歴史の世界

メソポタミア文明:初期王朝時代⑧ 第ⅢB期(その4)初期王朝時代末の画期

この記事では、前田徹著『メソポタミアの王・神・世界観』*1の政治史の時代区分に頼って書いていく。ただし、この本は、今まで頼ってきた小林登志子著『シュメル』*2前川和也編著『図説メソポタミア文明*3や『世界の歴史1 人類の起原と古代オリエント*4(参考にした部分は前川和也氏執筆の部分)の年代観とは すこし離れているので、年代については小林氏、前川氏の主張に頼る。

この記事で展開する時代区分は、前田徹氏の発案であるが、独自のもので学界全体に通用しているわけではないらしい。しかし神と現実世界の政治との関係を理解する上で重要だと思うので、この記事で採用してみた。

メソポタミアの王・神・世界観―シュメール人の王権観

メソポタミアの王・神・世界観―シュメール人の王権観

ウルク王エンシャクシュアンナ

この記事で注目する前田氏の時代区分はアッカド帝国誕生の直前のウルク王エンシャクシュアンナ治世の時代だ。

ウルク王エンシャクシュアンナとはどういう王だったのか。

前田氏の推測を交えた説明によれば(p34-35)、ラガシュ王エンメテナ治世以降の時期にウルク王エンシャクシュアンナは、アダブ、ニップル、ラガシュ、シュルッパク、ウンマと計6都市の連合軍を組み、キシュ王エンビイシュタルと戦い、征服した(ウルはウルク支配下に入っていた可能性が高い*5 )。(『シュメル』の巻頭年表には、ウルク王エンシャクシュアンナの名前は前2400~2334年の間にある。)

その後エンシャクシュアンナは「国土の王」を名乗る(p34)。彼は「国土の王」を初めて名乗る王だ*6。前田氏はエンシャクシュアンナが「国土の王」を名乗った時期をもって時代区分の「都市国家分立期」から「領域国家期」への画期としている

「キシュの王」と「国土の王」

キシュの王

前田氏の言うところの「領域国家期」の前には、前25世紀、「キシュの王」という称号があった。名乗ったのはウルのメスアンネパダ、ラガシュのエアンナトゥム、ウルクのルガルキギネドゥドゥだ。この称号は「戦闘の神」であるイナンナにより与えられる王の武勇の資質を表す称号である。「この称号は王個人の資質を象徴しており」、「覇権をめざして、北方の雄国キシュをも制覇できるほどの武勇をもつ覇者であることを喧伝するために名乗った王号である」(p27)。

国土の王

これに対し、「国土の王」は、エンリル神によって与えられる。エンリルはシュメールの神々の世界(パンテオン)の最高神であり、現実のシュメールの最高神でもある。

「国土の王」に込められた王の意志を要約すると以下のようになるだろう(p42を参考にした)。

シュメールの最高神エンリルより与えられたこの称号は、地上の支配権を「対抗するものなき唯一の王」として委任することの証であり、この王に敵対することは、エンリル神が定めた秩序の破壊者と見なしうる。

「国土の王」を名乗ったのは、ウルク王エンシャクシュアンナの他には、同じくウルク王の(ウルク王になった)ルガルザゲシがいる。おそらくこの二人だけ。これに似た称号で「全土の王」というものがあるが、これはアッカド王朝以降に使用されたものなのでここでは触れない。

都市国家から領域国家へ/宗教・思想の転換

「領域国家」の定義を本やネットで探しても無かったので、勝手に「複数の都市を一つの中央政府が統治する国家」としておこう。

さて、『メソポタミアの王・神・世界観』のp40 に「都市破壊記事」という節がある。ここではこの説を要約してみよう。

エンシャクシュアンナは碑文に「キシュを征服した」と書いた。「征服する」に相当する動詞「フル」は「破壊する」という意味も持つ。

前田氏によれば、シュメール・アッカド(つまり南メソポタミア)では、都市を「征服する・破壊する」ということは都市神に対する罪だという観念を持っていた。シュメール・アッカドの王は戦争をした場合、「フル(征服する・破壊する)」を使用することを避けて、「王を打ち倒した」というように表現した(ただし、エラムなどの周辺地域の都市には彼らを野蛮視していたようで「フル」を使用していた。

エンシャクシュアンナがシュメール・アッカドの都市であるキシュに対し、「フル」を使用したことは、宗教・思想の転換である。

それまでは「都市を征服・破壊することは都市神に対する罪」という観念から、エンシャクシュアンナのころより、「エンリル神に支配権を委任された唯一の王に敵対する者は、エンリル神が定めた秩序を破壊する者である」、だから敵対する都市を破壊することは何ら罪ではなく、むしろ責務である、という観念に変わった。

これはあからさまな正当化だが、ウルク王の軍事力の前に逆らう者がいなくなり、思想は転換された。これ以降、「シュメール・アッカドの神々」ではなく、唯一エンリル神の名のもとに侵略・征服が展開された。ただし、バビロン第1王朝が興ると最高神はエンリルからバビロンの都市神マルドゥクに代わった。



(雑記1)

前田氏は「国土の王」に似たものとして「すべての王」を紹介している(p28-30)。おそらく前2500年の前半から歴代のウンマの王が王碑文に使った称号だ。この称号は「国土の王」より前に現れている。

この称号も都市国家の枠を超えた領域支配の意欲が込められていたのかもしれない。しかしウンマは覇権を手にすくことに失敗したので、覇権を手にしたウルク王エンシャクシュアンナの「国土の王」とは一線を画する、と前田氏は思っているようだ(それゆえに、「すべての王」出現をもって「領域国家期」とするとはしなかった)。

ウンマはのちにシュメール地方(南メソポタミア南部)を(ほぼ)統一したルガルザゲシを生み出したが、ルガルザゲシはウンマからウルクに移って「ウルク王」を名乗り、「国土の王」を採用した(「すべての王」とは名乗らなかった)。


(雑記2)

領域国家を「複数の都市を一つの中央政府が統治する国家」としたが、エンシャクシュアンナより前の王のルガルキギネドゥドゥの治世はどうなのだろう?彼は「ウルクとウルの王」を名乗っていて、前田氏はウルがウルクの支配化にあったとしているが、そうなるとウルクは領域国家ではなかったのか?また、雄国ウルほどの都市国家が他国に支配されるのだったら弱小都市国家など既に征服されていたのではないのか?

中国では(春秋)戦国時代の戦国七雄の頃は領域国家の時代と見なされていることを考えれば、初期王朝時代末の領域国家時代もエンシャクシュアンナよりも前のような気がする。

そうなると、前田氏のエンシャクシュアンナ登場の画期は「領域国家」ではなく、「統一国家への宗教・思想の転換」なのだが、やっぱりこれでは分かりにくいか。


(雑記3)

時代が大きく変わる時には思想の転換はあるものだ。戦国秦・贏政(えいせい・後の始皇帝)の時も、資本主義の手前でも それは為された。これらのことはいつか書こう。

*1:山川出版社/2003

*2:中公新書

*3:河出書房新社(ふくろうの本)/2011

*4:中央公論社/1998

*5:エン赤珠アンナより前のウルク王ルガルキギンネドゥドゥは「ウルクの王、ウルの王」と名乗っている

*6:メソポタミアの王・神・世界観/p19