歴史の世界

メソポタミア文明:初期王朝時代② 第Ⅰ期・Ⅱ期

前回、時代区分のところで書いたが、第Ⅰ期・Ⅱ期などの時代区分は考古学の研究成果によるもの(編年)で、政治史としてこの時代区分を使用するのは、便宜的に使用しているだけだ。言い換えれば、政治史としての区分でなく、考古学の区分に政治史を当てはめているだけだ。

上のことを留意しながら、第Ⅰ期・Ⅱ期について書いていこう。

さて、第Ⅰ期・Ⅱ期だが、これがよく分からない。

メソポタミアでは、前3500年頃のウルク期に都市国家が成立し、ジェムデトナスル期をへて、初期王朝時代に、都市国家間の抗争時代に入る。しかしながら、前2900年に始まる初期王朝時代も、前2500年までの400年間は文字史料がほどんどなく、都市国家の形態やその相互の関係を具体的に知ることはできない。

出典:前田徹/メソポタミアの王・神・世界観/山川出版/2003/p23

前2900年~前2500年まで、つまり初期王朝時代第Ⅰ期・Ⅱ期のあいだはほどんどわからない。

文字史料だけでなく、考古学的な資料も、前回の記事「初期王朝時代①」で書いたが、南メソポタミアでは十分と言うには程遠いらしい。西アジアが平和になったら、この時代の歴史も進展するのだろうか。

そんなわけで第Ⅰ期・Ⅱ期の歴史をささやかながら書いてみる。

小林登志子著『シュメル』から

まず小林登志子著『シュメル』から。

前2900年頃に始まる初期王朝時代は、シュメルの都市国家間で覇権をめぐり、あるいは交易路や領土問題などから争いが絶えない戦国時代であった。

初期王朝時代は第Ⅰ期(前2900-2750年頃)には都市国家間の戦争が頻繁にあったことから城壁の内側に人々が住むようになり、第Ⅱ期(前2750-2600年頃)も戦争状態は変わらなかった。第ⅢA期(前2600-2500年頃)には、ラガシュ、ウンマ両市間の争いをキシュ市のメシリム王が調停するほどの勢力を示していた。第Ⅲ期(前2500-2335年頃)になると、ラガシュ、ウンマ両市の約100年にわたる戦争がラガシュの王碑文に詳細に書かれ、これは戦争についての最古の歴史的記録になる。

出典:小林登志子/シュメル/中公新書/2005/p113(文字修飾は引用者)

ウルク期後期に都市文明が生まれたのだがウルク期の末期には王と呼べるほど権力を有する支配者が現れた(記事「メソポタミア文明ウルクの大杯に学ぶ④」の節「支配者・王」参照)。

しかしそれから間もなくしてメソポタミアの域外に広く及ぶ物流ネットワークが崩壊する。そしてウルク期からジェムデト・ナスル期へ以降する。ネットワーク崩壊とジェムデト・ナスル期の詳細についてはわからないことだらけだが、勝手に推測すると、ウルク以外の集落の都市化が進んで(または勢力が強くなって)ウルク・ネットワークを壊す程度に南メソポタミアで紛争が起こったのではないだろうか。

ただし、南メソポタミアウルク以外の都市がどのように形成され誕生したのかは分かっていないらしい。

考古学より

西アジアの考古学』によれば、考古学資料が少ないことを指摘した上で、以下のように書いてある。

そのような考古学資料の中で、たとえば円筒印章は闘争図柄の初出(EDⅡ)、銘文の出現(EDⅢ)など著しい様式の変遷をたどることができるといわれている。また、交易品と考えられるラピス・ラズリや石製容器のEDⅢ期における増大、あるいは金属器がEDⅡ期以後に著しい発達をみせることなどが指摘されている(Mallowan 1971)。

出典:大津忠彦・常木晃・西秋良宏/西アジアの考古学/同成社/1997/p148

また、ディヤラ川流域で出土した「ディヤラ式彩文土器」または「緋色土器(スカーレット・ウェア)」はEDⅠ期の指標となっている*1国士舘大学イラク古代文化研究所のハムリン地域を紹介するページで彩文土器を紹介している。写真あり)。

シュメールの「王名表」から

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出典:Sumerian King List<wikipedia*2

シュメール王名表は焼成粘土製の角柱形(高さ20cm)の古文書で*3、ウル第三王朝時代(前21世紀)に成立したらしい*4

テキストには、各時期に南部メソポタミアでもっとも力をもった諸王朝、諸王の年数が羅列されている。ひとつの時期にひとつの都市が南部メソポタミアを支配していたという前提があって、じっさいには並びたっていた複数の王朝も、あたかも継起したかのように叙述されているのである。いっぽうで、有力な都市王朝がすべて言及されてはいないし、王朝の順番も、テキストによって、ときにくいちがいがある。また初期の王たちには、異様に長い治世年数が与えられている。けれども、注意ぶかく用いるならば、この作品から初期メソポタミアの政治史について基礎的な情報を得ることができる。

出典:大貫良夫・前川和也・渡辺和子・尾形禎亮著/世界の歴史1 人類の起原と古代オリエント中央公論社/p165-166(前川氏の筆)

王名表は『日本書紀』のように神話と史実が入り混じっているようだ。『西アジアの考古学』(p146)によれば、シュメールを統一したサルゴン王より前の王名は「実際的」ではないらしい。それでも、考古学に照らし合わせると、実在性をうかがわせる名があるという。

初期王朝時代のものでは、キシュ第1王朝のエンメバラゲシ(Enmebaragesi)は「シュメール王名表に記載されている王の中で考古学的に実在が確認されている最古の王」*5として一番有名らしい。エンメバラゲシは物語『ギルガメシュとアッガ』に出てくるアッガ王(キシュ王)の父なのでギルガメシュウルク王)とアッガも実在したと考えられている。

エンメバラゲシがどの時代に生きていたのかは諸説あるが、ここでは「前27世紀」という後藤健氏の主張を採用しておこう。後藤氏によれば、王名表に「キシュのエンメバラゲスィ、エラムを撃つ」という記事があり、後藤氏はスーサ(エラム)の考古学研究の成果から前27世紀のメソポタミアの支配者によるスーサ侵略があり、その後スーサはイラン風の文化からメソポタミア系の文化に変わったとする(後藤健/メソポタミアとインダスのあいだ/筑摩選書/2015/p43-44)。

ギルガメシュとアッガは前27世紀か前26世紀となるだろう。

ほかにはウル第1王朝の創始者メスアンネパダが挙げられる。「メスアンネパダ<wikipedia」によれば、ギルガメシュと同時代の人物だとのこと。



ギルガメシュとアッガ」の物語は、『史記』を読んでいるようで面白い。「ギルガメシュ叙事詩wikipedia」に簡単に書いてある。前川和也氏によれば、この物語より、ウルクがキシュに臣従していた、としている。キシュ王アッガに勝利したウルクギルガメシュは、Ⅲ期には既に神格化されていたという*6

*1: 小口裕通「メソポタミア考古学研究の近年の歩み」(PDF )(西アジア考古学 第9号/2008/p19-25/©日本西アジア考古学会)

*2:パブリック・ドメイン、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Sumeriankinglist.jpg#/media/File:Sumeriankinglist.jpg

*3:西アジアの考古学/p142

*4:大貫良夫・前川和也・渡辺和子・尾形禎亮著/世界の歴史1 人類の起原と古代オリエント中央公論社/p165(前川氏の筆)

*5:エンメバラゲシ<wikipedia

*6:世界の歴史1/p171