歴史の世界

大航海時代⑤ 大航海時代の終わり

他国の台頭

ポルトガルとスペインの後を追うようにヨーロッパ各国も大航海に乗り出した。

オランダ(ネーデルラント)がポルトガルの海外覇権を奪取し、英仏がこれを追い、この3国がポルトガルやスペインの勢いを追い抜く。これによって大航海時代は終わる。

北米

スペインはテキサスとフロリダを占領したがそれより北には行かなかった。

15世紀より蘭英仏が北米の東部沿岸各地に探検隊を派遣し、「発見」して、領有権を主張した。

15~17世紀は農園で大成功したとか鉱山を発見したとかいう話は聞かないしよくわからない。開拓というか、他勢力や先住民と戦いながら縄張り争いを続けて、成果という成果をあげられずに時間が経っていった。

そして17世紀末19世紀初頭に英仏による植民地戦争が起こるのだが、これは大航海時代の後の話だ。

アジア

17世紀初頭にオランダ(ネーデルラント)とイギリス(イングランド)が東インド会社という独占的な貿易会社を作って本格的にアフリカとアジアに進出した。17世紀中葉にはフランスも東インド会社を作る(東インド会社大航海時代の次の時代のキーワードなので別の機会に書く。 東インド会社<世界史の窓 参照)。

先進国であったポルトガルは上の3国に拠点を奪われるようになっていく。

1600年にはモルッカ諸島、1609年にはスリランカ(セイロン島)をいずれもネーデルラント(オランダ)船に奪取され、1622年にはホルムズをイギリスとサファヴィー朝アッバース1世の連合軍に奪われた。また、17世紀には東アジアでもさかんにポルトガル船を襲撃するようになったオランダ商船は、1609年には日本の平戸に商館を設けてポルトガルと競合するようになった。またイギリスも17世紀から東アジアにも進出、同じく平戸に商館を設けた。

出典:ポルトガル<世界史の窓

ポルトガル・スペインの没落

以下にスペインの没落の理由を引用するが、ポルトガルにも当てはまる点もある。

スペイン衰退の原因
スペインは16世紀末から17世紀を通じて急速に衰え、大国の地位を失っていった。その要因はさまざまなことが考えられるが、毛織物業以外の産業資本の停滞を招いた次の二点を指摘することが出来る。

  • 新大陸から得た銀は宮廷の奢侈に浪費され産業育成などに回されなかったこと。
  • 本国以外の産業や植民地の資源に依存し、国内産業の基盤が作られなかったこと。

これら以外にスペインの衰退の要因として財政面では次のような点がある。

  • 封建社会のもとで土地の大部分は貴族・教会が所有し、免税の特権が与えられていたこと。
  • 商業を担っていたユダヤ人とイスラーム教徒(ムーア人)を宗教的に迫害し、追放したこと。
  • 海外領土からの銀は国庫に入らず貴族と投機業者の手によってヨーロッパに流失したこと。
  • 国内取引に対する重税が国内産業の発展を阻害したこと。
  • 海外との取引の実際の利益の多くが、イギリスとオランダの密輸業者に握られていたこと。

より直接的には、1588年に無敵艦隊がイギリスに敗れ、制海権を奪われたこと、1609年にオランダが実質的に独立したこと、1640年にポルトガルが反乱して分離したことなどがあり、特に、三十年戦争への介入は財政破綻をもたらし、17世紀のスペインの衰退を決定的にした。

出典:イスパニア/スペイン王国/スペイン帝国<世界史の窓

後発のオランダ・イギリス・フランスが国内の商人たちと図って産業を興して国力増大に努めていたのに対し、スペイン・ポルトガルはそれができなかった(または弱かった)。それ以外にも内政のごたつきや戦争も衰退の要因になるかもしれないが、他の3国も内政は不安定で断続的に戦争していたので、あまり没落の理由にならない。

上の3国の勃興の話については別の機会にやろう。