歴史の世界

「秦代/楚漢戦争」シリーズを書く

これから「秦代/楚漢戦争」シリーズを書く。「中国_秦代/楚漢戦争」カテゴリーに保存する。

秦代および楚漢戦争については下で少しだけ説明する。詳しいことは別途記事にしていく。

この二つの時代は短いので一つのカテゴリーにまとめた。

秦帝国について

「秦代」は始皇帝が中華統一を果たして作った統一国家の時代を指す。

歴史をさかのぼって、殷代と西周代は封建制であったと言われる。つまり、各地の勢力(諸侯)が殷王室・周王室に従属することによって成り立つシステムだった。これは諸侯がほぼ独立勢力であったことを意味する。日本史の江戸時代を思い出せばいいだろう。

これに対し始皇帝は郡県制を採用した。簡単に言えば、他の王国を廃して秦帝国の直轄とした。

始皇帝は「王」よりも上位の称号として「皇帝」という称号を採用した。また秦の統治体制(郡県制など)は次代の前漢が採用し、その後の中国王朝の模範となったことから、「皇帝・帝国」としての中国の歴史は秦帝国から始まったと言える。

楚漢戦争

前206年に秦帝国は滅亡する。

同年、楚王室の末裔の義帝をトップとする封建制の下、いちおう中華平定ということになったのだが、義帝は傀儡で全く権力を持たず、事実上のトップの項羽が全てを差配していた。

項羽が義帝を殺害することによって、再び動乱が始まる。項羽を打倒する勢力のトップになったのが劉邦(後の前漢初代皇帝・高祖)だ。

この項羽と劉邦の戦いを楚漢戦争と呼ぶ。