニカ)/小学館荀子(じゅんし)とは - コトバンク

  • 上の引用元によれば、荀子の思想の中心には、「たゆみない努力の持続の重視である。このいわば努力主義とでもよべる基本的な考え方」がある、としている ((「王制篇や富国篇等では、治政にあたって実力主義成果主義の有効性を説いている。王制篇では、王公・士大夫の子孫といえども礼儀にはげむことができなければ庶民に落し、庶民の子孫といえども文芸学問を積んで身の行いを正して礼儀にはげむならば卿・士大夫にまで昇進させるべきことを説く。」(荀子#実力主義・成果主義 - Wikipedia )。

以上のような考えは韓非に影響を与えたという人もいれば、反対する人もいるそうだ。(韓非#荀子の影響 - Wikipedia

迷信の排除(天命思想の否定)

荀子が説いた思想として有名なのは、人間は人間の領分を守り、不可知の天(自然)の領域に手を出すべきではないとする、「天人の分」の考えである。[中略]

荀子は、天が万物を生み出す無形のメカニズムは、人間の知恵では解明できないとする。だから聖人は、人知では詮索できない天の仕組みに対して、それを知ろうとする無駄な努力はしないともいう。天は変わらぬ恒常性を維持しながら、文明社会が存立できるだけの物質を充分に供給してくれるのだから、天への対応策さえ間違えなければそれでよいのであって、天の仕組みを探求する必要はま全くないというのが、荀子の主張である。[中略]

荀子は……人としての努力をなおざりにして、天に福を祈ったりすれば、万物の実情を見失うというのである。

出典:浅野氏/p100

荀子が生きていた当時は天と人間との間には相関関係があるとする思想が流行していた。天命思想もその一種(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典<荀子(じゅんし)とは - コトバンク )。

荀子は、以上のようなオカルト的なことに時間を割くような無駄なことをやめて、分をわきまえてできることに一生懸命になりなさいと説いた。



孟子楽天主義であったのに対し、荀子悲観主義と言うよりも現実主義に徹していたといったほうが良いだろう。


*1:礼については記事「「礼」と「孝」」で書いた。