歴史の世界

メソポタミア文明:初期王朝時代④ シュメール王名表

王名表については、記事「メソポタミア文明:初期王朝時代② 第Ⅰ期・Ⅱ期」の節「シュメールの「王名表」から」で紹介したが、それからの続き。

f:id:rekisi2100:20170606132201j:plain:w160

出典:Sumerian King List<wikipedia*1

(以下の参考文献:世界の歴史1 人類の起原と古代オリエント中央公論社/p165-181(前川和也氏の筆)ただし前川氏は「王名表」とはではなく「王朝表」と書いている )

「王権が天より降りきたったとき、王権はエリドゥにあった」

王名表によれば、シュメールに王権が現れた一番最初は、シュメール最南部の都市エリドゥだった。王権は二王が計6万4800年も治めた後、王権はバド・ティビラ市、ララク市、ジムビル市、シュルパク市へと変遷した。それぞれ万年単位という治世の長さだ。

シュルパク王治世1万8600年にシュメールを大洪水が襲う。これによりシュルパク王の治世は終わる。

「洪水が襲った。洪水が襲ったのち王権が天より降りきたった。王権はキシュにあった」

この大洪水はシュメール神話にもなっていて、聖書の「ノアの方舟」のネタ元だ。実際に大洪水が当時の全シュメールを一掃したわけではないらしいが、なにかしらの厄災があって、それを洪水になぞらえたのかもしれない。王権を手にしたキシュは南メソポタミアの北部(のちにアッカド(地方)と呼ばれる)の都市だから南部(シュメール地方)にだけ厄災が起こったのかもしれない。

王名表の中からキシュ第1王朝とウルク第1王朝を取り上げよう。ウル第1王朝については別の記事記事「メソポタミア文明:初期王朝時代③ 第ⅢA期/ウル王墓/ウルのスタンダード」で取り上げた。

キシュ第1王朝

キシュ王はその後 世襲するが、この王朝をキシュ第一王朝と呼ぶ。キシュはセム人(シュメール語とは別系統のセム語系言語を話す人々)が古くから住みついていた。「Kish<wikipedia英語版」によれば、前3100年ころから初期王朝時代にかけて強大な影響力を持っていた。

王名の前半はアッカド語の動物名を当てているので、実際の創始者は第13代にあたるエタナという説がある。ただし考古学資料で確証されているわけではない(エタナの在位は1560年)。

王名表の中で実在が確定されている最初の人物はエンメバラゲシ。エンメバラゲシとその息子で後継者のアッガについては記事「初期王朝時代②」で書いた。

ウルク第1王朝

王名表によれば、王権がキシュ第1王朝からウルク第1王朝へ移ったとする。しかしこれが史実だという証拠はない。

この王朝で比較的名の知られている王は2、3、5代の王すなわちエンメルカル、ルガルバンダ、ギルガメシュで、彼らは英雄叙事詩の物語に現れる。

エンメルカルとルガルバンダと都市アラッタ

エンメルカルとルガルバンダにはエラム(≒イランまたはイラン南部)の1都市アラッタにまつわる物語がある(「エンメルカル<wikipedia」「ルガルバンダ<wikipedia」参照)。これらの物語について書いてみる(この物語がどの程度史実に関係があるのかは分からない)。

アラッタという都市(国家?)はシュメール(南メソポタミア)から遠く離れた東方にあった。ここはラピスラズリに代表される鉱物の供給地としてシュメール諸国としては重要な取引相手だった。

補足:アラッタではウルクにはない瑠璃などの宝玉、貴金属に恵まれ、それらを細工する技術と職人も持ち、それらの製品交易によって経済力も確かなものだったと思われる。エンメルカルはしばしばアラッタの君主と対決してきたが、今回の遠征目的はそんなアラッタの貴金属とそ加工技術、そして貿易路の確保と導入によってウルクの発展に貢献することであった。

出典:ルガルバンダ<wikipedia

メソポタミアとインダスのあいだ』*2によれば、エンメルカルがアラッタの君主と対決する前に、キシュ第1王朝のエンメバラゲシがエラムの首都スーサを崩壊させた。当時はスーサが(シュメールから見た)東方からの物資が集中する供給拠点で首都の役割も持っていた。

スーサ陥落の後、エラムの司令塔(首都)はアラッタに移った。アラッタとの対決・交渉する王もキシュ王からウルク王に移った。

物語は両者の和解が成立しシュメールへの物資供給が正常化し めでたしめでたしで終わる。物語中のシュメール側の攻撃姿勢にもかかわらず、両者の関係は対等だったようだ。

エンメルカル、ルガルバンダ両王の実在性の確証はない。

ギルガメシュ

ギルガメシュは『ギルガメシュ叙事詩』の主人公として王名表の中でも、初期王朝時代の人物でも最も有名な王だ。ただし、彼の実在性を確証するものが出土していない。

英雄譚の中で、史実に関係がありそうなものの一つとして、『ギルガメシュとアッガ』という物語がある(これは『ギルガメシュ叙事詩』には含まれない)。

ここに登場するアッガはキシュ第1王朝の最後の王アッガだ。物語では、アッガ王がウルクを屈服させようとするが、ウルクギルガメシュは屈服することを良しとせずに立ち向かい、ウルクを包囲していたアッガ王を捕らえることに成功した。しかしギルガメシュはアッガを解放しキシュに返した。

ギルガメシュ叙事詩<<wikipedia」では「ギルガメシュがアッガに戦勝したことでウルクに王権が移ったと伝えられている。この背景を踏まえて物語を振り返ってみると、『ギルガメシュとアッガ』が史料的・歴史的事実の反映を伝えているのは明らかである」と書いているが、これを史実とすると、上のエンメルカル、ルガルバンダ両王がシュメールの盟主だという仮説が怪しくなる。ギルガメシュの王権奪取説も仮説だが。



キシュ王エンメバラゲシ、エンメルカル、ルガルバンダとアラッタの対決・交渉をみると、この3王はシュメールの盟主(宗主国の王)となって、東方の王と対峙した、と考えることができるだろう。古代で言えばギリシアアテナイ、現代でいえばアメリカの元首とおなじ役割を担っていたのだろう。

上の仮説が仮に当っているとすれば、おそらく初期王朝時代の第Ⅱ期の時代だろう。

*1:パブリック・ドメイン、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Sumeriankinglist.jpg#/media/File:Sumeriankinglist.jpg

*2:後藤健/筑摩選書/2015/p42-43